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なぜ「タバコ」は「禁止されない」のか

石田雅彦科学ジャーナリスト
(提供:アフロ)

 タバコ問題については「それほど害があるのなら禁止すればいい」という意見が喫煙者からも出ている。タバコ関連疾患による死者数は世界で数百万人にも達する。なぜ、日本を含む世界各国は、タバコの販売や使用を許可しているのだろうか。

タバコは政府が推奨してきた

 南北アメリカ大陸の先住民が吸っていたタバコは、大航海時代に新大陸から旧世界へもたらされ、急速に広がった。コロンブスが新大陸に到達したのは1492年だが、1543年頃と言われる種子島への鉄砲伝来とともに日本へもタバコがもたらされた。わずか50年ほどで、タバコが地球を半周回ったことになる。

 だが、20世紀に入るまでは、それほどタバコ葉の生産量も多くなく、喫煙者も限定されていた。

 20世紀は、戦争の世紀であると同時に大量生産大量消費の時代でもある。タバコも戦争と密接な関係があり、紙巻きタバコ(シガレット)の製造機が発明されてからは1分間に何千本というように大量に生産されるようになった。

 日本では明治政府が、タバコ税を確実に収税して日清・日露戦争の戦費の足しにしようと考え、タバコを専売制にすると同時に兵士の喫煙を広める政策を実行する。

 旧日本専売公社の『たばこ専売史』によると、1894(明治27)年から1895(明治28)年の日清戦争では、タバコ(主に紙巻き)が出征兵士への慰問品になった。日露戦争開戦前年の1903(明治36)年と開戦した1904(明治37)年の総税額中に占めるたばこ税の割合は、8.5%から11.5%に増え、その後、15年戦争(日中戦争から太平洋戦争)が始まる頃まで、この割合は12〜18%前後という高い比率で推移していった。

 20世紀前半の帝国主義の時代には、欧米各国でも同じようなことが行われた。戦地の兵士に格安か無料でタバコが配給され、戦地で喫煙を覚えた兵士は復員して市民社会へ帰ってきてから周囲にタバコを勧めるようになる。

 その当時、まだタバコによる健康被害が声高に指摘されることはなかった。タバコは、国策として政府や行政によって利用され、政府や行政は自ら長くタバコを売り続け、喫煙を推奨し、国民の間に喫煙習慣が広がってしまうことになる。

 大きな影響をおよぼしたのが、短時間に大量の紙巻きタバコを製造できる技術的なイノベーションだ。大量生産には大量消費というわけで、専売制をとる国もタバコ会社もさかんにタバコ製品と喫煙を推奨するようになり、喫煙率はどんどん上がっていった。

 戦争と大量生産大量消費。どの国もなぜかこうした20世紀の負の遺産を精算できず、仕方なく喫煙者を漸減させる方向で公衆衛生政策を進めてきた。

明らかになった健康被害

 タバコのタールの発がん性を実証したのはアルゼンチンの研究者、アンジェル・ロフォ(Angel Roffo)で、1931年にタバコからタールを抽出してウサギの耳になすりつけ、がんが発症することを示した(※1)。

 だが、肺がんなど、タバコによる健康被害が広く知られるようになったのは1950年代だ。有名なのは、1950年に英国の医師、リチャード・ドール(Richard Doll)とブラッドフォード・ヒル(Bradford Hill)が、喫煙と肺がんの関係を明確に指摘した論文だろう(※2)。

 その後、二人は、35歳以上の英国人男性医師、約3万4000人を対象にして追跡調査を実施し、さらに喫煙と肺がん発症の因果関係について証拠を固めている。

 同様の研究が特に先進国で行われ、タバコの健康への害はより広く知られるようになっていく。

 一方、タバコ会社や日本の専売公社は、タバコの有害性を否定する広告宣伝を繰り広げ、科学者や医療関係者を抱き込んで無害性の研究を行うなど、タバコへの否定的な社会の動きに対して強く抵抗する。

 だが、米国やカナダなどでは地方行政府などが原告となって司法の場でタバコ会社を訴え、情報開示などもあってほとんどのタバコ訴訟はタバコ会社側が敗訴し、行政や患者組織などへ巨額の賠償金を支払わなければならなくなる。

 タバコ製品の有害性やニコチンの依存性を知りつつ、依存性を強めるためにタバコ製品の改良を進め、確信的に健康被害を増やし続けてきたタバコ会社の不作為が暴かれたからだ。

タバコはなぜ禁止されないのか

 では、タバコによる健康被害が明らかになったのに、なぜタバコは禁止されないのだろうか。

 まず、政治的な環境だ。日本には、たばこ事業法というタバコ産業を守るための法律があり、タバコの製造販売や20歳以上の喫煙は合法だ。この法律を改正または廃止するためには、立法府(国会)での採決が必要だが、議論の俎上にものぼらないというのが現状だろう。

 1985年に専売公社は民営化されたが、その事業を継承した日本たばこ産業(JT)の株式の33.35%は財務大臣が持っていて、株の配当金だけでも数千億円になる。また、たばこ税の税収は国税と地方税ともに予算のほぼ数パーセント程度だが、タバコの税収が無視できない割合を占める財政の苦しい地方自治体もある。

 戦前からの政策、たばこ事業法によって政府や行政がタバコ産業を保護育成してきた手前、タバコをいきなり禁止することは難しいだろう。

 タバコ栽培農家は、地域によってはまだまだ多い。政治家がタバコ関連業界の集票を意識し、タバコ規制を主張しにくい側面もある。

 こうした状況下で、たばこ事業法の改正や廃止を議論できる環境にはなかなかならない。

 喫煙率が下がり、国民の間にタバコに対する拒絶意識が広がってくれば状況も変わるかもしれないが、日本人の喫煙率も全体では20%を切っている一方、社会経済に影響力を持つ30代から60代の男性の喫煙率は30%前後とまだまだ高い。

 また、一国だけで規制しても効果が低く、むしろ弊害のほうが大きくなるという問題もある。

 ニュージーランドはアーダーン政権時に本格的なタバコ規制に乗り出したが、保守的な政権へ交代後、規制案は撤廃されようとしている。新政権は、タバコ産業の保護と同時に、闇タバコの流通を危惧したと述べている。

 ブータンは2010年に国内でのタバコ販売を禁止したが、コロナ禍の2020年に再度、タバコを解禁した。インドなど国外から密輸される闇タバコが横行し、喫煙以上の問題が起きるようになったからだ。

 米国で1920年から1933年まで施行された禁酒法では、違法な闇アルコールが横行し、反社会的勢力の資金源にもなった。なぜ、アルコールを禁止しようとしてもうまくいかないかといえば、すでに社会に広まり過ぎて需要が多く、違反することに対する心理的ハードルが低いからとされる。

 タバコも同じだ。一国だけでタバコを禁止しても、喫煙率が高く、タバコに対して寛容な人が多い場合、海外などから海賊版が流入し、闇タバコが広がって裏社会で取引される危険性がある。喫煙率が高い場合、違法タバコの流通は覚醒剤などと比べものにならないほど多量になり、闇タバコの摘発などにかなりの行政コストがかかるだろう。

 タバコもアルコール同様、無闇に禁止しても機能せず、反社会的勢力の財源になって治安の悪化を招きかねない。

 これは、大麻の解禁議論でも起きる問題で、社会に広く流通し、使用者が増えれば、規制より行政がしっかりコントロールするほうがコスト的にも機能的にも得策となり、解禁せざるを得なくなることと似ている。

タバコによる人権侵害とは

 タバコの禁止については、日本国憲法13条の幸福追求権とのからみで喫煙権に違反するのではないかという議論もある。だが、喫煙の自由は、憲法で保証された権利ではなく、喫煙はあらゆる場面で許されるものではないという学説が主流だ

 ヒトは何かに依存したがる生き物だ。タバコをやめられない喫煙者は、ニコチン依存症という病気にかかっている。

 政府やタバコ会社は、ニコチンに強い依存性があることを十分に周知せず、やめられない喫煙者を増やし続けてきた。タバコを吸うことは個人の自由だし、20歳以上では合法でもあるが、タバコを吸うという決定(自己決定権)はその前提として十分な情報が必要だ。

 ニコチンの強い依存性を知らないまま、やめられない喫煙者になってしまった場合、それは政府やタバコ会社が喫煙者の自己決定権を侵犯していることになる。

 また、他者への受動喫煙の害も他者の権利(人権)を侵害していることになり、タバコが禁止されないことによる悪影響は想像以上に大きいといえる。

 以上をまとめると、タバコの製造販売や喫煙はずっと政府や行政が推奨してきた。健康への害が明らかになるにつれ、喫煙者を減らすような公衆衛生政策をとるようになったが、喫煙率が高く社会的に寛容な環境が続く中、各国政府はなかなかタバコの全面規制に踏み切れない。

 一方、政府やタバコ会社には、ニコチンの強い依存性についての十分な情報開示が求められる。現状でタバコを全面的に禁止するのは難しいが、喫煙の権利はいついかなる場合でも保障されるものではなく、受動喫煙の害を含め、法的な制限の対象になり得る。

※1:Robert N Proctor, "Angel H Roffo: the forgotten father of experimental tobacco carcinogenesis." Bull World Health Organ, Vol.84, No.6, June, 2006
※2:Richard Doll, Autstin Bradford Hill, "Smoking and Carcinoma of the Lung" BMJ, Vol.2(4682), 739-748, September, 1950

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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