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なぜ土地を買うと水をくむ権利がおまけについてくる? 日本の土地制度の変遷から考える

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
(写真:アフロ)

忘れられた土地利用と水の関係性

日本では、地下水は原則として土地所有者に利用権がある。民法207条では土地所有権の範囲として「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」とされる。地下水の利用は規制された地域を除けば自由に行われている。

水は土地利用と大きく関係する。農地が減ると水は地下に浸透しにくくなり地下水は減少するだろう。大規模な森林伐採が行われれば雨が浸透しにくくなり土砂災害が発生しやすくなる。

土地所有者の利用の仕方によって周囲の暮らしは大きく影響を受ける。現在日本での土地取引は自由に行われて、その所有権はとても強い。

日本の土地制度についておさらい

日本史をひもとくと、「班田収授法」「荘園」「一所懸命」「検地」「封土」「地租改正」「農地解放」など、土地制度の変遷はじつにおもしろい。

7世紀後半に制定された「班田収授法」は、「6歳以上の、すべての男女に口分田を与える。ただし口分田の売買は禁止、本人が死亡した場合は国家に返す」と定めている。土地の公有を原則に据えつつも、人民に土地を班給し、日本人の土地所有はここから始まったといえる。

ところが、死んだら返すのでは耕作意欲がわかないという苦情が出た。

そこで723年に「三世一身法」が制定され、三世代限定の土地の自己所有が認められた。民間の開墾によって耕地の拡大を図るというねらいがあったが、それでもいずれは返すので、農耕意欲は高まらず、期限が近づくと農民が耕作を放棄し、田地が荒れ果てるという現象が起きた。

そこで土地の私有を認める法律ができる。

743年の「墾田永年私財法」で、自分で開墾した田地については永久的に私財とすることを認めた。

土地が人間の欲望を増幅させるのは、バブル経済のときに限ったことではない。このときも墾田ブームが起こった。多くの労働力を編成して灌漑施設をつくり、原野を開墾できる力をもった貴族・大寺院や地方豪族たちによる開発が進んだ。東大寺などの大寺院は、広大な原野を独占し、付近の農民や浮浪人を使って大規模な開墾を行なった。これによって持てるものと持たざるものの線引きがされ、貧富の差が広がった。

やがて発生したのが荘園である。富豪層が貧困層を雇って開墾し力をもっていく。さらに地方の各地で成長した豪族や有力農民が、勢力を拡大するために武装し、弓矢をもち馬にのって戦うようになった。武装化した私営田の開発領主が登場し、武士が誕生したのである。

その後、数百年に渡って激しい土地争奪戦が繰り広げられる。当時の日本人の価値観は土地がすべてだった。財産や給料をはじめ、経済の仕組みは土地を中心に動いていた。「一つの所で命を懸ける」を意味する「一所懸命」という言葉がその頃の雰囲気をよく表している。

その後、豊臣秀吉は「太閤検地」と呼ばれる田畑の測量と収穫量調査を全国にわたって行ない、全国の収益が米の量で換算された石高制が確立した。小規模な検地はそれまでにも行われていたが、全国を統一した秀吉は大々的な検地を行った。すなわち土地から得られる収益が基準となったのである。 

また、それまでの土地所有関係を整理し、公地公民の土地制度を再スタートさせた。全国の豪族が支配する土地を一度朝廷に集約し、再度人々に分配する。

振り返ると、公地公民とは戸籍をつくり民に土地を与える代わりに税金を納めさせる制度である。これが国家財政の基礎となり、効率的な国家運営が可能となった。しかし、その後、墾田永年私財法が生まれ、平安時代から室町時代にかけて荘園制度という形で公地公民は崩壊。戦国時代になると、力をつけた戦国大名がかつての豪族のように土地を支配していた。

秀吉は太閤検地を行うことで土地を公のものとした。封建制度を解体し、中央集権システムとすることが太閤検地の真の目的だった。基本的にはこれが江戸幕府へと受け継がれて行く。

太閤検地によって、各地の石高が確定されたことは、その後江戸時代の幕藩体制の基礎となる石高制の基となり、江戸時代においてもこれに倣って検地が行われた。

明治になると土地制度は大きく変わる

明治政府が行なったのが「地租改正」である。米による物納に代わる、金による租税制度であり、同時に土地の私的所有権と売買を認めた。この結果、土地は天皇のものであり、臣民は天皇または領主からその使用を許されているに過ぎないと考える公地公民思想や、封建領主による領主権や村などの地域共同体による共同保有といった封建制度的な土地保有形態が完全に崩壊したのである。

土地に保有者個人の所有権が存在する事が初めて法的に認められることになり、土地が個人の財産として流通や担保の対象として扱われるようになった。

銀行はこのしくみを最大限に活用した。明治初期の銀行は、経営者の人物を見て金を貸していたが、日露戦争の頃から、土地を抵当に押さえるようになる。これによって土地は直接金を生むようになる。

それまで土地は、そこで育った農作物を売ることで金を生んでいたのだが、直接金を生むようになったのである。

結果として、日本人は農業を捨てる方向に進んだ。それが戦後の「農地改革」で都市と農村が分断されたことにより決定づけられた。

これが現在にまで受け継がれている。その後、土地が投機の対象となるのは、自然の流れだったのかもしれない。土地の価値が金を生むか、生まないかだけで判断されるようになり、直接的に金を生まない土地の価格はやがて暴落した。

外国資本による土地買収の実態を15年以上追いかけてきた平野秀樹さんは、著書『サイレント国土買収』(角川新書)のなかで全国各地、48自治体での国土買収事例を紹介している。平野さんは「とりわけ農地の買収が進んでいる」という。「国の調査では47ヘクタールだが、桁が2つほど違うと推計している。北海道の農地も外資買収は函館以外にはないと公表されているが、そうだろうか。国の統計から漏れている件数のほうが多い。未届出や名義を変えた買収が相当数ある」。

土地活用というと多くの人は、「アパート経営」「マンション経営」「賃貸併用住宅」「戸建賃貸」「駐車場経営」などをイメージするのではないか。だが、大切なことを忘れていないだろうか。地下水は土地を所有することで汲み上げることができ、食糧は農地で育つ。土地を所有することで得られる水、エネルギー、食が、いつのまにか自分たちのものでなくなってしまう。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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