「引退はいたしません」“アラ還”ジャガー横田が1日3試合を完遂
ジャガーの薫陶を受けた現役・OGレスラーが集結
4月11日(日)、東京・板橋グリーンホール『Jd’同窓会 ジャガー横田45周年の道~ジャガーがんばります!!』と題したプロレスイベントが行われた。
1996年に旗揚げした女子プロレス団体Jd’(ジェイディー)は2007年、惜しまれつつ解散したが、旗揚げ25周年を機にかつての所属選手が結集。また、選手兼コーチとして団体をけん引したジャガー横田が来年デビュー45周年を迎えることから、その前祝いも兼ねることとなった。
「でも、一番祝いたかったことは別にありました」
イベント終了後に語ってくれたのは今大会の発起人のひとり、鈴木知子さん(52)。現役時代は「ファング鈴木」のリングネームで団体に欠かせぬヒール(悪役)だった。
「ジャガーさんは今年7月で60歳。『還暦のお祝いをみんなでやりたいね』というところから話が始まったんです。声をかけたら現役、OGを問わず皆さん駆けつけてくれて」
鈴木さんと共に今大会の実現に奔走した、現役プロレスラーの藪下めぐみ(49)が言葉をつなぐ。
「Jd’は解散しているのに結束力が強いとよく言われますが、やっぱり全員がジャガーさんのもとで、ジャガーさんの教えを受けて育っているということが大きいんじゃないかな。コロナ禍もあって大々的にはできないけれど、規模は小さくても来てくれたみんなが楽しんでくれて、ジャガーさんが喜んでくれる大会にしたかった」
愛弟子たちの心づかいに、ジャガーは試合で応えてみせた。全4試合中、第1試合とメインイベントの2試合に出場したのだ。ちなみに、ジャガーはこの大会の数時間前、現在所属する団体「ワールド女子プロレス ディアナ」の神奈川・川崎興行でも試合をしている。つまり、還暦目前にして1日3試合を完遂したわけだ。
プロレスラーの振れ幅を見せた「ジャガーばあちゃん」
試合内容も“還暦メモリアル”にふさわしいユニークなものだった。
第1試合では、杖をつき、右へ左へおぼつかない足取りの「ジャガーばあちゃん」として登場。踏ん張りがきかずにマットに崩れ落ちながらも、ときおり“武器”の杖で相手を突っついてみせたり、意表をついてトップロープを軽やかに綱渡りしたりとコミカルモード全開。
一転、メインではシリアスモードで後輩たちと渡り合った。勝負にこだわるシビアな戦いが身上のジャガーが見せた意外すぎる振れ幅に、ファンも駆けつけた後輩たちも拍手喝さいだった。
大会終了後、ジャガー本人に改めて試合を振り返ってもらった。「教え子たちがたくさんの人に呼びかけて、せっかくこんないい大会を用意してくれたんだから、それに応えたかった」と、まず後輩たちの開催までの労苦をねぎらったジャガーは、ふふふと思い出したように笑い、「ジャガーばあちゃんなんてね」と言った。
「昔の自分が見たらビックリすると思いますよ。だって、昔の私は試合にお笑いを入れたり有刺鉄線を使ったりなんて、プロレスができない人がやるものだと思っていましたから。でも、50を過ぎてから実際に有刺鉄線や電流爆破マッチまでやってみたら、勉強になることがいっぱいあったの。今日のジャガーばあちゃんにしても、ヨボヨボしていて普通の受け身なんて取れないわけ。じゃあ、どうやって技を受けようかなって考えないといけない。頭を使うんですよ、すごく。もう何十年もやっているけれど、今更ながら『プロレスって奥が深いな』と思いますね」
ジャガー横田は16歳を間近に控えた1977年6月、本名の「横田利美」でデビューした。1977年といえば、ロッキード事件の初公判や日航機ハイジャックに日本が揺れた年であり、子どもたちはスーパーカーやピンク・レディーに夢中だった。以来、昭和、平成、令和と時代は流れたが、ジャガーは今もリングに立つ。プロレスの難しさ、奥深さに日々新鮮な感動を覚えながら。15歳から変わらぬプロレスへのピュアな情熱と生真面目さこそ、ジャガー横田が世代を超えて後輩たちから愛されるゆえんだろう。
7月で60歳になるが、「引退」の言葉は口にしないと決めている。
「私は2度も引退していて、そのたびにファンの方を裏切るような形になってしまったのでね。ずっと勝負にこだわってきたからこそ、身体が動かなくなって相手の技を受けられなかったときは、引退宣言などせずにフェードアウトしようと思っています」
還暦を超えても新しい挑戦をつづけ、ボロボロになる前に怪我なくリングを下りる。それが目標であり、あとに続く後輩たちに見せたい背中でもある。