日本における「MaaS・観光型MaaS」の可能性と展望
筆者が属する城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科は、東京都の支援を得て「観光経営人材育成講座」を開講し、関連の教育プログラムの開発を行っている。本年度は、その最終年度にあたるが、そのテーマを「テクノロジーおよび外国人材の活用」にフォーカスさせて、講座運営をしている。
去る10月30日にオンライン開講した同講座の第11回、第12回では、観光におけるテクノロジーの活用の一環として、主にMaaS・観光MaaS等をとりあげた。
政府広報オンラインによれば、「『MaaS(Mobility as a Service)』とは、地域住民や旅行者一人一人のトリップ単位での移動ニーズに対応して、複数の公共交通やそれ以外の移動サービスを最適に組み合わせて検索・予約・決済等を一括で行うサービスです」と定義されている(注1)。その中でも、観光に特化したものを「観光型MaaS」(注2)と呼ぶのである。このような考え方を踏まえて、世界各地および日本各地では、MaaS・観光型MaaSの実証実験や試みがなされてきている。
そこで、本研究科は、学術と実務・実践の両方を踏まえた教育・研究機関を標榜し、活動を行ってきているので、今般のMaaSに関しても、外部有識者の意見を聞くだけでなく、日本各地におけるMaaSの実態を知ることも必要であると考えた。そのために、本講座に関わる教員が、各地のMaaSを訪問し、現地で実体験をしながら、調査を行った。
本記事は、それらの教員による現地体験や調査などを基にした議論から構成されているが、それを通じて、日本におけるMaaS・観光型MaaSの可能性や展望について示唆を与えているので、ここで紹介する。
本議論参加者は、本研究科の黒澤武邦氏、石井伸一氏、小松悟朗氏で、筆者は議論のコーディネータを務めた。
訪問先のMaaSと専門性について
鈴木崇弘(以下、Sと称す):皆さんが訪問されたMaaSについて、ご自身の専門性や視点との関連性およびエリアと訪問時期について教えてください。
黒澤武邦氏(以下、黒澤氏):都市計画が専門で、本研究科では「観光研究」と「政策研究」を担当しています。MaaSは観光まちづくり関係する重要なテーマです。観光MaaSのせとうち観光ナビ「setowa」を利用して、2021年10月15日~17日に現地で体験してきました。
石井伸一氏(以下、石井氏):現在は、「マーケティング」と「サプライチェーン」を専門としていますが、研究者としての原点は「地域開発」や「都市交通」のプランナーです。公共交通の民営化やコマーシャリゼーションをシャリゼーションを経て、運輸産業やインフラ産業の戦略、マーケティングを研究対象とするようになりました。MaaSに関しては運輸産業の事業戦略、市場創造(マーケティング)の観点でも非常に注目しています。
今回は、2021年10月21日~22日に全国に先駆けてサービスの始まった福岡市と北九州市でmy route(マイルート) を現地で体験してきました。
小松悟朗氏(以下、小松氏):私の専門は「経済学」、特に「マクロ経済学」ですが、最近では2021年のノーベル経済学賞でも話題になった「データサイエンス」や「実証分析」にも力を入れています。MaaSはこれまで分断されていた産業間や事業者間の垣根を取り払い、どううまくつなげるかがカギだと思いますが、この経済学的な意味合いやインパクトなどの実証に興味を持っているところです。
私は今回「箱根ナビ」を利用して、10月27日から2日間、現地で箱根MaaSの視察をしてきました。
訪問MaaSの概要について
S:ありがとうございます。皆さんの専門が異なるので、同じ「MaaS・観光型MaaS」でも見えてくるものが異なるのではないかと思います。その意味で、皆さんのいろいろな意見や経験を伺えるのが楽しみです。それではまず、皆さん方が訪問されたMaaSに関して説明してください。
黒澤氏:「setowa」は、山陽の岡山県・広島県・山口県の3県と、四国の徳島県・香川県・愛媛県・高知県の4県を中心とするせとうちエリアを対象としています。都市部から山間部、島しょ部まで広い地域をカバーしている点が興味深いです。
今回は「setowa四国DC満喫きっぷ」を利用して、四国4県においてJR四国や土佐くろしお鉄道線、ジェイアール四国バスの路線バス等を乗り継ぎました。土・日・祝日を1日以上含む連続した3日間有効のフリーパスです。特急列車自由席も乗り放題で9,000円(小児3,000円)はかなりお得です。
石井氏:トヨタ自動車は自らをモビリティ企業と呼ぶように、自動車の会社ではなく、人の移動をあらゆる面からサポートする企業へとコンセプトを変えようとしています。トヨタ自動車のマルチモーダルモビリティサービスアプリである「my route(マイルート)」は、全国にさきがけ、西日本鉄道とのコラボで福岡県(福岡市や北九州市)で始まりました。福岡市、北九州市で使ってみました。
Toyota Walletによる電子決済や、Toyota Shareによるトヨタのカーの予約決済もできるようですが、Toyota Walletは持っていませんし、またToyota Shareも使ったことがない(ただしマイカーは30年来トヨタ車です)のでもっぱら検索機能で活用しました。
小松氏:小田急が中心となり開発している箱根MaaSは、大きく2つの柱があります。1つが「箱根ナビ」です。これは、「スマホで買ってスマホで見せる」をコンセプトに、箱根ナビは箱根観光の情報ポータルサイトとして2004年7月に開設されています。旺盛なインバウンド需要への対応のため、2007年1月には多言語版サイトを開設したほか、閲覧デバイスの多様化に合わせモバイル版やスマートフォン版サイトも順次リリースしています。
また、もう1つが「EMot(エモット)」です。これは、小田急の箱根観光において、デジタルチケットの購入と使用の中心となるMaaSスマホアプリとなっています。新宿から発着するロマンスカーの乗車券を含む2日間のデジタルフリーパスを購入できるだけでなく、箱根登山鉄道やロープウェイのデジタルチケットとしてスマホを見せるだけで乗車できるなど、大変利便性の高いアプリになっています。
訪問MaaSの短所・長所、特徴について
S:面白いですね。MaaSそれぞれで違いや特徴がありそうですね。お互いのMaaS体験を聞いて、ご自身が体験したMaaSの短所・長所、特徴はなんだと思われますか。
黒澤氏:メリットとして、旅マエ(計画・準備)と旅ナカ(移動中)において、スマホを活用してチケットレス、キャッシュレスで情報検索やチケット管理などができることを実感できました。
その一方で、アプリの利便性と操作性、スマホの電源確保と電波状況の改善など満足度の向上のための課題も明らかになったと思います。例えば、駅や車内検札でチケットをみせる際、スマホ画面の読み込みに、アプリ起動から4回クリックが必要で時間がかかりました。特に山間部など電波が悪いところでは読み込めませんでした。また、旅行中いろいろ検索したりするので、スマホの電池の減りが早いのですが、特急列車でも電源がない車両も少なくないので注意が必要です。
石井氏:移動する、遊ぶ・見る、食べるということに関して、1つの入り口である「my route(マイルート)」から入れるというのは大変魅力的です。これにコンテンツが伴えば、大変便利な検索機能になると思いますし、現金がなくても、移動手段を決めたら、その場で決済ができ、キャッシュレスで乗車できるのは大変に便利だと思います。
短所は、まだアプリとしての完成度としてはこれからということだと思います。コンテンツの拡充はもとより、せっかく決済機能もあるので、使い勝手を良くするため、オプション提示、(利用者の)選択、決済、利用サービスの提供が、円滑に流れるようにアプリを高度化していく必要があると思います。
小松氏:「箱根ナビ」はいわゆる「旅マエ」の情報が非常に充実しています。鉄道やロープウェイ、人気の観光スポットの紹介だけでなく、滞在日数に応じて箱根を巡るモデルコースの紹介もしています。さらに、モデルコースを見ながらそのまま宿の予約やチケットの購入がスムーズにできるなど、「旅マエ」のウェブサイトとして頭1つ抜きん出ている印象を持ちました。
また、小田急が開発した箱根ナビは、新宿から箱根湯本、そして箱根湯本からロープウェイ、バス、観光船による周遊ルートが確立されているため、EMot上で1つのIDとPW(パスワード)を取得するだけでよく、他のMaaSのような煩雑な複数のID管理が必要ありません。この点も箱根MaaSの強みかと思います。
ただ、EMot単体だけでは宿の予約をすることができず、また従来からチケット1枚でスムーズに移動できる観光地であったため、単にチケットがデジタルになっただけ、という印象も持ちました。 そして、勾配が厳しくロープウェイや観光船などがある箱根では、いちいちスマホを取り出し見せるというのは、かえってスマホを失くしそうで少し怖いという印象を持ちました。
MaaSの今後の可能性について
S:なるほど。まだまだ改良の余地がありそうですね。MaaS・観光MaaSは、各地で独自の発展・進展がされているようですが、その各々の独自性を伸ばしながらも、長所や短所を相互に学び合って、改良・改善していくと、より利用者に活用しやすい仕組みになりそうですね。
では次に、ご自身の体験や他の方々のMaaS体験を聞いて、MaaSの今後の可能性はどのように考えになられますか。
黒澤氏:アプリ以外にも、公共交通やホテルなどの予約サイトに登録する必要があります。IDとPWが増えてしまい、管理が面倒になります。特に頻繁に当地に観光に行くわけではなく、今後も利用する見込みがない人も多いと想像されますので、もっと簡単な仕組みを考えて欲しいと思います。利用者を囲い込みたい気持ちは理解できますが、復活が見込まれるインバウンドなども考慮すると利用者目線ではないと考えます。SNSなど既存のIDなどの活用も一考です。今後、改善されていくと思いますので、大いに期待しています。
石井氏:MaaSは究極の移動サブスクを目指すべきだと思います。都市部と地方部とでは使い方が異なると思いますが(注3)、例えば都市部でルート検索した場合、複数の移動手段が示されると思いますが、移動手段として今現在、アベイラブルな(利用可能な)移動手段をルート選択肢として示す必要があると思います。
例えば渋滞も回避できる自転車が一番早いとなったら、近くに貸し出し可能なレンタルサイクルがあるのが前提でオプションとして提示されていなければ、いちいちレンタルサイクルを自分で探すところから始めないといけません。また公共交通以外、例えば車でレンタカーという選択肢があったとしても、タップ1つで選択し、そのままレンタカー屋に行ったら、車は準備されているようなサービスレベルは必要だと思います。
小松氏:箱根ナビにあるモデルコースなどの「旅マエ」の計画を、旅ナカでもスムーズに再現できるような機能があると嬉しいと思いました。例えば、あるモデルコースを選択した場合、事前に大まかな出発時間やルートを決めておけば、現地ではGPS機能(注4)を用いて観光スポットへの道順や次のバスの出発時間などをリアルタイムでガイドできるはずです。特に、スマホの多言語対応機能を用いれば、日本語がわからないインバウンド外国人観光客にとっては便利で非常にありがたいガイダンス機能となると思いました。今後のMaaSでは、スマホが単にデジタルチケットなのではなく、「旅マエ」で考えた旅程を「旅ナカ」でリアルタイムにガイドしてくれるようなAI的な存在になってくれることを楽しみにしています。
MaaS・観光MaaSを考える地域や事業者へのアドバイスについて
S:ありがとうございます。それでは、最後の質問ですが、今回の現地体験や調査をしたことを踏まえて、MaaS・観光MaaSを考えている地域や事業者へのアドバイスやその他何か付け加えたいことはありますか。
黒澤氏:旅程や位置情報などを把握できるのであれば、「旅マエ」と「旅ナカ」に加え、「旅アト(主に旅行者が旅行終了後帰って間もない期間)」として、旅の日記を作成できる機能があれば、旅の思い出づくりの楽しみも増えるのではないでしょうか。コト消費に記憶に残る・残す体験は重要です。
また、四国の県庁所在地はJR以外の路面電車が地域交通の要となっており、それらとの連携も必要だと感じました。JR西日本が実施主体ですが、地域情報については、JR四国や地域DMO(注5)がもっと前面に出て積極的にPRすべきだと思いました。例えば、JR四国にはアンパンマンという強力なコンテンツがあるにもかかわらず、アプリではその情報が見当たりませんでした。
さらに、観光MaaSの推進には、地域DXの推進が不可欠です。ただし、観光MaaSのための新しいシステム構築に多くのコストがかかるのであれば、屋上屋にならないよう既存のサービスとの連携を含め、本当に必要かどうかを含め検討する必要があると思います。
石井氏:利用者の目線に立って、観光をガイドしてくれるようなサービスと選択肢が分かりやすく示され、判断しやすいアプリやサイトがいいと思います。
アプリをダウンロードしましたが、特定の地域でしか使えないアプリですと、しばらく動かさず、忘れてしまいます。またポイント(特典)をもらったとしても使うことはできない。観光という非居住者を対象としたサービスは全国で使えるようにならないとアプリの意味がないと思えます。この点、サイトにしておいたほうが、ブラウザーでアクセスできることから便利かと思います。
また先ほど、MaaSは究極の移動サブスクを目指すべきだと申し上げましたが、定額であなたの一か月の移動をサポートします!というようなサービスで、大胆に申し上げると、一都三県内移動のみのサブスク3万円/月、関東圏に広げたら5万円/月、名古屋とか大阪まで広げたら10万/月みたいなサービスなどモビリティに革新を起こすようなインフラとして機能していくことを期待しています。
小松氏:今回の箱根MaaSでユニークだったのは、エヴァンゲリオンとのタイアップがあったことです。いわゆる聖地巡礼観光であり、これまでも関連グッズなどが販売されていたと思いますが、ここにこれからのMaaSの可能性を感じました。例えば、旅マエでの聖地巡礼モデルコースの作成や、旅ナカでのアプリによる巡礼ガイダンスとか、もしくはエヴァというメディアコンテンツと箱根ヴァーチャルツアーの組み合わせなど、様々な MaaSの可能性を感じました。いろいろなものを「つなげる」ことがその本質であるMaaSには、今後も新たなものを柔軟につなげて作っていく発想力・企画力こそがその成功のカギになるのではないかと思います。
まとめ
S:お忙しいところ、いろいろお話を伺えて、非常に学ぶことができました。MaaSも、コロナ禍で非接触対応の需要や重要性が高まってきていますが、皆さん方のお話を伺って今後ますますの工夫が必要だと思いました。日本は、このような新しい仕組みは導入には積極的でも、その後現実の中で少しでも活かされないとすぐに諦め、利活用しなくなってしまうことが多いかと思います。新しい仕組みの実装には、時間と絶えざる工夫が必要です。MaaSは、世界的にもいまだ成功事例はないといわれていますが、継続的な改善を行い、日本発のMaaSの仕組みを生み出してもらいたいと思います。本日は、ありがとうございました。
(注1)「『移動』の概念が変わる?新たな移動サービス『MaaS(マース)』」(政府広報オンラインHP 閲覧日:令和2年(2020年)11月19日)参照。
(注2)「観光MaaS」については、次の資料等参照。
・「観光型MaaSの発展に向けて」(松本博樹 JTB総合研究所主任研究員、JTB総合研究所 2020年3月17日)
・「ニューノーマルの観光を変える!? 観光型MaaSとは」(脇谷 将史 キクコト[ジェイアール東日本企画]、2021年6月23日)
(注3)MaaSは、地域特性により様々な形があり、「都市型」「地方型」「観光型(観光地型)」の3つに分類されることがある。
(注4)「GPSとはGlobal Positioning System(全地球的測位システム)と呼ばれる、『位置を知るための仕組み』です。GPSは、地球を回る24個の衛星から発信される電波を利用して位置(緯度,経度,標高)を計算します。衛星の正確な位置はわかっているため、4つの衛星からの電波を受信することができれば正確な位置を知ることができます。GPSは、米国国防総省が1970年代から軍事目的で開発・整備を進めてきたものです。当初は、軍事的理由によって意図的に精度を落としたデータが提供されていましたが、2000年5月に解除され現在では安価なGPSでも一般的に利用する分には十分な精度で位置を測定することができるようになりました。」出典:用語集一覧(PASCOのHP 閲覧日:2021年11月9日)
(注5)「DMOとは、観光物件、自然、食、芸術・芸能、風習、風俗など当該地域にある観光資源に精通し、地域と協同して観光地域作りを行う法人のこと。Destination Management Organization(デスティネーション・マネージメント・オーガニゼーション)の頭文字の略。DMCはDestination Management Company(デスティネーション・マネージメント・カンパニー)の略。」出典:JTB総合研究所・観光用語集(閲覧日:2021年11月9日)
議論参加者略歴(出演順):
黒澤武邦氏:城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科准教授。早稲田大学理工学部土木工学科卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了(都市計画)、ペンシルベニア大学大学院都市地域計画学科博士課程修了。Ph.D. in City Planning(都市計画学博士)取得。佐賀大学低平地研究センター講師、国会議員政策担当秘書、自民党系の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」主任研究員、公共政策コンサルタント等。専門領域は、都市計画、公共政策、政治・政策形成プロセス、観光まちづくり。
石井伸一氏:城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科准教授。北海道大学経済学部卒業。同大学院情報工学専攻修了後、株式会社野村総合研究所入社。地方活性化、都市・不動産開発、国際交通インフラ開発経営を担当。在職中に北大から博士(工学)を授与、戦略コンサルタントとしてのキャリア(事業戦略、海外プロジェクトを担当)を積む。並行して一橋・筑波・北海道・北陸先端科学技術大学院大学客員教授、ISO等国際会議議長を経て、2021年4月より現職。専門領域は、マーケティング、SCM・ロジスティクス、海外インフラ開発経営。
小松悟朗氏:城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科准教授。上智大学外国語学部英語学科卒業。在学中にUniversity of California, Santa Cruz (UCSC)に留学。帰国後、コンサルティング会社や、事業会社での英語教育事業立ち上げなどに従事。社会人として、九州大学大学院 経済学府経済工学専攻 博士後期課程を修了。博士(経済学)。九州大学大学院経済学研究院経済工学部門経済システム解析講座助教などを経て、2021年4月より現職。専門領域は、マクロ経済学、金融経済学および金融政策の実証分析。