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セリーナ・ウィリアムズを完全復活させたカリスマコーチが語る、指導者及びアカデミー経営者としての哲学

内田暁フリーランスライター
右がコーチのパトリック・ムラトグル。左がセリーナ・ウィリアムズ(写真:ロイター/アフロ)

 パトリック・ムラトグル――。

 今やテニス界で、その名を知らぬ者は居ないだろう。

 彼は、セリーナ・ウィリアムズのコーチであり、複数の電力会社を経営する著名ビジネスマンの息子であり、そして21歳のステファノ・チチパスや15歳のココ・ガウフら数多の有望な若手を抱える、欧州屈指のテニスアカデミーの創立者/経営者でもある。

 そのテニス界のカリスマが、今年からダンロップのブランドアンバサダーに就任。9月末にはアンバサダーの活動の一貫として、都内で指導者を対象としたセミナーや、ジュニアクリニックも開催した。

 自らも優秀なジュニア選手でありながら、一時は父の跡を継ぐべくビジネスの世界に身を置いた彼は、いかにしてセリーナを完全復活させ、数々の若手を一流選手に育て上げたのだろうか?

 その理念や、指導者としての哲学を語ってもらった。

■アカデミーは、総合的な学び舎■

――先ほどのセミナーで、あなたがフランスのニースで経営する“ムラトグル・テニスアカデミー”では、選手個々の個性を伸ばすことに重きを置いているとおっしゃっていました。具体的には、どのように行っているのでしょう?

「選手個々に目を配り、個別に適切な指導をしていくのは大変なことではあります。ですが、上手く組織的に体系付ければ不可能ではありません。

 大前提としてあるのは、まずは生徒の人数を限ること。私のアカデミーでは、1つのコートに4人以上の選手を入れることはありません。そして1つのコートに、必ずひとりのコーチを付けます。2つのグループを同じコートで回すこともありますが、それでもひとりのコーチが見るのは最大で8人。それらのコーチも良く訓練されていてテニスを熟知し、プロフェッショナルである必要があります。さらにコーチだけでなく、フィットネスコーチ、そしてマネージャーも8人の選手に対してひとり付くようにしています。このような少数精鋭制のシステムが、全ての選手のパーソナリティを知ることを可能にしています」

――そのようにアカデミーを経営する上では、若い頃にビジネスを学んだ経験が役に立っているでしょうか?

「それは間違いなくあるでしょう。私は15歳の時から経営学やマーケティングを勉強し、ビジネスの世界でも働きました。

 アカデミーを運営するには、3つの要素が必要だと思います。まずは、自身が良いコーチであること。そして、経営力。これがなければ、継続ができません。そして、マーケティング。私は幸い、その両方を若い頃に学びました。テニスは私にとって生涯の情熱ですが、他の分野にも明るかったのが良いバランスを築いたと思います。そもそもアカデミーという所は、あらゆる分野が一つに統合された学び舎だからです。

 例えば私のアカデミーには、優れた学校もあります。これは、物凄く重要なことです。フレンチ・スクールと、英語で教えるイングリッシュ・スクールがあり、いずれも学問の分野でも良い結果を残しています。これは私が、とても重視し誇りに思っていることでもあります。テニスのキャリアは永遠ではありません。30歳過ぎまでやったとしても、その後の人生の方が長いのですから。

 テニス、学問、そして経営。この3つをバランス良く成り立たせることが私の理念です」

■チャンピオンは、自分のやることに誇りを持っている■

――指導者向けのセミナーでは、個性を伸ばすことと同時に、選手には“自己表現させるべきだ”と言っていました。その点をもう少し詳しく教えて頂けますか?

「もちろんです。テニスでは、自己表現はとても大切です。自分を表現することが、自信に繋がります。チャンピオンと呼ばれる人たちは皆、自信がみなぎっており、個性が強い。自分のやることに誇りを持っています」

――あなたが指導してきたそのようなチャンピオンに、23のグランドスラムタイトルを誇るセリーナ・ウィリアムズがいます。女子テニス史上最強の女王は、コーチの目から見て、どのような選手ですか?

「まず言っておきたいのは、セリーナは素晴らしい“生徒”だということです。彼女は常に向上心を抱いています。あれだけ長いあいだチャンピオンであるのに、もっと強くなりたい、もっと上手くなりたいと渇望しています。彼女は時々、男子の試合を見てから私のところに来て、『彼はこんなプレーをしていたの。私もあれができるようになりたい!』と言ってきます。彼女はこちらの言葉に耳を傾け、教えたことを直ぐにトライする。そんな選手と一緒に仕事ができるのは、本当に嬉しいことです。

 技術的にも、彼女はあらゆるショットを打つことができます。最近では、以前はあまり打てなかったバックハンドのスライスも打てるようになりました。もちろん、個性的な打ち方もあります。例えば、フォアハンド。でも打ち方やフォームは問題ではありません。大切なのは、そのショットでいかにポイントを取るかですから。

 また彼女のサーブは、女子テニス史上最高でしょう。スライス、キック……あらゆる球種をコートの全てのゾーンに、狙い通りに打つことが可能です。しかもスピードもありますからね」

――そのような彼女のサーブの良さは、練習時間の長さや、反復練習から来るものでしょうか?

「答えは、イエス&ノーですね。練習量も大切ですが、彼女は既に完璧に近いサーブの“感覚”を身に付けています。サーブのモーションは、物を投げる動きと一緒です。そして彼女のサーブのテクニックは、まさに投げる動きなのです。シンプルでクリーン。無駄がありません。

 これはセリーナの父親から聞いた話ですが、彼女が子供の頃にサーブの練習をするとき、古いラケットを全て集めて、それを実際に投げさせたそうです。それもコートを痛めないように、フェンスの向こう側へとね。それにより、セリーナのあのサーブは出来上がった。私は、これはサーブ上達法として最高の練習だと思います」

――最後に、日本のジュニアや指導者たちに伝えたいのは、どのようなことでしょう?

「テニスで最も大切なのは、テクニックではなく、“フィーリング(感覚)”、そしてどうやってポイントを取るかです。コーチは、自分が理想とするフォームで打つことを選手に求めるのではなく、それらのショットをどう使い、どうやってポイントを取るかを重視すべきだと思います。

 また、日本の若いテニス選手たちは、とても良く訓練されています。ただ時々、自分がやりたいと感じたことに対し、責任を持つことを恐れているのではと感じることがあります。色んな個性の選手がいるのが、テニスの素晴らしい点。自分を表現することを恐れないで欲しいと思います」。

※ムラトグルが、自身の生い立ち等を語ったインタビューはこちら

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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