台湾の「歴史建築」活用 成功の裏側を訪ねて
築30年以上の建物が60万戸ある台北
今年1月29日、歴史建築のリノベに関するイベントが行われた。その名も「老屋新生大賞」という(賞は繁体字)。
2018年度授賞式の会場となったのは、日本統治時代にゆかりのある浄土真宗本願寺派別院だ。現在は釣鐘がその名残をとどめ、広場にはレンガ造りのホールがある。
会場には、受賞作の関係者や賞の主催者、台湾のメディアあわせて、50〜60人ほどが集まった。賞は、住宅部門、非住宅部門、さらに2018年度に新設されたコミュニティスペース部門の3部門で構成される。部門それぞれに金賞、銀賞、銅賞とあり、受賞作には賞金と記念の賞状、盾が贈られる。審査委員から受賞作が発表されると、その作品を手がけた人たちが登壇し、少し誇らしげに感想を述べた。
賞を主催するのは、台北市都市更新処、つまりは地方自治体で都市の再開発を担う部門である。5年前に市から委託を受け、この老屋新生大賞の運営に携わる施聖亭さんにお話を伺った。
「市内には、築30年以上の建物がおよそ60万戸あり、この数字は市内総戸数の約67%にあたります。台湾も、日本と同じように地震の多い地域です。そのため、老屋新生大賞は、単にきれいに新しくした建物を表彰するのが目的なのではなく、より安全で健康な街にしていくという意義があります。台北は世界的に見ても比較的新しい都市ですが、過去にオランダ、中国清朝、日本とさまざまな統治を受けてきた独特の歴史を持っています」
施さんは続ける。
「たとえば世界的なコーヒーチェーンは東京、台北、世界中のあちこちにあります。古い建物を改築して店舗化して、ローカライズを目指している。建物は確かに違いますが、そのコーヒーチェーンであることに変わりはありません。老屋新生大賞の受賞作品にはこうしたリノベには決して見られない、その建物ならではの物語があります」
では、直近の2回で受賞した作品には、どんな物語があるのか。実際に訪ねてみた。
日本統治時代の市場は文化を伝える空間に
MRT龍山寺駅から古い商店街を抜けて、今も伝統的な市場のある通りを脇にそれると、新富町文化市場がある。老屋新生大賞で金賞を獲得したのは1年ほど前のこと。入ってすぐにはカフェがあって、取材時に訪ねた際は3人のおばさんたちが笑顔でおしゃべりしていた。
建物は空から見ると馬のひづめの形をしている。建物の中央には独特の空間がある造りで、天井はスコーンと抜けるように高い。室内には、カフェのほかコワーキングスペースがあり、壁には展示や動画によって建物の来し方を伝えている。
受賞から1年、「私たちの取り組みが肯定されたと大きな自信になりました」と語るのは現在、施設の運営責任者である洪宜玲さんだ。
「ここが建てられたのは1935年です。ちょうど日本の築地市場が開設されたのと同じ年なんですよ。そこから数えて84年になります。付近に住む80代の方で、当時、市場の落成式に参加したことを覚えているおばあちゃんがいました。その時5歳だったそうで、たくさんのお餅やお菓子が投げられてお祝いしたんだと話していました」
記録によると、市場内では野菜や肉魚のほかに、コンニャクやうどん、天ぷらなど35店舗が出店していた。だが華やかな門出をよそに、のちに市場は大きく運命を変えていく。最大の転機となったのは、スーパーマーケットという新たな販売形態の登場である。これにより、若い世代は伝統的な市場で買い物をしなくなった。
「2006年に台北市文化局が古蹟として認定し、私たちがリノベすることになった時、建物内はがらんどうでした」
洪さんたちは建築士たちと討論を重ね、建物の構造はそのままに、リノベーションが行われた。今ではコミュニティスペースとして運営されている。運営の軸になるのは「市場」であり「食文化」である。毎週日曜日にはガイドツアーが行われるほか、不定期だが、市場で職人として働いてきた人たちを講師に迎え、長年の経験を披露する時間も設けた。
たった1店舗だけ、市場の開設当時から今も営業を続けている店がある。製氷店だ。冷蔵庫が一般的でなかった時代から、周辺の店舗に氷を提供してきた。今も毎朝、近所の店舗に氷を提供している。洪さんたちはその過程を撮影し、館内で上映している。
「店の人を説得し、残ってもらいました。私たちはここでのイベントや展示を通じて、若い人たちにも伝統市場の人たちとコミュニケーションしながら買い物し、料理する文化、つまりは台湾の食文化を伝えていきたいと考えています」
70年前のオフィスビルを旅行の拠点に
もう一つの物語を聞くため、2018年度の非住宅部門で金賞を受賞したホテル「Meander1948」に向かった。
台北駅の地下街から出て、小売店が立ち並ぶアーケードを抜けると、交差点の角に瀟洒な4階建てがある。ごった返すような周囲とは違い、1棟だけ落ち着いた雰囲気を醸し出している。ここは約70年前、製紙会社のオフィスビルとして建設されたのが始まりだ。
リノベを終えた今、建物の1階には日本で焙煎され、空輸で届くコーヒーを淹れるカフェ「TAHOJA」(台湾語で「すごくおいしい」の意)が入っている。カフェの奥にフロントがあり、そのまた奥にはレストランに続く階段がある。段差の斜度がきついのも、当時のままだという。
オーナーの林維源さんは香港からやってきた。大学時代に台湾で観光業を学び、一度は香港で旅行社を立ち上げた。それからホテルを開業したいと考えていたのだが、どうにも心に響く建物がない。ある時、友人を訪ねるため、再び台湾にやってきた。その時、紹介された建物を一目見て、大きく心が動いた。結果、香港に持っていたマンションを売り払い、開業資金にして台湾に戻ってきた。5年前のことだ。
今回受賞作となったのは、2軒目のホテルだ。当初は半年でリノベを終える予定だったが、結局、オープンまで3年かかった。予想外に時間のかかった原因は、林さん自身が職人さんと一緒になって改装工事をしたことにあるらしい。できるだけ捨てずに生かしたい、という思いから、まずは丸角の構造を最大限に生かし、タイプの違う客室へと作り変えた。さらに元の建材とデザインを削り出し、窓枠やサッシレールや柱を素材として新しい活躍の場を与えた。変化は建材だけにとどまらない。
「1階のカフェは、日本人の方のお店です。最初のホテルのお客さんで、台湾に来ても毎日、自分で豆を挽くところからコーヒーを淹れていて。お客さんだったんですけど、そのうちに友達になり、2店舗目の計画段階で仕事のパートナーになりました」
一般的な客室タイプだけでなく、ゲストハウスタイプもある。最上階にはキッチンとフリースペース、洗濯機が用意されているのは、林さん自身の旅行者としての経験があるからだ。そして、台湾旅行者にとこう付け加えた。
「この一帯は、古い街並みが残っているエリアです。ちょっと脇道に入るだけで、台北のほかの地域ではあまり見られない、台湾の人たちの普段の暮らしを垣間見ることができます。そういった旅をしてみたい方に、楽しんでいただけると思いますよ」
歴史建築にあふれる物語を語り継ぐ
老屋新生大賞がスタートしたのは2001年のことだ。賞の創設から5年で審査委員になった施さんだが、運営者という立場になってから心がけてきたことがある。
「私たちが注目しているのは、リノベ後の建物の構造やデザインといった見た目ではありません。本業が観光業と都市のブランディングということもあり、海外からの観光客の方々をより満足させる視点を大事にしています。特に日本や韓国から来台するお客様は、観光地を訪ねて満足する旅から、さらに深みのある旅を求めています。そういった旅の好きな人たちが求めるのは、物語です。老屋新生大賞の受賞作品は、単に見て終わりの建物ではありません。ほかにはない物語の詰まった建物なんです」
3月20日、台湾の建築をテーマにした書籍2冊が同日刊行された。『台北・歴史建築探訪 日本が遺した建築遺産を歩く』(片倉佳史・著)と『台湾名建築めぐり』(老屋顔・著、小栗山智・翻訳)がそれである。前者が台北市内にある日本統治時代の建築を紹介するのに対し、後者は離島の建築がメイン。また1月には台湾でも『臺灣日式建築紀行』(渡邊義孝・著、高彩●・翻訳/●は雨冠に文)が刊行されている。
大量生産、大量消費という現代社会では、新しいものがもてはやされがちだ。おまけにグローバル企業の登場でいつか見た店が増え、結果として、どこも似たような顔になっていく。だが、歴史建築の存在によって、ここにしかない、唯一の街になり、人を惹きつける。そしてまた訪ねたいと思うのだ。