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チャンピオンたちが絶賛した和製の秘密兵器

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
他のメーカーと契約していたナジーム・ハメドも日本に特別オーダーを出した(写真:ロイター/アフロ)

 1970年12月7日、モハメド・アリは、マジソン・スクエア・ガーデンでオスカー・ボナベナと対戦した。その試合の計量後、記者に囲まれたアリは言った。

 「彼がドイツから秘密兵器を運んできてくれたんだ」。彼とはアディダス社の社員であり、<秘密兵器>とはアディダス製のリングシューズだった。 

 10月18日に本コーナーでUPした2001年4月7日のナジーム・ハメドvs. マルコ・アントニオ・バレラ戦の際、私は両陣営から”秘密兵器”に関する頼まれ事をした。

 「試合の日までに、MIZUNO製リングシューズを届けてほしい」

 ミズノ社のリングシューズは大阪・難波駅近くの工場で作られている。ベルトコンベアーで大量生産するのではなく、手とミシンで丁寧に作る。ジョージ・フォアマン、レノックス・ルイス、トーマス・ハーンズ、オーリン・ノリス&テリー・ノリス兄弟、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、リッキー・ハットンらがミズノのボクシングシューズを愛したのは、それだけ品質が高かったからだ。

 とはいえ、完成するのに時間を要する。オーダーを受けた後日本に連絡し、両選手にシューズを届けたのは記者会見の日となってしまった。

 

 アメリカの有名選手で最初にミズノを好んだのは、後にWBCウエルター級王座を獲得するミルトン・マクローリーだ。1979年に横浜で開催されたアマチュア世界ジュニア選手権に出場し、ウエルター級で優勝。会場にブースを設けていたミズノ社の社員に「V記念品」としてプレゼントされた。17歳のマクローリーは、ミズノのリングシューズと金メダルを手に、喜んで帰国。所属していたTeam KRONKの仲間にミズノのシューズを見せびらかす。余分にもらった数足を、KRONKのボス、エマニュエル・スチュワードが有望株に分け与えた。

 ミズノのシューズを受け取った一人が、トーマス・”ヒットマン”・ハーンズだった。

 「1回でもミズノを履いたら、他のリングシューズじゃ闘えないよ」

 ヒットマンもマクローリーもルイスもフォアマンも、そしてバレラやモラレスといったメキシコ勢も、名チャンプたちは異口同音にそう語った。

 ご覧の写真も、エマニュエル・スチュワードがハメドと共にミズノのシューズを持っているシーンである。結局、契約メーカーとの絡みがあり、バレラ戦で使用しなかったが、日本の技術はハイレベルなのだなと唸らされた。

 故スチュワードは言ったものだ。「KRONKの選手、全員に履かせたい。MIZUNOがベスト。セカンドベストは無い」と。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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