SHIN “芯”を求め、泥臭く一歩ずつ真っすぐ歩いてきた8年――「いいライヴをするために生きている」
ViViD解散後2016年ソロボーカリスト・SHINとして復活
シンガーSHINが躍動している。ヴィジュアル系バンド・ViViDのフロントマンとして活躍し、2015年バンドは解散。その後2年間の沈黙を経てソロシンガーとして復活。まさに“姿を消した”状態だったその沈黙の2年間については、2021年にインタビューし、どん底の生活からどう再生していったのかを語ってもらった。2017年に1stアルバム『Good Morning Dreamer』をリリースし、2018年には2ndアルバム『on my way with innocent to「U」』を発売。同年YouTubeチャンネル『SHIN LOIDチャンネル』をスタートさせ、その登録者数は現在14万人を超え、さらに伸長している。2019年には3rdアルバム『AZELEA』を発表。作品をコンスタントにリリースしながら、ライヴ活動を精力的に行なってきた。
事務所も移籍し、まさに新たなスタートとなった2023年は、これまで以上にライヴに力を入れ、12月20日には大きな目標だったZepp Shinjukuでのライヴも成功させた。「全部出し切ることができた」というライヴからしばらく経ったある日、これからについてインタビューした。
「12月のZepp Shinjukuでは本当に悔いがないライヴができました」
「本当に悔いがないライヴができました。今まで数え切れないほどライヴをやってきましたが、この手応えはもしかしたら初めてかもしれない」。そう晴ればれした表情でSHINは語り始めた。このライヴを目標にここまで走ってきただけに歌舞伎町でゲリラライヴを行なうなど、気合が入っていた。
「ちゃんとお客さんの顔を見ながら言いたいことも言えたし、歌もしっかり伝えることができたという実感があります。そう考えると何も悔いがない。ギリギリまでしんどかったですけど、そこに至るまでにやってきたことは一つも無駄じゃなかったなって。ライヴの2週間前に会場近くでゲリラライヴをやって、その時一人の男子が立ち止まって聴いてくれて、聴き終わったらライヴのチケットを買ってくれたんです。実際ライヴにも来てくれて、デジタル時代の今、顔が見えないやりとりがほとんどなのに、リアルに向き合えた気がして。もちろんライヴに来て下さった一人ひとりへの感謝がさらに深いものになったし、そんな出会いもあって、あのライヴをやって本当によかったと思いました」。
2023年は、SHINの“芯”を形成しようという明確なコンセプトがあった年
SHINは2018年にYouTubeチャンネル『SHIN LOIDチャンネル』を開設し、カバー動画やコラボ動画を次々と配信。ViViDの時代のSHINを知らない、新しいファンがその圧巻の歌に引きつけられた。人気番組『THEカラオケ★バトル』(テレビ東京系)にも登場し、当時の最高点を叩き出すなど、自らソロ道を切り拓いていった。2022年12月Spotify O-EASTで行なったライヴが「ソロ第1章が終了したターニングポイント」と語り、新たな思いで2023年を迎えた。
「バンド時代よりソロになってからの方が長くなりました。カバーを聴いて僕のことを知ってくださった方もたくさんいます。でもやっぱりSHINという歌い手をちゃんと知って欲しいと思ったので、去年はカバーよりしっかり作り込んだ動画を出していこうって思考を変えました。そういう意味では2023年はSHINの芯を形成しようという明確なコンセプトがあった年でした。事務所を移籍したのもそういうタイミングだと思うし、ソロになってから色々な事情でやりたくてもできないことも多々あったし、でもその中でも色々な出会いもあって、すごく充実した1年でした」。
『イナズマロックフェス2023』に出演した時に感じた不思議な感覚
2023年は通常のライヴの他にカバーライヴやコラボライヴ、フェスに出演するなどライヴ活動をさらに精力的に行なった。そのライヴの締めくくりがZepp Shinjukuだった。Zepp Shinjukuへと続く道の中で、特に印象に残っているライヴがあったという。
「どのライヴも印象的でしたが『イナズマロックフェス2023』(10月)のステージで感じた感覚は忘れられないです。MCの時に風が吹いてきて、あの時『今、俺すげえいいかもしれない』って思ったんです。時が止まった感覚というか、なんて表現していいかよくわからないのですが、ゾーンに入ったというか…。あれは不思議な感覚でした」。
筆者もこのステージを観ていたが、初めての『イナズマロックフェス』への出演ということもあり、気迫あふれるステージながらも、歌もMCの言葉も“自然体”で、与えられた短い時間の中でSHINというアーティストの本質、メッセージをきちんと伝えることができたのではないだろうか。
「新しい扉を開いた一曲になった」デジタルシングル「NEON」
2023年12月8日に配信したデジタルシングル「NEON」は、SHINにとって新機軸の楽曲になっている。それまでのバンドサウンドから一転、デジタルサウンドとキャッチーなメロディに、初めて主人公を女性した歌詞を乗せたポップなデジタルロックだ。「新しい扉を開いた一曲になった」と手応えを感じているようだ。
「Zepp Shinjukuのライヴでこの曲を初めて歌った時、今まではロックばかりやってきて全然アプローチが違うので、ファンの方が戸惑わないか心配でした。でも蓋を開けてみると皆さんすごく乗ってくれて、『NEON』があることでライヴに立体感が出た気がします。お客さんが喜んでくれたことも凄く嬉しかったし、ネット系ビジュアルロックというコンセプトで歌っていますが、自分の中でこういう曲も歌えるんだって、ボーカリスト像が広がった気がして。そういう意味で手応えを感じたし、温めて行きながら長い時間かけて広がっていく曲だと思っています」。
SHINが描く理想のボーカリスト像
SHINが描く理想のボーカリスト像――その先には「昔から憧れていた」というGacktの姿が見えている。
「エンターテイナーというか、人を楽しませることができる人に憧れていて。僕はGacktさんに影響を受けてロックに目覚めてバンドを始めました。圧倒的なボーカルパワーで、ライヴにはエンタメ要素を取り入れて、とにかくお客さんを楽しませようとするその姿勢は凄いと思います。最近お会いする機会があったのですが、一つひとつの言葉がもうビシビシ入ってきて。尊敬している方だし、理想とするボーカリストですが、まだまだ僕はその足元にも及びませんが、誰かっぽいということではなく、まずSHINという一人のアーティストとして確立していかなければと、Gacktさんにお会いして強く思いました」
「“SHINの音楽”を追求してきた8年」
ソロとして活動をスタートさせ今年で8年。1stアルバム『Good Morning Dreamer』には自分が信じる音楽を詰め込み、2ndアルバム『on my way innocent to 「U」』はとにかくやりたいことを楽しみながら作り、3rdアルバム『AZELEA』はもっと幅広いリスナーに聴いて欲しいと試行錯誤しながら完成させた。そして2022年に発表した、ファンクラブの名前を冠した渾身の一作「ECHO」。そこから新たなアプローチとして「NEON」へと続く。冒頭にもある「バンド時代よりソロになってからの方が長くなりました」という言葉通り、ViViDという大きな存在からソロになって自分で道を切り拓き、“SHINの音楽”を追求してきた8年でもある。
「ソロになったばかりの時はViViD時代の反動でロックや、よりオルタナティブな音楽をやりたいという気持ちが強くて、1stアルバムは今でも最高傑作だと思っています。もちろんViViD時代は大切だし、ライヴで昔の曲を歌うとめちゃくちゃ盛り上がるし、僕もファンの方も一瞬で昔に戻れるので、それはそれで嬉しいのですが、正直、元ViViDのSHINではなくて、ソロシンガーSHINとして音楽を聴いてもらいたい気持ちが強いです。でも結局やっていることは歌なんです。ここは絶対ブレていないのでそれは多分ずっと応援してくださっている方も、新しくファンになってくださった方にも伝わっていると思います。色々なことをやっているので、あいつ何者?みたいな感じで見ている人もいると思いますが、でも結局やってることは歌なんです」。
「2023年はそれまでに撒いた色々な種が少し芽を出してきた。2024年はそれを育てて刈り取りたい」
目の前のことをがむしゃらにやり続け、気が付いたら8年に経っていた――SHINはたぶんそんな感覚で突っ走ってきたはずだ。不器用で熱い男。だから先輩も後輩も、周りの人もSHINに会った人は全員惹かれてしまう。人としての魅力がSHINの最大の魅力だ。巻き込み力、吸引力を持ち、色々な機会が巡ってくる。今年も色々なシーンでSHINの名前を見ることができそうだが、あくまで軸足はライヴに置いている。
「2023年は、それまでに撒いた色々な種が少し芽を出してきた感じがしていて、2024年はそれを育てて刈り取りたいです。自分以外の人が書いた『NEON』という曲によって、新しい血が入ってきて、新しい風が吹いてきた感じがしていて、ライヴの見え方や自分の在り方が変わりました。色々な可能性が見えてきました。僕はみなさんによりよいライヴを届けたい、いい景色を見せたいということだけのために生きています。そしてもう一度日本武道館のステージを目指します。だから周りの人を巻き込んで、迷惑をかけてしまうこともあるかもしれませんが、目の前の一歩をちゃんと踏めないと、その次の一歩も踏めません。そういう生き方をしてきたので、それはこれからも変わらないと思います」。