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ドラフト候補カタログ【10】山田義貴(西部ガス)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 2017年の、アジア・ウインター・ベースボール(AWB)。日本、韓国、台湾の若手プロ相手の武者修行といえるこの大会で山田義貴は、終盤の7日間で3試合に先発していずれも勝利と存在を大きくアピールした。そのうち日本のウエスタン選抜とは、5回を無失点に抑え、台湾プロ選抜戦では9回を被安打4の無四球完封で、

「海外で投げるのは初めてでしたが、まっすぐが通用し、それで押せたのは自信になりました。しっかり腕が振れたので、落ちる変化球も効いたんでしょう」

 と、本人も手応えを感じていた。

あこがれは東浜巨?

 沖縄のあげな中出身。ちなみに当時の同級生で、投の二本柱を形成した屋宜駿杜は、現在東邦ガスでピッチャーとして活躍しており、全国のガス会社大会では対戦経験もある。山田本人の沖縄尚学高から亜細亜大というキャリアは、東浜巨(現ソフトバンク)と同じだが、

「よくいわれるんですが、東浜さんにあこがれた、というわけではなくて(笑)。もちろんすごい人ですし、確かに高校、大学の先輩で、実家も割合近く、中学のときの指導者はかつて東浜さんも教えていたといいます。ただ、強いチームでやりたいという選択の結果が、たまたま東浜さんと同じ進路だったんです」

 大学時代は「ほとんど勝っていません」という山田。17年のルーキーイヤーは、タイミングを外したつもりがうまく拾われる社会人の技術に戸惑ったが、まっすぐやチェンジアップ、ツーシームを武器に、先発の柱として都市対抗のマウンドも経験した。ここは東京ガスにKOされたが、シーズン通して防御率2.18と合格の数字を残すと、18年もチーム最多先発で防御率2.25と、もうすっかり大黒柱だ。

 そして今季。「17年のAWBのときから比べても、まっすぐの質が変わったんですよ」と山田はいう。

 3月の末、ソフトバンクの若手とオープン戦を行った。山田は3回3失点で途中降板し、チームも0対6で敗戦。ことに、7回まで投げた武田翔太には軽くひねられた。打者陣に聞くと、

「武田さんは球の質がすごい、というのは当然として、前腕がすごく大きい、力強い、という声があったんです」

 ピンときた。かねてから、リリース時にはボールを「叩く」感覚を大切にしていたが、叩く力が強ければ、もっとボールが伸びるのではないか……。下半身強化は、むろん取り組んできた。それが、課題の制球力の向上に結びつきつつある。ただ、叩く力を上げるにはどうすればいいのか。前腕強化のヒントを動画サイトで探すと、菅野智之(巨人)や山岡泰輔(オリックス)が取り組むトレーニングの動画があった。

「ダンベルの丸い部分を右手で持ち、それを離したりつかんだり。むっちゃきついんですが、積み重ねることで、リリースでボールを"叩く"感覚がすごく強くなったんです。実際に打者と対戦すると、"やばい"と思った明らかな失投も打ち損じてくれる。打者の反応からも、まっすぐが強くなったと感じますし、捕手からも"伸びてるね"といわれるようになりました」

 春先は不満足な内容だったが、5月の九州大会決勝では、「まっすぐに強く、打ち出したら止まらない感じ」の三菱日立パワーシステムズを5安打で完封し、初優勝の立役者となるのである。

140キロでも抑えるまっすぐの質

「最速は147キロですが、あの試合では140キロそこそこでも、あまり外野に飛ばなかったんですよね」

 チームは今年、都市対抗出場を逃したが、山田自身はHonda熊本に補強され、3年連続で東京ドームのマウンドを踏んだ。さらに8月末からは、社会人侍ジャパンの一員としてフランスに遠征し、Yoshida Challengeの2試合に先発して11回3分の1を無失点。大会ベストピッチャーに選出されている。ミスター社会人ともいえるエース・佐竹功年(トヨタ自動車)ほか、ドラフト候補も名を連ねる豪華メンバーの遠征で、

「佐竹さんには、畏れ多くてあまり話を聞けませんでしたが、"チェンジアップは握りつぶして投げる感じ"とお聞きしました」

 沖縄育ちだけに、プロ野球のキャンプ期間はよく、各チームの練習を見に行った。「野球をやっている以上は、あこがれ」という、そのプロからの指名を待つ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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