「KENZO」高田賢三さん 世界と日本のファッションを変えた先駆者 7つの偉業を振り返る
様々な業績を残した「初めて尽くし」のファッションデザイナーだった高田賢三さんが亡くなりましたが、その偉業は今も色あせてはいません。「KENZO(ケンゾー)」ブランドを立ち上げ、日本人デザイナーの世界進出に道を開いた高田さんの「初めてストーリー」をあらためて振り返ってみます。
日本人初のパリ進出
1939年に兵庫県姫路市で生まれた高田さんは神戸市外国語大学を中退して、男子生徒の初募集に応募する形で文化服装学院に入りました。コシノジュンコさん、松田光弘さん、金子功さんとは同窓で、「花の9期生」と呼ばれました。高田さんのキャリアを劇的に変えたのは、65年の渡仏です。
70年にはパリで初のファッションショーを開催し、初のブティック「ジャングル・ジャップ」を開きました。日本人デザイナーの本格的なパリ進出はこれが初めて。店名にも日本人のプライドが感じられます。
旅から着想を得ることが多かったという、形式にとらわれない、軽やかで伸びやかなテイストは、伝統的なパリ・モード界に新風を吹き込みました。今では誰もが知る「ポシェット」を広めたのも高田さんだといわれています。
エスニックファッションの先駆け
アジアや中南米、アフリカなどの民族衣装を源流とするエスニックファッションは今では当たり前の存在ですが、モードの世界へエキゾチックテイストを本格的に取り入れたパイオニアの一人が高田さんです。多様なフォークロア文化に目を向け、大胆な原色使いや、ゆったりとしたシルエットを、モードルックに写し込みました。
母国の着物に代表される、直線的なパターンの採用は、それまでのヨーロピアンな服づくりを揺さぶりました。西洋とそれ以外を融合したクリエーションは今のデザイナーたちにも大きな影響を与え続けています。民族衣装に多く用いられる木綿素材を持ち込んだ点でも先駆者といわれています。
ミックスコーディネートの大先輩
私たちが現在、好んでいる着こなしの一つに「ミックスコーディネート」があります。異なるテイストや色・柄の服を、あえて引き合わせることによって、自然なこなれ感を生むスタイリングです。近年はミリタリーやワークウエア、アウトドアなど、フェミニンな装いとは別ムードのウエアを組み込んで、まとまりすぎを避けるコーデも人気を博しています。
こうした大胆な色・柄の組み合わせでも、高田さんは大先輩にあたります。スーツのようにまとまったルックが主流だったパリ・モード界に、民族衣装や旅、自然界からの着想で生み出された「ケンゾーモチーフ」は衝撃を与えました。そうしたミックスアイテムを織り交ぜたレイヤード(重ね着)も高田さんの遺産です。
ファッションの「民主化」
かつてのパリ・モード界は上流階級や富豪を主な顧客とするオートクチュール(高級注文服)が主流でした。ピエール・カルダンやイヴ・サンローランが量産のプレタポルテ(既製服)を広めて、ファッションの「民主化」と呼ばれる現象が起きます。
おしゃれは特権階級の独占ではなくなり、一般大衆にも開かれていくわけです。70年代にこの波と出合った高田さんはプレタポルテを積極的に打ち出し、民主化の原動力となっていきました。
ブランドのグローバル継承
自らの名前を冠したブランド「ケンゾー」を、世界最大級のブランド企業グループ「LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン」へ93年に売却しました。欧米ブランドではブランド売却は珍しくありませんが、日本人の創業デザイナーが著名ブランドを、有力ブランド企業グループへ譲り渡したのはこれが最初でしょう。つまり、それだけのブランド価値をLVMHグループが認めていたということになります。
ブランドの再ヒット
LVMHグループが買い取った「ケンゾー」ブランドは、2011年から大ヒットを連発します。立役者になったのは、デザイナー職を受け継いだHumberto Leon(ウンベルト・リオン)とCarol Lim(キャロル・リム)の両氏。セレクトショップ「オープニングセレモニー」の創業者コンビは斬新なセンスでブランドを再生。でも、それが可能だったのは、高田さんが残した膨大なアーカイブ(過去のコレクション)があったから。「ケンゾー」は国をまたいだブランド再生の代表例となりました。
フランスに根付いた存在
パリ近くの病院で亡くなったことでも分かるように、高田さんは人生の大半をフランスで過ごしました。パリコレクションに参加した日本人デザイナーは少なくありませんが、これほどパリとフランスに愛された人は高田さんが最初ではないでしょうか。フランスの芸術文化勲章を受けるなど、日仏交流の橋渡し役としても高く評価されました。
パリのイダルゴ市長はツイッターで「パリは今日、自身が生んだ息子の一人の死を悲しむ」と投稿しました。このツイートでは「ケンゾー」と呼びかけています。今でもパリ市内には「ケンゾー」のショップがあちこちにあり、フランスに最も根付いた日本発ブランドと感じさせます。
業績はこれら7つにとどまりません。たくさんの業績を振り返ることができるよう、この先、大規模な回顧展が企画され、仕事を再評価する本も出版されることを願っています。日本が生んで、パリが育てた偉大なデザイナーの足跡を再確認してほしいと思います。