映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』の問いかけ 暴言、解雇、追放からの立ち直り
どちらも独創的なクリエーションで知られた2人のファッションデザイナーがジョン・ガリアーノ(John Galliano)氏とアレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)氏でした。マックイーン氏の『マックイーン:モードの反逆児』(2018年)に続いて、今回はガリアーノ氏のドキュメンタリー映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』が公開されます。世界中から非難を浴びた愚行を犯したガリアーノ氏の「その後」を追った作品です。ファッションに興味が強くない人でも心を動かされるような立ち直りの軌跡をたどった映画に仕上がっています。
■名声の絶頂に暴言で表舞台から去る
あらためて言うまでもなく、ガリアーノ氏は世界的なファッションデザイナーです。
「GIVENCHY(ジバンシィ)」や「Christian Dior(クリスチャン・ディオール)」などのビッグメゾンを任され、1990年代から2000年代のモード界をリードしました。「ガリアーノ時代」とすら呼べそうなパワーをみなぎらせていた時期です。同時に自らの名前を冠したブランドである「John Galliano(ジョン ガリアーノ)」も手がけていて、自己愛を示すかのような、ランウェイ上での派手なパフォーマンスでも有名でした。
しかし、名声の絶頂にあった2011年、反ユダヤ主義的な暴言を吐く動画が広まって、ガリアーノ氏は地位や仕事のすべてを失います。その後、しばらくは表舞台から姿を消したガリアーノ氏でしたが、2014年には「Maison Margiela(メゾン マルジェラ)」のクリエイティブディレクターに迎えられ、ファッショデザイナーとしての復活を果たしました。「メゾン マルジェラ」はオンリーワンのクリエーションで知られたマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)氏が立ち上げたブランドです。
「メゾン マルジェラ」での仕事ぶりは約10年間にわたってオートクチュールとプレタポルテの両方で才能を証明しています。今回のドキュメンタリー映画のタイトルだけを見ると、13年前の事件ばかりにフォーカスが当たっているようにも受け取られそうですが、実際はそうではありません。ガリアーノ氏の生い立ちや成長プロセス、キャリアヒストリーなどを丁寧にたどり、人物像や内面を照らし出しています。
■ビッグメゾンならではの多忙なスケジュールをこなす
ガリアーノ氏が自ら語っているので、推測ではなく、本当に本人が感じていたことが伝わってきます。もともとは内気な男の子だった彼はファッション名門校「セントラル・セント・マーチン」で友達と出会い、変わっていったそうです。ファッションの魅力に引き込まれていったガリアーノ氏は卒業制作で高く評価され、待ち望んだデザイナーデビューを迎えます。
早くから脚光を浴びて、「天才」とうたわれ、LVMHグループから認められて、「ジバンシィ」を任される――。シンデレラストーリーのように成功の階段を駆け上がっていきました。しかし、きらびやかなデザイナー人生の裏側ではあまりにも多忙な日々が徐々にガリアーノ氏をむしばみはじめていました。
デザイナー職という仕事は、アトリエにこもってデザイン画を描いていれば済むわけではありません。「ブランドの顔」でもある立場だけに、昼は雑誌をはじめとする各種メディアへの対応やビジネスランチ、会議などでてんてこまい。夜もパーティーでセレブリティーをもてなす日々。パーティーと聞けば、楽しそうだと勘違いする人もいそうですが、実際は気が抜けない接待やビジネスの場。内気なガリアーノ氏は毎日、心身共にへとへとだったようです。
次に就いたのは「クリスチャン・ディオール」のデザイナーです。ガリアーノ氏の創造力はここで最初の絶頂期を迎えました。グラマラスでゴージャス、そしてドラマティック。一時代を築きました。「ジバンシィ」ではショーの評価が高い一方で、服はデザインが難しすぎて、売れ行きにつながらないところがあったようです。でも、「クリスチャン・ディオール」では売り上げがどんどん増えて、ビジネス的にもサクセスをつかみ取りました。
■多忙からアルコールと薬物に浸る日々へ
ビッグメゾンならではの多忙なスケジュールがガリアーノ氏を追い込んでいきます。当時は年間で32回ものコレクションを発表していたそうです。
春夏と秋冬のプレタポルテ・メインコレクションに加え、プレフォール、プレスプリング、メンズ、オートクチュール、キッズ、ライフスタイル、ジュエリー、バッグ、シューズなど、それぞれで新作を披露する必要があり、その仕事を背負うのはガリアーノ氏だけ。加えて、自身のブランドもあります。当時はほとんど寝る間もなく、クレイジーだったと振り返っています。
プライベートの時間はほとんどなく、仕事だけの毎日。心がすり減っていったのも当然でしょう。体にも異常を来し、アルコールと薬物の誘惑から逃れられなくなっていきました。この頃、右腕的存在だったスティーブン・ロビンソン氏が死去。デビュー当時から支えてくれた人物でした。そのスティーブンを失い、精神のバランスが崩れたせいで、依存症が進行。スティーブンの不在は多忙にも拍車を掛けました。
心にぽっかり穴が空いたガリアーノ氏は深い谷に落ちたかのような心理状態になり、さらに気持ちがすさんでいったようです。人に見られることが増えて、外見が気になってしまい、ジムに通い始めます。ジムに通うことを好んだのは、悲しみを忘れることができたからでもあります。しかし、ジムを離れると、アルコールと薬物に浸る日々が続くようになっていました。
■アナ・ウィンター氏やケイト・モス、ナオミ・キャンベルが支えに
同じように英国からフランスへ移ってきたのがマックイーン氏です。「ジバンシィ」を離れたガリアーノ氏の後任がマックイーン氏でした。フランスモード界特有の風土で苦労を強いられたのも2人の共通点。マックイーン氏は2010年に自死を遂げます。ガリアーノ氏はこの時、マックイーン氏の気持ちがすごく理解できたそうです。自分がそうなってもおかしくなかったと感じていました。そして、翌2011年に反ユダヤ発言がきっかけで、ガリアーノ氏はブランドを解雇され、すべてを失ったのです。
発言や振る舞いそのものに弁解の余地がないことは本人が認めている通りです。映画タイトルにも「世界一愚かな」とあります。ただ、この映画が問いかけるのは、デザイナーがアルコールや薬物に頼らざるを得ないような、人間的とは言い難い仕事環境の問題点です。
仕事だけではなく、愛する母の死去という悲劇が重なったこともあって、マックイーン氏は追い詰められていったようです。デザイナーの孤独な立場も精神的に苦しくなる一因でしょう。サポートや逃げ道が必要な状況は時が経っても、あまり変わっていない気がします。
もてはやしてきた取り巻きが引き潮のように去っていく中でも、変わらない支援を提供したのは、米国版『VOGUE』誌編集長のアナ・ウィンター氏や、モデルで旧友のケイト・モス、ナオミ・キャンベルなどでした。誰もが彼を見放したわけではなかったのです。
ケイトは自身の結婚式のウエディングドレスをガリアーノ氏に頼みました。ガリアーノ氏にとってこのドレスを手がける仕事はリハビリになったそうです。ケイト自身も薬物問題を過去に抱えていました。業界から半ば追放のような状態にあったとき、マックイーン氏はショーの最後にケイトの幻像を映し出し、復帰の道を開きました。同じ業界に身を置く表現者同士として、苦しみを理解できていたのではないでしょうか。
ウィンター氏は「Oscar de la Renta(オスカー デ ラレンタ)」での期間限定の仕事を与え、ガリアーノ氏の復帰のきっかけを用意しました。ガリアーノ氏はユダヤ人が多く住むニューヨークへ来て仕事をしつつ、ユダヤ人の有力者に会って、謝罪を重ねていきました。ユダヤ教関連の本を読んで、同じあやまちを繰り返さないよう、学びを深めたそうです。
ガリアーノ氏はこの映画の中で「なぜ自分はあんな発言をしたんだろう。とても恥じている」と語っています。人間は誰もが自覚のない差別意識を心の中に持っていて、それを意識しなくてはいけないとも述べていました。今はアルコールも薬物もいっさい手を出していないそうです。映画を見る限り、彼の反省と決意は深く誠実なように映っていました。
■デザイナーを追い詰めない仕事環境が重要
あの事件の後、モード界にもデザイナーを取り巻く環境を見直す動きが広がったようにみえます。その意味からいえば、ガリアーノ氏の事件はモード界にいったん立ち止まって、状況を捉え直す機会になったのかもしれません。
大きなつまずきを経験したガリアーノ氏も今は「メゾン マルジェラ」で本来の才能を発揮しつつあります。マックイーン氏にもそういう道を選んでほしかったと改めて感じました。
ファッションデザイナーに限らず、多忙や孤独、プレッシャーなどは人間を追い詰め、精神を壊してしまいます。あやまちを犯した人を「愚か」とけなすのは簡単ですが、実は誰にでも起きかねないことです。自分だけではなく、自分の周りの大事な人がガリアーノ氏と同じような悩みや苦しみを抱えているかもしれません。「ゆっくりと死に向かっていた」と振り返るガリアーノ氏のような変化に気づいて、サポートの手を差し伸べてあげられるか。いろいろと考えさせられるところが多い、ファッション関係者以外にもたくさんの人に見てもらいたい映画です。
『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』
9月20日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかロードショー
配給:キノフィルムズ
(c) 2023 KGB Films JG Ltd
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