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「終戦の日は喜べばいいのか、悲しめばいいのか」『団地ともお』が考える「戦争」

てれびのスキマライター。テレビっ子
『団地ともお』(NHK)公式HPより/毎週木曜日 過去のセレクションが再放送中

終戦の日って喜べばいいんですか? 悲しめばいいんですか?

この問いに明確に答えられる“大人”は果たしているだろうか。

今年は「戦後70年」という節目ということもあり、例年以上に多くの戦争関連の番組が各局で放送されている。

特にNHKは、日本人捕虜の肉声を公開した「密室の戦争」、原爆投下直後に撮影された写真に映った被爆者の証言を元に最新技術でその真実に迫った「きのこ雲の下で何が起こっていたのか」、日米双方のプロパガンダ映画を検証した「憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ」、特攻作戦立案の軍の機密資料や幹部の証言を追った「特攻~なぜ拡大をしたのか~」、従軍看護婦の証言を通して戦争を描いた「女達の太平洋戦争」など、連日『NHKスペシャル』を中心に多くの戦争ドキュメントが放送された。

70年語り尽くされていたかに見えた「戦争」だが、決してそんなことはなく、新しい切り口や新証言などが数多いことが驚きで、現場レベルの作り手の“意地”のようなものが垣間見えた。

また、NHKではドキュメント以外でも戦争をテーマにしたものを放送している。

そのひとつがアニメ『団地ともお』だ。

『団地ともお』は主人公である小学4年生の男子・ともおと、彼が住む「団地」の人々の日常を描いたコメディアニメである。

今年2月最終回を迎えたが、今回、普段『あさイチ』を放送している枠で特別編「夏休みの宿題は終わったのかよ?ともお」として新作が放送された。『団地ともお』らしい脱力感でバカバカしい笑いを中心としながらも、全力で戦争と向き合っている名作だった。

クレジットを見ると原作者である小田扉が原案・脚本を担当(脚本は山田隆司も担当)、ストーリー監修に柳澤秀夫が名を連ねている。『あさイチ』でもお馴染みの方だろう。柳澤秀夫は、1990年から91年にかけて、湾岸戦争の数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残って多国籍軍の空爆後の様子を伝えたジャーナリストだ。後藤健二さんが殺害されたとき、『あさイチ』の冒頭で進行を遮ってコメントした(※参照:後藤さん殺害事件で「あさイチ」柳澤キャスターの珠玉の1分間コメント)ことが大きな話題を呼んだことで記憶に残っている人もいるだろう。

(※注:以降、ネタバレを含みます。なお、この回の再放送は8月18日(火) 午後1時5分~の予定)

冒頭に引用した「終戦の日は喜べばいいのか、悲しめばいいのか」という問いは、この『団地ともお』でともおが担任の教師に質問したものだ。「戦争終わったのは嬉しいけど、負けて終わって人がいっぱい死んだことは悲しいし、どっちかなぁと思って」と何気なく発したものだ。しかし、その何気なさ故、戦争の複雑さを浮き彫りにさせている、事実、担任教師は絶句し、答えられない。

今回放送された『団地ともお』の特別編「夏休みの宿題は終わったのかよ?ともお」は、夏休みのともおの日常を通して、こうした何気ない一言がいくつも挿入されている。

物語は大きく2つの軸で進んでいく。ひとつは、ともおが与えられた夏休みの宿題である「戦争についての作文」だ。もともと勉強や作文が苦手なともおは苦心しながら、ああでもない、こうでもないと考えるのだ。もうひとつは、ともおと同じ団地に住む女子高生・青戸さんの補講だ。その補講で「この国の近代史を教えてこなかったことが心残り」という教師が日本の近代史の授業を始め、やがてその授業に町の人々が「面白そう」と集まっていく。

こう書くと、いかにも戦争の話ばかりをしていると思ってしまうかもしれないが、まったくそうではない。

あくまでも本筋がそうであるだけで、普段の『団地ともお』がそうであるように、本筋以外のおバカな日常が延々と描かれている。

毎朝のラジオ体操、向日葵の観察、公園の陣地取り……、昼間は毎日のようにソーメンをすすり、宿題は先延ばしし、クワガタ採りに熱中する。

そんな日常の端々で、あくまでも日常会話の延長として、戦争についての話が団地の住民の間で交わされる。

「なんで戦争って起こると思う?」

「そりゃ戦争したい人がいるからよ」

「なによそれ。そのありきたりな意見、そんなことを言うアンタみたいなのがいるから平和になるための話し合いが進まないのよ。まず戦争なんかしたいと思う人がこの国にはいないって前提で話を始めないとね。進まないのよ、話が」

「非常識なことが常識になっちゃう時間なんだぜ、70年って」

「だれだって戦争は嫌に決まってますよ。でも戦争を強く否定するあまり、戦争を語ったり、学んだりすることを避けることもあるんじゃないかって」

そんな中でともおはたまたま道で出会った老人の荷物を運ぶ手伝いをしたことで、彼の戦争体験を聞く機会を得る。

最初はすぐに帰ろうとしていたが「冷えたスイカがある」という一言ですぐに思い直し部屋にあがったのだ。

彼の話を聞いているうちにともおは言う。

「なんか負けた話ばっかでつまらないな。勝ったときの話とかないんですか。

正直ピンと来ないんだよなぁ。戦争は悲惨だ、悲惨だって言うけど、負けたから悲惨なの?

もし勝ってたら8月15日は勝ったのを祝う日になってたの?」

それに対し、老人は激昂する。

「勝っても負けても戦争は戦争だ! じゃあ、君はいい戦争があるとでも言うのか! 戦場では人を殺すんだぞ!

あの戦争を知らないガキが生意気言うな!」

さらに、ともおは「戦争についての作文」を書き終わった同級生が「最後は『あの過ちを繰り返さないと亡くなった人たちに約束したいです』で締める。チョロいだろ?」と言っているのを聞いてやはり疑問を浮かべる。

「でも、死んでいった人はホントにそんなこと聞きたいんだと思うか?

昔の日本人にそういうのってケンカ売ってる気がしねえ?」

ともおは遊ぶことと食べることにしか興味がない少年だ。勉強も苦手だし、スポーツも得意ではない。

調子に乗って、バカなトラブルをたびたび起こしてしまう子供らしい子供だ。

「常識とされること」やその「前提」には無頓着だし、そもそも知らない。

けれど、いやそれゆえに時折、ハッとするような視点の一言を言ったりもするのだ。

世界地図を眺めながら、いつかの公園での陣地争いを思い出すともお。

ともお「日本は島国だから国境に線があるとか意識したことねえよな。オレ、戦争って国境があるから起こるのかと思ってよお」

同級生「むしろ国境があるから無駄な争いが抑えられているのかもよ」

ともお「団地の部屋が巨大な一部屋になってみんなで暮らすとしたら、それはそれで楽しそうだけど、ケンカは増えるだろうな。屁するたびに白い目で見られてさ」

ともおはずっと頭をひねりながら考え、それでも答えが見つけられずにいる。頭の中の整理がつかないまま、いてもたってもいれずに、ともおは自転車を飛ばす。怒らせてしまった老人の元に。そして、グチャグチャの頭の中そのままに、時折言いよどみながら語る。

「見ず知らずの……、しかもちょっと成績の悪いオレみたいな子孫のために……、いいとか悪いとかじゃなくて、昔の日本人が必死だったって思うと……、どう言ったらいいか分からないけど……、オレ、2学期は成績をもうちょっと上げて、先祖たちに命がけの甲斐があったとちょっとは思ってる……」

柳澤秀夫は、後藤健二さん殺害事件に対するインタビューで「戦争とか前線とか紛争のなかには、いつも繰り返される、どうにもいたたまれない不条理なものが凝縮されている」とした上でこう語っている。

「考えていく、というのが大切だと思うんですよね。簡単に答えが見つかるわけじゃないし、そういう方法がどこかにあるわけじゃないけど、考えることを止めてしまったらおしまいだし、考えつづけることがとにかく大切なことだと思う。考えることをあきらめちゃ、絶対にいけない。

四六時中考えているのはつらいし、夕方になれば夕飯、何食おう、とか、日常生活に埋没していくのことも無理のないこと。でも、それは、時々でいいから、どこかに、自分の記憶の中に呼び戻して、考えていかないといけない」

出典:『GALAC』2015年6月号

日常を大切にしながら、日常の中で、その日常がなければ考えられないことを考え続ける。

それこそがきっと、僕らができる正しい「戦争」への向き合い方だ。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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