長谷部健渋谷区長×野宮真貴対談<後編> エンタテイメントシティ・渋谷の未来予想図
長谷部健渋谷区長と野宮真貴の対談、<前編>では、野宮真貴が歌う「渋谷区基本構想」のPRソング「夢みる渋谷 YOU MAKE SHIBUYA」についてを中心に語ってもらった。<後編>ではエンタテイメントシティ・渋谷の未来予想図を二人に描いてもらった。
「エンタテイメントシティ特区」構想で、渋谷をさらに進化したエンタテイメント発信基地へ
――長谷部さんが思い描く渋谷の姿に向かって行くために、音楽、エンタテインメントの力は欠かせないものですか?
長谷部 渋谷と魅力という事を考えた時にはハズせないものです。エンタメ、クリエイティブ、それからITもそうです。IT周りから起こるイノベーションも、クリエイティブの部類に入ると思います。もっともっと音楽や演劇、ダンスも含めてエンタテイメントを渋谷に集めたくて、今「エンタテイメントシティ特区」構想を進めています。コンベンションスペース、ギャラリー、クラブなどを、規模に関わらず付設する施設は規制緩和して、その上階は住居区域にしてはどうかと考えています。都心のこの街の中心に、人の息吹が24時間存在した方が、街としてはいいと思います。
「東京は、文化やクリエイティビティという面では、アジアの中での都市間競争は優位にある。渋谷に、クリエイティビティを発揮できる場所を集めたい」(長谷部)
「渋谷もパリやロンドン、NYのような成熟した文化都市になって欲しい」(野宮)
――インバウンドを見込んで、夜間の消費を増やし、経済の活性化につなげる「ナイトタイムエコノミー」構想を、政府が進めようとしていますよね。
長谷部 その時は渋谷は真っ先に手を挙げたいです。外資系企業なども、ビジネスにおいてはもう東京ではなく、アジアの中ではシンガポールや上海に目が向けられているという空気を感じています。でもそんな中で、文化やクリエイティビティにおいては、都市間競争の中ではまだ日本、東京は優位にあると思うので、そのストロングポイントは伸ばしていかなければいけない。このままではそこも抜かれかねないと思います。だからこそ世界中から旅行者がやってくる渋谷に、クリエイティビティを発揮できる場所を集めたいと考えています。例えばダンスにしても、昔は不良がやるものというイメージだったのに、今は学校の授業でやるようになって、その底辺は確実に広がってきています。日本人の世界的なダンサーも次々と生まれて来ていて、でも結局海外に出ていって、海外のアーティストとツアーを回ったりしています。そういう方達が日本でもきちんとダンスを披露できたり、ダンスをもっと盛り上げるための場所があってもいいと思います。それと昔日本にもたくさんあった、ステージがあって、お酒もダンスも楽しめる大箱のキャバレーのようなものもあるといいかもしれませんね。
野宮 大人の遊び場が欲しいですね。仕事を終えた夫婦や友人同士が、音楽やお芝居をオシャレして楽しむ。パリやロンドンやニューヨークのような成熟した文化都市に、渋谷区もなっていって欲しい。
長谷部 そうなんです。ちょっと艶を感じるキャバレーのようなお店が、道玄坂にあるといいなと思ったり…。
――確かに渋谷は伝統と最先端のものが、いい塩梅で共存し、ひとつになっているイメージがあります。
長谷部 とにかく若い人が作り出す文化がいいんだという、フレッシュ信仰が日本全体を覆っていた事もあったかもしれませんが、渋谷もギャル、コギャルが増えたり、イメージが低年齢化しすぎた時もありました。
野宮 そうですよね、若い人の街というイメージが強くなりましたよね。
長谷部 でも今は、世の中で熟成肉とかチーズ、ワインとか、成熟したものがまた評価されてきていて、変わってきている気がします。
野宮 女性も、若さはもちろん魅力のひとつですが、成熟した魅力がきちんとクローズアップされ、評価される世の中になるといいなと思います。男性の方、女性をたくさん褒めて、素敵にエスコートしてください(笑)。
――ちなみに、長谷部さんは先ほど渋谷系の音楽を聴いていたとおっしゃっていましたが、他にはどんな音楽を聴いてきて、今はどういうものを聴いていらっしゃるんですか?
長谷部 最近は子供達と一緒に聴いたり、歌ったりするものがメインになりました(笑)。昔、小学6年生の頃から『ベストヒットUSA』を一生懸命観はじめて、次の日に友達と貸しレコード店に駆け込むという、洋楽好きの少年でした(笑)。中学一年生の時に「We Are The World」を聴いて、参加しているアーティストを調べて、片っ端から聴きました。高校に入るとビートルズや、リアルタイムでは聴いていない昔のアーティストを聴きはじめました。ボブ・ディランや、コーラスものが好きだったのでピーター・ポール&マリー(PPM)を聴いていました。歌える人、楽器が弾ける人、踊れる人は今も羨ましいです(笑)。
「「東京は夜の七時」には実は“渋谷”という地名は出てきませんが、私はスクランブル交差点をイメージして歌っています」(野宮)
――野宮さんといえばのピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」ですが、同じく「夢みる渋谷~」も渋谷区、東京、日本を代表するような曲になって欲しいですね。
長谷部 そうなってくれると嬉しいですね。「渋谷区基本構想」は息の長いプロジェクトですので、「夢みる~」も、派手なプロモーションをしなくても、区民にはおなじみの曲になるはずですから、10年後が楽しみです。
野宮 「東京は夜の七時」も、実は渋谷という言葉は歌詞には出てこないのですが、私は夜のスクランブル交差点をイメージして歌っています。作詞をした小西康陽さんには聞いた事がないのですが、舞台はたぶん渋谷だと思います(笑)。聴いている人も、そう思って下さっているのではないでしょうか。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの時も、渋谷区や長谷部区長と一緒に何かお手伝いできたらと思っています。私の今の夢は“東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式で「東京は夜の七時」を歌う!”ですから。
「渋谷がどうなるか、明確なゴールのイメージはなく、どう変化していくのかを楽しみにしている」(長谷部)
――今、渋谷は長谷部さんが先頭に立って、色々な発想やアイディアを持った人が集まってきて、渋谷をもっと面白い街にしたい、という気運が高まっていますね。
長谷部 そうだと嬉しいです。私が渋谷を作るとか、そんな大それたことは決して思っていなくて、私ができる事は、皆さんに、何かができそうだなと思ってもらえるように土壌を整えたり、雰囲気作りです。改めて、「YOU MAKE SHIBUYA」っていい言葉だなと思いますが、色々な人のやりたい事を実現できる街であれば、自ずといい街になっていくと思います。ですから明確なゴールのイメージはなくて、どう変化していくんだろう?というのを楽しく見ている感じです。私はこの街が地元なので、ずっと変化していくのを目の当たりにしてきました。だから変化する事は全然恐れないですし、それが街の価値でもあったので。ただ守るところはきちんと守るという事です。この街は和と洋がうまく混ざり合った街だと思っています。この街に育ててもらって今の自分がある、という気持ちが強くて、それなりの面白い大人になれたのでは、と思っています(笑)。学校で教えてもらえていない事を、街が教えてくれたと思っていって、例えば小学校低学年の時、夕暮れ時に明治神宮の前に立っていると、怖いんですよ。森の恐れ、社への恐れがあって、そういう事も教えてくれたし、リーゼントをしてロカビリー風の格好をした人に道を聞かれて教えたら、そのお礼にクレープを買ってくれて、怖そうな人には実はいい人が多いんだと思ったり(笑)。中学の時、109の前から道玄坂を見て、あっちは大人になってから行くエリアだってなんとなくわかったり(笑)。センター街が危ないなと思う時期があったりもしましたが(笑)、そういう事ってこの渋谷区にいるからこそ学べた事で、自分を育ててくれた街に、恩返しをしたいという思いが年々強くなっているのは確かです。
――野宮さんはこれからも渋谷とは、切っても切れない縁のように、一緒に歩んでいくという思いが強いですか?
野宮 「野宮真貴、渋谷系を歌う」と宣言していますので(笑)。
長谷部 「渋谷のラジオ」の開局から番組をやっていただいているので、これからもずっと一緒にやっていきたいですね(笑)。
野宮 そうですね、ラジオも一年半やってきて、毎回本当に楽しいです。
――野宮さんが歌っている「渋谷系」とそのルーツミュージックを聴いていると、音楽達も渋谷の街に似合いますよね。
野宮 「渋谷系」の音楽って、恋する時の気持ちを歌っているものが多いのですが、“この人と一緒にいたい”って願う時の、ときめきや希望や幸せな気持ちというのは本当に大切ですよね。恋人同士や友人同士って一番小さいコミュニティーですから、それがまず基本にあると思うんです。「夢みる~」にもそういう要素が入っていますし、みなさんに聴いていただいて笑顔になるような曲になったと思いますし、それが色々なバージョンで歌い継がれていくのが、楽しみです。