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やはり「日本版DBS」は間違っていると思う(追記あり)

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(提供:イメージマート)

性犯罪前科(前歴)をチェックして、該当者を一定の職種に就くことから制限(排除)する「日本版DBS」に対する国会審議が本格化している。その中で明らかになってきたことは、性犯罪前科チェックの、(1) 対象となる性犯罪の種類を拡張すべきであり、(2) 照会するその期間も延長すべきであり、(3) 職種も拡大すべきであるという意見が非常に強いということである。

対象となる性犯罪の種類の拡張

何に性的興奮を覚えるのか(性癖)は、人によって実にさまざまである。議論の中では、下着泥棒(窃盗罪)や精液を人にかけるような行為(器物損壊罪)なども対象に含めるべきだという意見が強かった。

しかし、いくら性的動機があっても、それらは行為の客観的評価としては他人の財産を侵害する財産犯である。サディストも、他人に暴行(極端な場合は殺人行為)を行なうことで性的興奮を覚える。しかし、これは一般的な意味において「性犯罪」ではない。

この点は、とくに平成29年の最高裁大法廷判決において、強制わいせつ(現在の不同意わいせつ)罪においては、原則として犯人が性的意図を満たそうとしたのか否かは重要ではないとの判断が出て、一般人が客観的にその行為に性的意味を読み取りうるのかどうかが問題とされるようになった。この判例の考え方からいえば、一般人が理解しがたい異常性欲を性犯罪のカテゴリーに入れることは難しくなった。この点の縛りを外すと、「性犯罪」が際限なく広がっていくことになるのである。

〈追記〉(2024年5月23日)

  • 「下着窃盗」は、罪名としてはあくまでも窃盗であり、財産犯に分類される。これを「特定性犯罪」に分類すべきだという要請は、前科照会に際しては単に罪名で判断するのではなく、さらに犯行の動機などを問題にして、(児童に対する)下着窃盗の再犯の可能性があるのか否かの判断を行なうべきであるという主張だと理解される。
  • そうすると、法案で「特定性犯罪」として挙がっている他の犯罪についても、さらに個別に具体的な動機を問題にするということでないと、一貫性が取れない。
  • たとえば、刑法第177条の不同意性交等罪は配偶者に対しても成立するが、その動機を問題にするなら、この種の犯罪はおよそ児童に対する再犯の危険性があるとは思えない(他にもあるだろう)。つまり、前科照会に際しては単純に罪名を問うのではなく、さらに犯行の動機など、個別具体的な判断を行なうということでないと、法律としての統一性が保てない

照会する期間の延長

法案では、拘禁刑の場合は執行後20年、執行猶予と罰金刑の場合は10年まで遡って、性犯罪前科(前歴)の有無をチェックすることになっている。この期間をさらに延長すべきだという意見が強い。10年や20年で性犯罪の再犯リスクがなくなるものではないというのがその理由であり、これを刑事裁判記録の保存期間に合わせて、刑に応じて50年または20年とすべきだという意見も出されている。

しかし、素朴な疑問であるが、かりに10年前に痴漢で罰金刑となったが、その後猛省して何事もなく真面目に働いている者も、(現職にも適用があるので)性犯罪前科チェックを受け、それが発覚すれば、以後「性犯罪者」との扱いを受けて、配置転換などの措置がとられることになる。しかし、このような人のどこに「危険性」があるのだろうか。納得できる説明はなされていない。

職種も拡大すべきだという意見

あまり議論になっていないが、法案における「児童」とは、18歳未満の者すべてである。学校等に通っているのか否かは関係ない(法案第2条1項)。一般に「児童」といえば、多くの人は小学生や幼稚園児などを思い浮かべると思うが、中学生や高校生、あるいは義務教育を終えて働いている18歳未満の者も法案では「児童」である。

政府答弁では、子ども(児童)との密接な人間関係について「継続性」があり、指導など優越的立場の「支配性」、さらに他者の目に触れにくい「閉鎖性」の3要件があれば、性犯罪歴を確認する要件になるとのことである。

よく考えれば、このような職種は、社会のかなりの部分に及ぶだろう。教育や保育の現場のみならず、高校生のアルバイトを雇っているコンビニ、スーパー、書店、飲食店、さらに義務教育を終えて働いている者がいた場合、その職場などにおいても上記3要件が満たされれば、そこの職場の従業員などは性犯罪前歴チェックの対象となることになる。法案のこのような解釈は間違っているだろうか?

これら3つの論点を重ね合わせると、この法案が賛成されたあかつきには、社会のきわめて広い範囲に性犯罪前科チェックの仕組みがじわじわと広がっていくのである。

えん罪の問題はどうするのか

今までの議論を見ていて、政府も推進派のだれもえん罪について言及していない。法案は、都道府県の条例違反も対象にしているので、とくに電車内などの痴漢も対象である。しかし、これにはえん罪が多く、(実際の数は分からないが)大きな社会問題になっているほどである。

学校や保育などで働く性犯罪前科チェックの対象者は、少なくとも約230万人はいると言われている(塾などを含めると数百万人)。この中には相当な数のえん罪被害者もいるに違いない。無実だけど、職場や家族に知られなければと、しぶしぶ罰金を支払った者、あるいは(DBSの対象者ではないが)しぶしぶ相手と示談をして不起訴になった者もいるだろう。この人たちが、性犯罪前科チェックを受けて前科が発覚すれば、それ以後職場で「性犯罪者」として扱われていく。この人たちに名誉回復の手立ては存在しない。余りにも悲惨ではないか。

子どもに対する性犯罪が卑劣で悲惨な重大犯罪であることはもちろんであるが、前科チェックは当然のことながら、ほとんどが初犯である教育や保育現場での性犯罪を防ぐことはできない。重要なのは、初犯再犯の区別なく、そもそも子どもに対する性犯罪そのものを防ぐにはどうすればよいかである。過去の前科を使って人を選別し、性犯罪の予防に使うというその発想じたいが、今の刑事政策に合うのかどうか疑問である。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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