知らないと損する恋愛の法則「憧れたら負け」←元祖「心理学者」が示唆「好きと憧れの違いがわかった」
恋にのたうちまわった元祖「心理学者」であるキルケゴールの生きざまと思想からわかることの1つとして「恋愛は憧れたら負け」という法則があります。
それはどういうことなのでしょうか。以下に一緒に見ていきましょう。
あのインフルエンサーのようになりたい!
たとえば、有名なインフルエンサーに憧れている女性がいるとしましょう。彼女はそのインフルエンサーのような魅力的なスタイルと前向きな性格を手にすることができれば彼氏ができると思っており、日々ダイエットや自己啓発に励んでいます。
簡単に言えば「あのインフルエンサーのようになりたい」と思っています。それでは恋愛はできません。
なぜなら、自分を生きていないからです。
今の「この自分」を抜け出してなんらか「別の自分」になろうとすることを、キルケゴールは絶望と呼びました。
つまり、インフルエンサーに憧れているその女性はじつは、自分の人生に絶望しているのです。それでは恋愛するのがむずかしいことくらい、誰もが即座に理解できるでしょう。恋愛とはふつう、「今のそのあなた」を相手が好きになる営為なのですから。
ホストにハマる女性とは
ところで最近、ホストにハマる女性に関する報道がYahoo!ニュースなどに出てきますが、それも同じ構造です。ホストは憧れられる側です。他方、ホストにハマる女性は憧れる側です。
これを先の絶望になぞらえていうなら、彼女はそのホストとつきあうことによってなんらか別の自分になれると信じ込み、必死になって彼を追いかけていると言えます。
しかし私たちは、「別の自分」になどなれるはずもなく、今の「この自分」を生きるしかないわけですから(この自分以外、いったいどの自分を生きるというのでしょう)、彼女は幻を信じていることになります。
ユーミン「ひこうき雲」
憧れの気持ちというのは、恋にのたうちまわったキルケゴールの思想に依拠するなら、私たちの心に宿る永遠、すなわち神ではないけれども神につながっているなにかが、私たちに理由もなくもたらすものです。つまり、理性(言葉や数字)で割り切ることのできない気持ちが憧れです。
たとえば、ユーミンの「ひこうき雲」の歌詞には、空に憧れる「あの子」が登場します。「あの子」がなぜ空に憧れているのか、誰にもわかりません。ユーミンもわからないと書いています。おそらく「あの子」本人にもわからないはずです。なぜか憧れているとしか言えないでしょう。なぜなら憧れとは、永遠という非論理的な気持ち、すなわち完全には言葉にできない気持ちだからです。
ちなみに「好き」と「憧れ」の違いがわからないという人がいますが、「憧れ」が言葉や数字で割り切ることのできない気持ちであるのに対し、「好き」は言葉や数字で割り切ることのできる気持ちです。「私は〇〇が好きです。なぜなら△△だからです」と言い切れる気持ちが「好き」です。
恋愛になる恋、ならない恋
さて、現実に目を向けた時、じつは誰だって「憧れたら負けだ」ということくらい知っているでしょう。憧れるというのは下から上を見上げるということであり、最初から「私は下。あなたは上」と思ってしまえば、恋愛になどなるはずがないからです。遠くから憧れの人を眺めて終わりでしょう。
そうではなくて、たとえ憧れる気持ちがあるにせよ、それをぐっとこらえて相手と同じ立ち位置に立つこと。どうしても立てなければ、同じ位置に立とうと気持ちを奮い立たせること。そこから始まるのが恋愛です。
生まれ持ったものを活かす
では、どのようにすれば気持ちを奮い立たせ、相手と同じ土俵に立つことができるのでしょうか。
答えは1つです。自分の生まれ持ったものを活かす。これだけです。
生まれ持ったものの中には、いいものもあれば、よくないものもあります。その両方を活かすのです。先にも述べたとおり、いかに「別の自分」になりたいと思ったところで、私たちは「この自分」を生きるしかないからです。
この自分を生きる。すなわち生まれ持ったいいところもウィークポイントも、すべてを活かすこと。そのことがいい恋愛につながります。