まともな投信1%、森信親金融庁長官が斬る業界の悪弊
森信親金融庁長官は、4月7日に行った講演で、積立NISAの対象となり得る投資信託が全体の1%にも満たないことを述べて、業界関係者に対して改善を強く求めました。そのなかで、従来にも増して厳しい表現を用いながら業界の構造的欠陥を指摘し、抜本的な改革の必要性を訴えたのですが、さてさて、業界人の心に響いたのか。
森信親金融庁長官の講演
日本証券アナリスト協会は、毎年、大規模な「国際セミナー」を開催していて、今年は4月7日に行われたのですが、その冒頭で金融庁の森信親長官が基調講演をしたのです。その講演録は、同日に金融庁のウェブサイトで公表されていますから、どなたでも読めます。
金融界のものにとっては、もちろんのこと、絶対必読文献ですが、森長官ならではの語り口に磨きがかかって、非常におもしろい読みものになっていますし、平易な内容ですから、国民全体で広く読まれるべきものです。むしろ、森長官の基本思想からすれば、日本証券アナリスト協会のセミナーという場はどうでもよく、金融庁のウェブサイトでの公表を前提にして、国民に直接に語りかけたものなのでしょう。
積立NISA
実際、資産形成は国民の生活課題ですから、その重要な道具である投資信託の構造欠陥を鋭く指摘しているところは、全ての国民が知るべきです。
国民の安定的な資産形成というのは、高齢化社会において老後生活資金形成が決定的に重要な政策課題となることから、金融庁の最重点施策に掲げられているものです。なかでも目玉の施策が来年1月に始まる積立NISAです。
そこで、金融庁は、専門家に委嘱して「長期・積立・分散投資に資する投資信託に関するワーキング・グループ」を作り、そこで、積立NISAの対象として相応しい投資信託の条件を検討してもらっていたのですが、3月30日に、その報告書がまとまって公表されたばかりなのです。この報告書も、金融庁のウェブサイトに公表されていますから、ぜひ、お読みください。
金融庁では、この報告書に示された基準を実際に適用して、積立NISAの対象になり得る投資信託を抽出する作業をしたのですが、森長官は、今回の講演において、その検証結果について解説したわけです。なんと、それが実に衝撃的な内容だったのです。
もちろん、この検証結果は、3月30日に報告書が公表されたときに、金融庁から事務局説明資料として公表されてはいましたが、森長官自身の口から迫力ある表現で改めて発表された意味は極めて大きいのですし、また、日本証券アナリスト協会という資産運用のプロフェッショナル組織の主催するセミナーで発言されたことも、特別な意味をもちます。
まともな投資信託は全体の1%未満
森長官の言葉をそのまま引用するのが早いでしょう。以下のようにいわれています。
「日本で売られている公募株式投信は5406本ありますが、そのうちインデックス型株式投信は381本です。これから、複利の利益が得られない毎月分配型の投信、レバレッジのかかった投信、信託期間が短く長期投資を前提としていない投信を除き、ノーロードで信託報酬が一定率以下のものに限ると、積立NISAの対象として残ったものは50本弱でした。」
つまり、専門家が積立NISAの対象として適格であると認定できる投資信託は、全体の僅かに1%未満であったというわけなのです。実に驚くべき結果です。このような状況のもとでは、積立NISAを始めること自体が危ぶまれるといわざるを得ません。
ところで、実は、ワーキング・グループの示した基準が意図的に厳格すぎるものになっているという批判もあり得ます。この点については、森長官も承知のうえで、次のように述べています。
「ところが、同じ基準を米国に当てはめてみると、全く異なる結果となります。米国で残高の大きい株式投信については、上位10本のうち8本がこの積立NISAの基準を満たしています。一方、我が国の残高上位30本の株式投信の中で、この基準を満たしているのは29位に一本あるだけです。」
そして、こう続けているのです。
「我が国にも、この基準を満たさなくても実績の良い投信が存在することを否定するわけではありませんが、資産運用の専門家が、個人の安定的な資産形成に資すると勧める特徴を持った投信がこれだけ少ないという事実は、我々も業界も深刻に受け止める必要があると思います。」
「では何故、長年にわたり、このような「顧客本位」と言えない商品が作られ、売られてきたのでしょうか?」、これが森長官の次なる自然な問いであるわけです。
顧客本位
ここに顧客本位が登場するのは、少し唐突な感じもあります。しかし、実は、同じ3月30日には、金融庁は、投資信託改革の柱として、「顧客本位の業務運営に関する原則」を確定して公表しているのです。これは、いわゆるソフトローであって、資産運用関連事業に携わる全ての金融事業者に対して、真の顧客の利益に適うための行動原則を自主自律的に策定し、公表し、遵守するように求めるものです。
確かに、積立NISAの対象としての適合性と、顧客本位とは、次元の違うことです。しかし、ワーキング・グループの基準策定の方針は、真の国民の利益の視点から資産形成に相応しい投資信託を選択することにあったわけですから、それは理論的に顧客本位な基準でなければならないのです。故に、積立NISAの対象になり得ないということは、同時に、顧客本位ではないということなのです。
販売会社主導の実態
では、なぜ、顧客本位に反する投資信託ばかりになってしまうのか、長官のいうところを聞いてみましょう。
「日本の投信運用会社の多くは販売会社等の系列会社となっています。投信の運用資産額でみると、実に82%が、販売会社系列の運用会社により組成・運用されています。系列の投信運用会社は、販売会社のために、売れやすくかつ手数料を稼ぎやすい商品を作っているのではないかと思います。
これまでの売れ筋商品の例をみても、ダブルデッカー等のテーマ型で複雑な投信が多く、長期保有に適さないものがほとんどです。こうした投信は、自ずと売買の回転率が高くなり、そのたびに販売手数料が金融機関に入る仕組みになっています。」
つまり、ここでの森長官の認識は、販売会社主導のもとで、「売れやすくかつ手数料を稼ぎやすい」投資信託ばかりが作られ、販売される実態があり、そのような商品は、設計思想において最初から積立NISAの対象にはなり得ないものだから、やはり検証においても選択されないのであり、また、販売会社の利益が優先される限り、理論的に決して顧客本位たり得ないというものです。
もちろん、こうした業界の構造的な欠陥については、広く知られていることであり、業界の外からはもちろん、中からでさえ、常時、批判され続けてきたことです。しかし、牢固たる現実は、誰にも、金融庁にも壊すことができずに、今日に至ったわけです。
金融庁が積極的に動けなかったのは、実質的には顧客の利益に反していても、形式的には法令違反等の事実がなければ、どうしようもないからです。ここに、真の顧客の利益を守るために存在する金融庁の矛盾があります。この矛盾に気づいた森長官は、故に、金融機関自身の自律的な改革を促す施策に転じて、「顧客本位の業務運営に関する原則」の策定になったのです。
顧客本位こそ業界の利益
しかし、業界の利益のためにできた悪しき商慣行は、それを廃棄することの利益誘因がない以上、自律的には直し得ない、そのようにも考えられます。ところが、全く逆なのです。森長官は、顧客本位に徹することこそ業界の利益である、そのことは理性を働かして冷静に考えればすぐにわかるはずだと、業界人の理性に訴える主張をしているのです。例えば、次のような発言です。
「客観的な数字でみても、リーマンショック後の2009年から2015年までの6年間で、我が国の銀行預金は全体で589兆円から730兆円へと140兆円増加したのに対し、銀行の窓口販売による投信残高は、2009年の23兆円が2015年では22兆円へと、横ばいに留まっています。」
さすがに、森長官が講演の冒頭で述べているように、「お金を預けてくれた人の資産形成に役立つ金融商品・サービスを提供し、顧客に成功体験を与え続けることが、商品・サービスの提供者たる金融機関の評価を高め、その中長期的な発展につながることは当然」なのですから、逆に、業者の利益追求優先では、業界は発展しようもなく、事実、発展していません。つまり、そこには、巨大な逸失利益があるのです。
「見える化」
金融庁には、自律的改革を促すだけではなく、それを加速させる施策もあります。それが「見える化」です。また、長官の言葉を引きましょう。
「顧客が適切な選択を行なうための条件さえ整えれば、みせかけでなく真に顧客のニーズに資する商品・サービスを提供する業者が発展するのが、業種や洋の東西を問わず成り立つ原則だと思います。安くて美味しいレストランは賑わい、まずくて高い店は淘汰されています。金融商品は、その真の価値やコストが分かりにくいですが、「見える化」への努力を行なっていく必要があります。」
そして、続けて、次のようにいうのです。
「高い運用力を持つ金融機関、顧客本位が組織に根付いた金融機関が発展し、顧客本位を口で言うだけで具体的な行動につなげられない金融機関が淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境を作っていくことが、我々の責務であり、そのため行政として最大限の努力をしていくつもりです。」
淘汰という用語が二度もでてくるのは、かなり物騒な感じですが、実は、淘汰こそ、森長官の思想を象徴するものなのです。森長官にとって、もはや、行政の対象は金融機関ではなく、国民なのです。国民を賢くすれば、愚かな金融機関は市場原理で淘汰され、賢い金融機関のみが成長するので、日本の資産運用の能力は、顧客の視点において、顧客本位の徹底の方向において、急激に向上していく、これが森長官の理論です。
淘汰という言葉を森長官が用いることについて、感情的に反発したり、怖れ慄いたりするような金融機関は、その故にこそ、淘汰されるのですし、淘汰されることが国民の利益です。逆に、そこに森長官からの励ましと応援を読みとり、大きな成長の機会をみいだすものは、自己の資産運用の専門家としての能力に自負をもつものであり、顧客の資産形成に貢献できることに誇りと情熱を感じるものです。
プロフェッショナルの自覚
自負、誇り、情熱、いずれも組織のものではなく、個人のものです。森長官の講演のなかで、秀逸なのは次のくだりです。
「運用会社の社長が運用知識・経験に関係なく親会社の販売会社から歴代送り込まれたり、ポートフォリオ・マネージャーは運用者である前に○○金融グループの社員であるという意識が強く、運用成績を上げるより定年までいかに間違いをせず無事に勤めあげるかが優先されてはいないでしょうか。」
さすがに、この箇所は、聴衆の心に刺さったはずです。そうでなければ、日本の資産運用の未来はないのです。実際、森長官も講演の締めくくりに、次のように述べています。
「日本人は優秀で勤勉です。その潜在的な能力は国際的に見ても決して遜色がないと私は信じています。それを引き出すような経営、ガバナンスが必要です。これまでのやり方を続けていては、今後十年経っても二十年経っても何も変わらず、日本の資産運用業は衰退していくだけではないでしょうか。」
要は、経営者の問題なのです。その経営者が「運用知識・経験に関係なく親会社の販売会社から歴代送り込まれたり」していては、どうにもなりませんから、経営体制の刷新こそ、真っ先に「顧客本位の業務運営に関する原則」で対応されるべきことになるわけです。
それにしても、興味を引くことは、森長官の講演の後に、「日本の資産運用会社の課題と戦略」という演題があって、そこで、そのような運用会社の、そのような社長が講演をしたらしいことです。さて、どのような内容だったのでしょうか。ただただ、森長官の期待に真に応える立派なものだったことを、そして、それが「顧客本位を口で言うだけ」のものでないことを切に望むのみです。