「音のない世界」で磨かれた個の力。期待の長身ドリブラー・FW笹井一愛がプロリーグで刻む新たな一歩
【先天性難聴を乗り越え、WEリーグデビュー】
3月5日に再開するWEリーグで、18歳のルーキーが新たな一歩を刻む。
ノジマステラ神奈川相模原の下部組織から、昨年10月にトップチームに昇格したFW笹井一愛(ささい・ちなり)だ。
笹井はこの春に高校を卒業し、後期からは社会人としてプロの世界に挑む。
N相模原にとっての開幕戦となった、第2節のリーグデビュー戦は鮮烈だった。ボールを持つとゴールに向かってどこからでも仕掛けていく。奪われた瞬間にボールにアプローチして奪い返し、再びゴールを目指す。
武器はスピードを生かしたドリブル。167cmの長身でリーチが長く、スケールの大きなストライカーだ。ポジションは3トップの一角で、前期リーグ戦では7試合に出場して2ゴール。3月3日には、U-19代表候補メンバーにも初選出されるなど、勢いがある。
N相模原の菅野将晃監督は、笹井をトップチームに昇格させた決め手をこう語る。
「男子の世界もそうですけど、サッカー全体のレベルが上がっている中で、個で突破できる選手はすごく大事になっています。ゴールを奪うというサッカーの本質を追求する中で、彼女のような選手が必要になると思います」
笹井が持つ個の力は、障がいを持ちながらプレーしていることと無縁ではない。
病名は「先天性難聴」。練習や試合の時には補聴器をつけているが、外すとほとんど音は聞こえない。試合中、監督の声は届かないため、近い選手に伝えてもらい、ハーフタイムなどに修正点を確認する。だが、基本的にわからないことは日々の練習の中で解決している。「彼女自身が自分からコミュニケーションを発信できるし、傾聴できる」と菅野監督は言う。
他に、難聴を抱えながらプレーしてきたことで研ぎ澄まされた力はあるのだろうか。「これはいいことなのかはわからないんですけど」と、笹井は控えめに笑った後、こう続けた。
「音が聞こえないからこそ、周りの選手に遠慮せずに自分がイメージしたプレーをすることができます」
視覚を中心に聴覚以外の感覚をフルに使って状況を把握し、ゴール前で迷いなく仕掛けられる。
その一方で、苦労しているのが守備だ。
「守備は後ろの選手の声を聞いて合わせていく場面が多いのですが、私は味方の指示がほとんど聞こえません。その代わりに、周りの動きを感じながら自分で判断して動き出すようにしています。でも、まだまだタイミングを間違えることもあって、その時はチームメートにその都度教えてもらっています」
これまでは、午前中にチームの練習を終えた後、午後から高校の授業に出席し、足りない分は補習を受ける形で両立してきた。そんな多忙なスケジュールでも、時間さえあればグラウンドでボールを蹴る“練習の虫”。中学生の頃からその生活を続けてきた飽くなき向上心で、トップチーム昇格を掴んだ。
初ゴールを決めたのは、ホームの相模原ギオンスタジアムで行われた5節の仙台戦(●1-2)。笹井は後半から3トップの右に入ると、積極的にドリブルを仕掛け、ピッチに立ったその2分後に先制点を決めた。MF杉田亜未のシュートのこぼれ球を右足で蹴り込んだ、泥臭いゴールだった。
「ホームゲームだったので、サポーターの皆さんの前で決めることができてすごく嬉しかったです。チームメートのみんなからも『初ゴールおめでとう!』と言ってもらえました」
また、8節の大宮戦(△1-1)では、1点ビハインドの58分に同点弾を決めた。決めた後、すぐにゴールにボールを取りに行って追加点を促す姿は印象的だった。
【成長を導いた2つの転機】
笹井を世に送り出したN相模原のアカデミーは、ユース年代では全国トップクラスの強豪だ。そこで、笹井はどのように頭角を表してきたのか。「きっかけは2つあります」と、笹井はまっすぐな瞳で当時を語ってくれた。
一つは、中学生時代。サッカーを始めた小学生の頃は、小柄でとにかく「走る」選手だったという。そのプレースタイルが、N相模原のサッカーに合うのではないかと当時のコーチからアドバイスを受け、下部組織のアヴェニーレ(U-15)に入団した。しかし、なかなか出場機会を得られず、一念発起して中学校の男子チームに入部する。
「最初はフィジカルも通用しなくて全国大会にも出られなくて、本当に悔しくて…。でも、男子選手と一緒にプレーするようになってから、体の強さが出てきて『球際で負けない』という自信がついてきたんです。それで、アヴェニーレでも少しずつ試合に出られるようになっていきました」
当時のスケジュールは、まさに“サッカー漬け”だ。朝6時から男子サッカー部の練習に出て、夕方まで学校の授業。アヴェニーレの練習は夜6時からで、帰宅は夜10時ごろだったという。動いた分ご飯もたくさん食べて、元々小さかった体は大きくなった。それが、今のフィジカルの礎になっている。
ストライカーとしての成長を導いたもう一つのきっかけは、高校時代(ドゥーエ/U-18)にある。そのきっかけを作ったのが、当時チームを率いていた田邊友恵監督(現・ちふれASエルフェン埼玉)だ。
「(田邊)トモさんは、オフの日も含めて週に2、3回、上手い選手のプレー動画とか、サッカー漫画のスクリーンショットをLINEで送ってくれました。オフの日には学校の帰り道、グラウンドにボールを蹴りに行ったらいつもトモさんがいて、シュート練習に付き合ってくれました」
そして、高校2年生の時、サッカーとの向き合い方を変えてくれる出来事があったという。
「夏の全国大会進出がかかった試合で、PK戦までもつれたんです。そこで、5番目の最終キッカーに指名されたんですが、自分が外して、全国に行けなくて…トモさんからは『練習不足だ』と言われました。それから、練習前とか練習後にPKの練習をたくさんしたんです。そうしたらその年の冬に、同じ相手と全国大会がかかった試合を戦うことになりました。それで、またPK戦になっちゃったんです。『一度外しているので蹴らせてもらえないだろうな』と思っていたら、3番目のキッカーに指名してもらって。今度は決めて、全国に行くことができました。その時蹴らせてもらったおかげでPKを克服できて、自分の中でも練習に取り組む意識が変わりました」
笹井は中学・高校といろいろなポジションでプレーした経験を生かし、どこからでも仕掛けられるストライカーに成長。高校1、2年次に出場したJFA全日本U-18女子サッカー選手権大会では、全6試合で9ゴールを決め、2年連続ベスト4進出の原動力となった。
【トップチーム昇格、そしてU-19代表へ】
中学1年生の時からトップチーム昇格を目標にしていた笹井が憧れていたのは、FW南野亜里沙だ。
「(南野)アリさんは、技術の高さはもちろんですが、サポーターに期待されている中で点を取れる選手。その姿に憧れていました」と、念願のトップチームで共にプレーできる喜びを噛み締めている。
一方、プロリーグでプレーしたこの半年間で、新たな課題も見えてきた。菅野監督は言う。
「守備の原理原則を身につけるところですね。ゲームを作る場面でも、技術的な面や、パスの判断、味方との関係性はさらに成長できる部分だと思います」
デビュー時に比べると相手のマークも厳しくなり、囲まれてボールを失うシーンが見られるようになった。今後はいかにゴールに近い位置で、いい形でボールを受けられるかが鍵となる。
「もっと味方とアイコンタクトできれば得意な形で受けられると思うんですが、今はまだそれがあまりできていないです。周りの選手をうまく使った方がいいと思いますが、自分的にはドリブルで抜いていきたいです(笑)」
卒業式が終わった後、3月からはチームの寮に入り、24時間サッカーと向き合う環境になった。「筋力トレーニングや体のケア、食生活の面も、意識を変えてやらないと」と、笹井は意欲を漲らせる。
目指すのは、チームを勝たせる点取り屋だ。
「ドリブルでもっと相手が怖いと思うような選手になること。目標は、チーム内得点王です。シーズンが終わるまでに、ステラの中で1番点を取りたいなと思います」
笹井には、明確な目標が2つある。
「U-19代表選出を聞いてびっくりしました。昨年のU-20ワールドカップを見て、『自分も出たいな』と思っていたので、すごく嬉しかったです。同年代にはフル代表でプレーしている選手もいます。目標を高く持って、自分もいつかフル代表に入れるように、ノジマステラで貪欲に吸収して成長したいと思います。
それから、同じ境遇の難聴の子たちに自分の姿を見てもらいたい。『障がいがあるからスポーツは無理だ』と思っている子たちにも、『頑張れば夢は叶えられる』という希望を持ってもらいたいです」
後期のリーグ戦では、笹井のドリブルを警戒するチームも増えそうだ。ストライカーとしての真価が試される。背番号28の新たな挑戦が始まろうとしている。