【光る君へ】兼家が「闇落ち」した理由。兄弟仲が悪いのはお家芸?兄との壮絶なバトルとは(家系図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)とのラブストーリー。
父・兼家(演:段田安則)にも、老いが迫ってきました。権力を掌握するまではすさまじいほどの切れ者ぶりだっただけに、もの悲しさもひとしお。
それにしても、なぜ兼家はあんなに権力にこだわるのでしょうか?その息子道兼(演:玉置玲央)の兄道隆(演:井浦新)への異常なライバル心も不思議です。
通常はよほどのことがない限り家督は長男もしくは嫡男(正妻の産んだ長男)が継ぎます。ましてや道隆のように有能であればその地位は安泰です。本来、道長や道綱(演:上地雄輔)のように「三男(史実では五男)だから」「妾腹の子だから」とあきらめムードになるもの。
そこにはドラマ序盤で道長のセリフ「わたしは三男ですから」に兼家が「わたしも三男だ」と答えた、親子の会話にヒントがあります。
今回は、兼家が闇落ち(それまで道徳的だった人が社会通念に外れたおこないをすること)した理由…兄弟との関係や今後の道長たち兄弟について解説(家系図付き)!
◆長男が継ぐセオリー無視の藤原一族の陰謀
◎道長も父も祖父も曽祖父も長男ではなかった!
貴族といえば藤原氏、貴族といえば「優雅でおっとりしている」イメージですが、藤原氏にはおよそそんな形容は似つかわしくありません。藤原氏はその歴史の中で、「家族間の激しい権力争い」をしてきたことで知られています。
道長は六兄弟の五男(正妻腹の三男)、父兼家は十二兄弟の三男、祖父の師輔は五兄弟の次男、曽祖父の忠平は五兄弟の四男。そう、この家の後継ぎは代々、本来は家を継ぐ立場ではないのに、兄たちとの権力闘争で勝ち残って来たツワモノたちなのです。
生まれた順など関係ない、強い者が勝つのみ!なんだか猿山を統率するボス猿のようですが、兼家の場合は、そう簡単に権力を手にしたわけではありません。
さてここで、お約束の家系図をどうぞ!
◆次兄・兼道との激しい権力争い
◎歴史は繰り返す、早世する長男と権力欲の強い次男、最後に勝つ三男
兼家兄弟の家が繁栄したのは、長女で姉の安子(やすこ)が村上天皇の中宮となり、産んだ皇子が2人も天皇になったことがきっかけ。その2人、冷泉天皇と円融天皇の系統がこの先、天皇家として続いていくのです。もう誰も安子には逆らえません。
三男である兼家には二人の兄がいます。長兄の伊尹(これただ/これまさ)は外戚となった父に従い、出世街道をまっしぐらに突き進みます。現在の道隆(演:井浦新)と同じ立場です。
伊尹は冷泉天皇に娘の懐子(ちかこ)を入内させ、師貞親王(のちの花山天皇)が誕生。伊尹は摂政太政大臣までのぼりつめます。そのままいけば、伊尹はのちの道長のようになっていたでしょう。しかし、彼も娘の懐子も早世。後ろ盾のない花山天皇が兼家によって退位させられてしまうのは、ドラマでも描かれた通りです。
◎出世の影に天皇の母あり
次兄の兼通(かねみち)と兼家は非常に仲が悪かったようです。というのも、弟である兼家のほうが出世が早かったから。兼家は有能で人望もあったのでしょう。兼家が大納言(大臣のすぐ下の位)になったとき、兼通はその下の中納言でした。
兼通についてはあまり多くが伝わっていませんが、その長男・顕光(演:宮川一朗太)は、非常に愚かな人物だったと伝わります。『紫式部日記』にも顕光が登場します。宴会でモノを壊したり、女房にセクハラまがいのことをしたりと散々な書かれようです。
その父である兼通がどのような人だったかは、想像できなくはありませんね。
972年長兄の伊尹が急死したとき、兼通より官職が上の兼家は、当然自分が長兄の跡を継いで摂政(天皇が成人していたら関白)になれると思ったのでしょう。ところが、円融天皇(演:坂東巳之助)は次兄の兼通を驚異のスピード(6人ごぼう抜き)で出世させて関白内大臣に就けてしまうのです。
兼通は、円融天皇の母であり妹・安子の遺言「関白は年齢順に」を盾に天皇に迫ったといいます。安子の言葉には誰も逆らえません。兼家は引き下がるしかありませんでした。
◆兼家・道兼が正道を逸脱した理由
◎命がけで実弟を追い落とす執念
ドラマがスタートした977年は兼家にとって劇的な年でした。兼通は関白太政大臣になっていましたが、兼家は大納言のままです。兼通は兼家を本当に嫌っていて「できることなら九州に飛ばしてやりたいが理由がない」といっていたとか。
そんな中、兼通は死の床に就きました。『大鏡』にはこんな逸話が残されています。
兼通は、兼家が自分の邸宅の前を通りかかる音を聞いて「普段仲が悪くても、やはり兄弟、見舞いに来てくれたのか」と喜んだのだそうです。しかし兼家は素通りして内裏に行ってしまいました。
怒り心頭の兼通は病をおして出仕し、最後の力を振り絞って最後の除目(諸官の任命)をおこない、兼家を閑職に追いやったのです。
それだけでは飽き足らず、なんと兼通は関白の地位を従兄にあたる藤原頼忠(演:橋爪淳)に譲ってしまうのです。そんなことをすれば、自身の息子・顕光の出世の道も閉ざされるかもしれません。しかし、兼通にとっては、弟である兼家が政権を握ることが最も許しがたい事態だったのですね。
その後まもなく兼通は逝去。関白太政大臣となった頼忠によって兼家は右大臣に任ぜられました。兼通に止められていた娘・詮子(あきこ・演:吉田羊)の入内も果たします。実は兼通は自分の娘・媓子(てるこ)を入内させ中宮にして、円融天皇の寵愛を独占していたのです。媓子は父亡き後、子どものないまま、若くして崩御。
このあたりからドラマに描かれましたね。
ちなみに頼忠は公任(きんとう・演:町田啓太)の父です。ここから花山朝までは頼忠が最高位の太政大臣を務めます。娘の遵子(のぶこ・演:中村静香)は円融帝の2番目の中宮になりますが、子に恵まれず外戚になり損ね、結局一条天皇の外戚となった兼家に敗北して引退します。
ドラマの序盤で兼家は円融天皇と犬猿の仲で、天皇を毒殺しようとしますが、その陰にはこのような経緯があったのですね。(もちろん決定的となったのは、円融天皇の子を産んだ詮子を差し置いて遵子を中宮にしたことだと思われますが)
◎道長の「黒い部分」をドラマではどう描く?
父と兄の確執は、道隆・道兼・道長にもほぼそのまま受け継がれます。後継者争いをしていたのは主に長男(道隆)と次男(道兼)で圧倒的に道隆が有利でした。
ドラマの道兼は兄より自分のほうが優秀なうえ、汚れ仕事(花山天皇退位)を引き受けたのだから、当然自分が父の後継者になれなければおかしい、と訴えます。史実でも同様に考えていたようです。
さらにドラマでは、公任の父頼忠が「あれだけ暗躍しているのだから道兼は出世するに違いない」と踏んだほど。実際にそう考えて道兼を推す公卿もいました。本人は相当自分の実力を過信していたでしょう。
しかし父の兼家が自分を思うように引き立ててくれないもどかしさから、道兼の心はますますどす黒くなっていきます。兼家と道兼は親子だけあってよく似ています。だからこそ兼家はあまりこの息子を好きではないのかもしれませんが…。
道隆も道兼も病で若くして亡くなります。三男の道長の次の敵は道隆の子・伊周(これちか・演:三浦翔平)でしたが、勝手に自滅((関連記事:「【光る君へ】道隆の子・伊周は絶世のイケメンなのに「残念」な理由(家系図)」2024年3月25日))。
道長は、ほぼ「棚ぼた式」に藤長者の地位を手に入れました。
しかし、史実によれば、兄道隆の死後、娘の定子に道長がおこなった嫌がらせはなかなかえげつないです。
定子が出産のために内裏を引き払う日(※)にぶつけて、道長は宇治で盛大なパーティーを開いたのです。時の権力者である道長におもねる人々が多く、中宮の行啓(公式な行列)だというのに供の者が集まらず大変なことになったとか。
(※当時は出産は穢れとされ、内裏を出て実家でおこなった)
自分の娘・彰子のライバルとはいえ、定子は道長の姪でもあるわけで、そこまでするか?
え?そんな「いけず」なことをする道長なんて信じられない?ドラマで見たくない?
ホントそうですよね。ドラマでの道長は愛したまひろ(紫式部)と想いを共にし、貧しき者たちへの共感を持つような心優しき御曹司として描かれています。
そうした道長の「闇落ち」部分をどう描くか、もしかするとそれがこのドラマの最大の見どころ、なのかもしれません。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
主要参考文献
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
紫式部日記(山本淳子編)(角川ソフィア文庫)