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【 解読『おちょやん』】「貧乏」と「乱暴」の第1週

碓井広義メディア文化評論家
(写真:grandspy_Images/イメージマート)

NHKの連続テレビ小説『おちょやん』がスタートしました。女優の浪花千栄子さんがモデルだというこのドラマ、第1週を見て「ちょっと引き気味」になった視聴者が少なくなかったようです。それは一体、なぜなのか?

本来なら10 月頭に始まる予定だった『おちょやん』。例によって新型コロナウイルスの影響で順送りとなり、11月30日(月)という中途半端なタイミングの初日となりました。

ドラマは「ドタバタ」で始まった

注目の初回。冒頭は、芝居などで使う「舞台」の上です。主要登場人物が横並びに正座し、歌舞伎の初日みたいな雰囲気。まずは、ヒロインの竹井千代を演じる杉咲花さんが口上を述べます。

「今回の物語は、わずか九つで親に捨てられ、何もかも失くしたわたくし(千代)が、大阪は道頓堀を舞台に、やがて大阪のお母さんとまで呼ばれるほどの大女優になるまでの一代記・・・」

と言いかけたところで、蓬髪に無精ひげの父親・竹井テルヲ(トータス松本)が遮り、「あかん、あかん、全部言うたら、あかん!」と怒鳴りました。

杉咲さんの隣にいた少女時代の千代、毎田暖乃(まいだのの)さんが、「最初の2週間だけやけど、一所懸命やらせてもらいます」と挨拶。

成田凌さんが自分は「天海一平」だと名乗り、篠原涼子さんが「芝居茶屋の女将(おかみ)、岡田シズ」と自己紹介します。

その後、司会をしていた黒衣(くろご 桂吉弥)とテルヲが言い争いになったと思ったら、いきなり何人もの黒衣が現れ、舞台の上をぐるぐる走り回りました。

画面の手前(カメラ前)を黒衣たちがバタバタと横切っていく後ろで、杉咲さんが口上を続けます。

「涙あり、笑いありの楽しいひとときを、お届けできるよう、誠心誠意つとめて参ります。今後とも、ごひいき、お引き立てのほど、隅から隅まで、ずずずいーっと、お願い奉りまする」

と、終りまで言い切りました。

なぜ今、浪花千栄子なのか?

いや、ちょっと待って。これは一体何なんだ? と思った視聴者も多かったと思います。ひたすらドタバタしていた上に、このドラマのことも、登場人物のことも、ほとんど分かりません。

「大阪のお母さんとまで呼ばれるほどの大女優」と言われて、どんな人を思い浮かべろと言うのか。

このドラマの主人公が単なる「架空の人物」ではないこと、それどころか、「浪花千栄子」という名前の女優がモデルであることを、事前の情報で多くの視聴者は知っています。

とはいえ、『エール』でモデルとなった作曲家の古関裕而とは、かなり事情が違うのです。

『エール』の主人公は、確かに「古山裕一」でした。しかし、第1話で1964年10月10日の「東京オリンピック」開会式が描かれ、そこで演奏される「オリンピック・マーチ」の作者であることが明かされました。

視聴者は、「古山裕一は限りなく古関裕而」という、ドラマの「前提」を示された形です。物語は、1964年からあっという間に裕一の少年時代へとワープしましたが、視聴者はこの前提を抱えていました。

ところが今回は、『エール』における「オリンピック・マーチ」は示されません。浪花千栄子が出演した映画やドラマの映像が出てきたりはしませんでした。視聴者は、「前提」がよく分からないままです。

そして、ここがポイントなのですが、「オリンピック・マーチ」や、早大の応援歌「紺碧の空」や、「長崎の鐘」と同じような感覚で、浪花千栄子に関して誰もが想起できる作品、つまり代表作を挙げることが、なかなか難しいのです。

戦前、映画や舞台で活躍しましたが、当時の作品名や写真を示されても、「オリンピック・マーチ」にはなりません。

戦後の人気ラジオドラマ『アチャコ青春手帖』(NHK)の音声が残っているとして、それを流されても少々困ってしまいます。

溝口健二監督の『祇園囃子(ぎおんばやし)』、黒澤明監督の『蜘蛛巣城(くものすじょう)』、小津安二郎監督の『彼岸花』『小早川家の秋』といった日本映画の名作に出演しています。脇役とはいえ大事な役柄ではありますが、いわゆる主演作ではありません。

ドラマで、よく知られているのは、70年代前半の『細うで繁盛記』シリーズ(読売テレビ)でしょうか。欠かすことのできない「おばあさん」役でしたが、それをもって「大女優」の紹介にあてるのも違います。

また、浪花千栄子の顔と名前を生かしたCMに、「オロナイン軟膏」がありました。本名が「南口(なんこう)キクノ」だったことから、「軟膏効くの」というゴロ合わせで起用されたという、真偽のほどは不明の話も残っています。

かつて全国の薬屋さんの店先で、浪花千栄子の「ホーロー看板」を見かけたものです。しかし、第1話でこのCMを「代表作」として流すわけにもいきません。

というわけで、杉咲さんの口上にあった「大女優」を、現代の視聴者に説明するのは結構難しいことなのです。

おそらく、このドラマ全体を見終った時点で、「なるほど、そういうことだったのか」と納得することになるのではないでしょうか。いや、そうなればいいなと思います。それくらい、今回の企画は「なぜ今、浪花千栄子なのか」が、よく分からない。

「貧乏」と「乱暴」の第1週

第1週は、後の大女優、竹井千代の「少女時代」パート1でした。この5日間、視聴者の中には「引いてしまった」という人が少なくなかったようです。その理由は、「貧乏」と「乱暴」を強調し過ぎたせいではないでしょうか。

極貧の家庭に育ったことは、浪花千栄子も自伝などで明かしていますから、それを元にした演出であり、描写だったかもしれません。さらにスタート時のインパクトを狙った面もあるかと思います。ただ、それにしても「手加減なし」でした。

本当に細々とした養鶏業を営む父親ですが、ほとんど働かず、酒ばかり飲んでいます。この飲んだくれの父親が、自分の子供よりも「金になる鶏」のほうが大事だと言った瞬間・・・

「このドアホ! うちら、今日食べるもんもあらへんのに、何が流星丸(鶏の名前)じゃ! 親やったら、親らしいこと、さらせ!」(第1話)

そう怒鳴った千代は父親に蹴りを入れます。頭にくるのもわかりますが、過去の朝ドラで、「自分の肉親を蹴り上げる」ヒロインなど見たことがありません。というか、視聴者は慣れていません(笑)。

また、級友からもらって、弟にあげるつもりだった「おはぎ」を、父親が連れてきた後妻の栗子(宮澤エマ)が食べてしまいます。怒る、千代・・・

「おんどれ! おはぎ、食いやがったな!」(第2話)

そして、この栗子が家を飛び出します。父親は探し出して説得し、連れ戻すのですが、その条件として「うなぎ」をごちそうすると言ったらしい。またも怒る、千代・・・

「アホ! うなぎ買うカネ、どこにあんねん! ミミズでも食うとけ!」(第3話)

いや、ミミズって(笑)。

さらに、近所のおばさんも負けてはいません。千代の弟が行方不明になった際、栗子は自分のことは棚に上げて、このおばさんの「責任」を問います。怒る、おばさん・・・

「やい、ワレ! うちが悪いちゅうんけ! 上等や、表出い、このアバズレ! 女郎まがいのドスベタが!」

「誰が女郎まがいのドスベタなんや!」(第4話)

アバズレ、女郎、ドスベタって(笑)。

「スベタ」だけでも、「価値のない人間」とか、「醜い女」とか、もっと言えば、「娼婦」を卑しめる意味もあったりするわけで、そこに「ド」が付いたら、見る側は「どんだけ~」と言いたくなるくらいの罵詈雑言と感じます。

とにかくこの1週間、午前8時の放送時間を考えると、爽やかな朝も吹っ飛ぶ、「乱暴」な言動のオンパレードでした。

エピソードとセリフの選択

それに、千代と弟が腹をすかせて、「豚のエサ」と知らずに、残飯(パンの耳)を食べるシーン(第4話)。これも強烈でした。確かに浪花千栄子の自伝にもあるエピソードとはいえ、選択の問題で、実際に映像化すれば、「引いてしまう」視聴者がいても、おかしくありません。

過剰ほどの「貧乏」描写も、しんどいほどの「乱暴」表現も、あくまでもドラマであり、フィクションであることは、見る側だって百も承知でしょう。ただ、それでも「度合」というものはあるかもしれませんね、という話です。

それから、もう一つ。気になるシーン、というか気になるセリフがありました。千代が、何度も同じ言葉を口にします。

「ほんま、生きるって、しんどいなあ」

ある意味、いいセリフです。しかも子役の暖乃さん、本当にうまい。迫真の演技です。いや、だからこそ、言わせていいセリフか、とも思うのです。

千代を見ている視聴者が、しみじみ「生きるって、しんどいなあ」と感じるのは構わない。それを感じさせるのがドラマの力でもあります。しかし、言葉で説明してしまっていいのだろうか、ということです。

来週も続く「艱難辛苦」

さて、第1週の終りに、千代は大阪での奉公に出されることになりました。「貧乏」と「乱暴」の次は、「やぶから棒」の子捨てです。

栗子は自分の子どもが生まれるため、千代を遠ざけることにしたのです。そんな後妻に従うばかりの父親に向って、第5話の最後で千代がタンカを切りました。

「お父ちゃん、一つだけ、言うといてやる。うちは、捨てられたんやない。うちがあんたらを捨てたんや!」

これはすごいセリフです。千代という、やがて「大阪のお母さんとまで呼ばれるほどの大女優」になるというヒロインの、腹のすわり方を象徴する、悲しくも強い言葉でした。

7日(月)からは「少女時代」のパート2。大阪での奉公となり、実家にいた時とはまた異なる「艱難辛苦」が予想されます。

朝から子どもへの「いじめ」とか、あまり見たくない視聴者が「引いてしまう」ことのないよう、「やり過ぎ」に注意していただくと共に、千代ちゃんの無事を願うばかりです。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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