なぜ「就職協定」は破られるのか
※筆者作成
就活シーズンとは何か
まもなく3月1日、企業の大学新卒者採用活動の「解禁」日を迎える。いよいよ今年の就活シーズンを迎えて云々といった調子の報道がまもなく出てくるタイミングだろう。
といってもこれは正確な表現ではない。政府が2022年3月28日付で経済団体等に対して行った「要請」では、この日は採用活動にかかる「広報活動」の開始日だ。
内閣府「2023(令和5)年度卒業・修了予定者等の就職・採用活動に関する要請」
ここでは「広報活動」は次のように定義されるが、要は就活サイトにおけるエントリーが可能になる日ということだ。
広報活動とは、採用を目的として、業界情報、企業情報、新卒求人情報等を学生に対して広く発信していく活動をいう。その開始期日の起点は、自社の採用サイトあるいは求人広告会社や就職支援サービス会社の運営するサイト等で学生の登録を受け付けるプレエントリーの開始時点とする。
この要請にしたがえば、この日以降、採用活動は次のようなスケジュールで進む。
広報活動開始 卒業・修了年度に入る直前の3月1日以降
採用選考活動開始 卒業・修了年度の6月1日以降
正式な内定日 卒業・修了年度の10月1日以降
しかし、これを文字通りに受け取る人はまずいない。「3月1日が就活解禁日」という表現は、一般的には、「エントリー開始」の3月1日には実質的な選考がスタートする、という意味で受け取られている。実際、採用情報はもっと前から公開されている。同様に、「採用選考開始」の6月1日は事実上の内定である「内々定」が出始める日であり、「内定日」の10月1日は多くの企業で内定者を集めた式典などのイベントが開かれる日である。
しかも、これすら実態とは乖離がある。就職情報のディスコ(東京都文京区)は、「就活解禁日」とされる3月1日の2か月前に多くの就活生が「本選考」を受け、「内定」も得ているとする調査結果を発表した(調査期間:2023年1月1日~6日、回答数:1,028人)。1月1日時点で51.1%が筆記試験や面接など「本選考を受けた」と回答、「内定を得た」との回答も14.9%に達する。本選考受験企業の中にインターンシップ等参加企業があると答えた学生は82.1%、内定取得者の84.3%がインターンシップ等参加企業から内定を得たとしており、事実上の選考プロセスはさらに早いタイミングで始まっていることがわかる。
ディスコ「2024年卒:1月1日時点の就職意識調査」
企業の採用活動の開始時期について、政府が関与する方針が示されているにもかかわらず企業がそれに従わないという状況は、いったいなぜ生じているのだろうか。
ルール化とルール破りの歴史
そもそも新卒者の就活時期が政府まで口を出してくるような問題となるのは、卒業前に行われる就活が大学での学業を疎外するからだが、この問題は今に始まったことではない。1918(大正7)年の大学令公布により、それまで官立の帝国大学に限られていた大学が公立、私立の設置も認められるようになり、大学生の数が急増して以降、大学卒業者の就職は経済状況に大きく左右されることとなった。好景気で就職が「売り手市場」となれば多くの企業がより優秀な学生をいち早く採用すべく、学校卒業前に選考が開始される。
第一次世界大戦に伴う好景気のさなかの1918(大正7)年2月14日付読売新聞記事「学校の斡旋無くも 今年は就職の心配は要らぬ 七月の卒業生迄皆売り切れ」では、2月時点で3月卒業の理系大学生だけでなく7月卒業の学生まで就職先が決まっていると報じている。早慶など私学の卒業生も就職状況は上々であった(1917(大正6)年2月20日読売新聞記事「私学萬歳の上景気 社会の新しい椅子を滿す人々」)。
一方、不景気となれば企業は採用を絞るため、学生の側が学業を放り出して就活に走り回る。
半沢成二(1929)『就職戦線をめがけて』(金星堂)
つまり、好景気では企業が採用を焦り、不景気では学生が就職を焦る。どちらにしても大学生活のかなりの部分は就活に割かれることとなる。
こうした状況への問題意識から、就活の時期に何らかのルールを設けようという動きが出てくる。いわゆる「就職協定」が成立したのは戦後、1950(昭和25)年の朝鮮戦争勃発をきっかけに日本経済が本格的な復興の時期を迎えた時期であった。企業の人材獲得競争は再び激しさを増すこととなり、選考の早期化が問題視された。
1952(昭和27)年、大学、日経連、文部省、労働省を中心とする就職問題懇談会が開かれ、文部省及び労働省から「大学が求人側からの採用申込みを受け付け,又就職希望学生を求人側に推薦する時期は10月1日以降とすること」 「求人側が採用選考試験を実施する時期は1月以降とすること」とする通達が出された。
しかしこの協定は守られなかった。協定を破って抜け駆けで優秀な学生を採用する企業が続出し、このような抜け駆け採用は「青田買い」と呼ばれた。これにより協定は形骸化し、1962(昭和37)年に日経連が「野放し」を宣言したこともあって、その後就職活動の早期化はいっそう進んだ。1964(昭和39)年には7月15日の「解禁日」以前の6月中旬に多くの中小企業が採用試験を行い、1970(昭和45)年には理工系6月1日、文科系7月1日の解禁日に対して3月初旬には多くの企業が既に内定を出している。
1972(昭和47)年には日経連、経団連、日本商工会議所、経済同友会と全国中小企業団体中央会の経済五団体主催による「大学卒業予定者早期選考防止対策懇談会」が1974年春の大卒予定者に対する「青田買いはつつしもう」と申し合わせ、違反企業には警告を出したり、関係機関紙に企業名を公表したりするなどの措置を申し合わせた。採用試験、採用内定は7月1日以降となった。
第1次オイルショック後の不景気の下で早期採用の動機が薄れた経済界は1976(昭和51)年に「大学4年の10月1日より会社訪問開始、11月1日に選考開始」と採用開始時期を遅らせたが、今度は学生側の準備ができないとする私立大学側の反発を受け、求人活動開始は10月から9月に前倒しされた。
1980年代に入ると、就活の主流は大学推薦から自由応募方式へと移り変わり、企業は主要大学出身の社員をOBリクルーターとして起用するようになった。好景気を受けて採用活動は早まり、バブル期には採用選考開始は8月1日前後、内定開始日は10月1日であった。
しかしバブル崩壊とともに再びルール化の動きがあらわれる。形骸化していた就職協定は廃止され、企業側と学校側が独自の基準を策定して行動することになったが、1996(平成8)年、日本経済団体連合会は「新規学卒者の採用選考に関する企業の倫理憲章」(通称:倫理憲章)を策定、大学側は「大学及び高等専門学校卒業予定者に係る就職事務について(申合せ)」を策定した。前者では「正式な内定日は卒業・修了学年の10月1日以降とする」と定め、後者では、大学内で行われる企業説明会や企業への推薦は大学4年の7月1日以降とし、内定日は10月1日以降とすることを学生側に周知することとなった。
とはいえ、採用活動の早期化が止まったわけではない。外資企業やIT企業など、経団連に所属していない企業は倫理憲章に従わず、就職協定の時代と同様、採用活動の早期化は止まらなかった 。2003(平成14)年、倫理憲章は改定され、「卒業年度になる4月1日以前の選考は行ってはならない」としたが、それでも非加盟企業や一部の加盟企業は早期採用を続けた。採用活動の開始時期に関する取り決めをかいくぐるものとして広報活動の早期化が進み、3年次の10月1日にサイトがオープンし、エントリーを開始する企業が続出した。
2013(平成25)年、就職活動の時期を短縮し、学業に専念できる時間を長くするようにとの政府からの要請を受け、経団連は2016年卒の採用活動から就活解禁日を3か月遅らせて3年次の3月1日から、選考開始も4か月遅らせた8月1日からとするとともに、「倫理憲章」を「採用選考に関する指針」(指針)に変更した。
指針はその後改訂され、2017年卒の採用活動からは、選考活動の開始は大学4年の6月からとなった。2018年、経団連はこれまでの「就活ルール」の廃止を発表し、その後新たなルールの策定議論が進められているが、急激なルール変更は学生のみならず企業側にも混乱を招きかねないという理由から、現行日程、すなわち就活の解禁日を3年次の3月1日、選考開始日を4年次の6月1日、内定を10月1日以降とするスケジュールを踏襲する方針が表明され、現在に至っている。
なぜルールは守られないのか
長年にわたるさまざまな取り組みにもかかわらず、就活は現在に至るまで学業を圧迫し続けてきた。マイナビが2022年1月に行ったアンケート調査でも、69.9%の学生が「学業・定期試験の両立で悩んだり苦労したこと」があると回答している。
マイナビ「マイナビ2023年卒大学生インターンシップ・就職活動準備実態調査(1月)」(2022年1月)
ルールを設けても設けても破られる最大の理由は、学生側にも企業側にもそれを破った場合のペナルティが事実上存在しないことだ。学生の側はわかりやすい。新卒一括採用慣行のある日本で新卒時の就職が重要なのはいうまでもないし、そもそも「いい就職」のために大学に入った学生も多い。就活と学業なら前者を当然のように優先するし、授業には出ていないが就職が決まったので単位を認めよと教員に頼む学生も毎年のように出てくる。
一方、企業の側も、大学での学生が学ぶ内容を必ずしも重視しているとはいえない。調査によってちがいはあるが、企業が新入社員に求める能力を聞くとだいたいは「自律性」「コミュニケーション力」あたりが上位を占める。新卒を一括採用して集合研修のあと現場でOJT、ジョブ型雇用を謳っていても事実上は依然としてメンバーシップ型雇用といった日本的雇用慣行の下では、大学教育は「面倒な作業をきちんとこなす」能力を示すシグナリング機能しか期待されていないかのようだ。
もちろん、学業が不十分なら大学が卒業させなければいいではないかと考える人もいるだろうが、ことはそう簡単ではない。大学が7年ごとに受ける大学基準協会の認証評価において、標準修業年限(一般的な大学の場合4年)で卒業した学生の比率、及び就職率(就職希望者に対する就職者の割合)は報告対象となっており、それが低いと改善を迫られるのだ。
領域6 教育課程と学習成果に関する基準
基準6-8 大学等の目的及び学位授与方針に則して、適切な学習成果が得られていること
分析項目6-8-1 標準修業年限内の卒業(修了)率及び「標準修業年限×1.5」年内卒業(修了)率、資格取得等の状況が、大学等の目的及び学位授与方針に則した状況にあること
分析項目6-8-2 就職(就職希望者に対する就職者の割合)及び進学の状況が、大学等の目的及び学位授与方針に則した状況にあること
認証評価の結果は大学経営に必要な文部科学省からの補助金に直結している。もちろん上記基準は卒業率改善のために就職内定者の卒業要件を緩めることを求めても容認してもいないが、低ければ改善が迫られる以上、大学はいわばダブルバインディングの状況に置かれている。もちろんそれ以外にも、就職状況は大学に対する社会からの評価、とりわけ受験生からの評価に影響するわけで、大学側にも「授業をサボって就活」を真っ向から否定はしづらい事情がある。
こうした状況は近年に限った話ではなく、日本の大学はずっと以前から「入るのは難しいが出るのは楽」といわれてきた。実際、日本の大学卒業率は多くの国々と比べて高い。やや古いデータになるが、 日本の大学卒業率(大学に入学した者のうち卒業する者の比率)はOECD諸国の中でも最高レベルにある(図参照)。現在企業などで高い地位を占め、「最近の学生は能力が低い」「大学教育は役に立たない」などと言う人々が受けてきたのもまた、こうした大学教育なのである。
どうすればいいのか
理由はどうあれ、就活が学業を圧迫する状況は好ましくない。「これさえやれば」という「銀の弾丸」的な解決策はなかなかないであろうが、別のところで以前、上記大学評価基準における「標準修業年限内の卒業率」及び「就職率」の扱いの見直しとともに、「内定」の法的性格を改めることを提案したことがある。「内定」の法的性格については「大学卒業予定者と企業との間に、就労の始期を大学卒業の直後とし、それまでの間誓約書記載の採用内定取消事由に基づく解約権を留保した労働契約が成立したもの」とした最高裁判例がある。
この「始期付解約権留保付労働契約」のうち、予定どおり卒業できないことを理由とする企業からの解約権を法で禁止することができれば、学生は就職先を失うことなく、所定の基準を満たすまで学業を修めることができる。年限をあくまで重視したいのであれば、大学を中退して(卒業前に採用を決めてもよいと思えるほど優秀な学生なのだから企業側に不満はなかろう)、その後に科目等履修生などになって必要な単位をとり、大学改革支援・学位授与機構で学位を認定してもらうこともできる。
これまで「学業と就活の両立」は個人レベルの苦労話、あるいは個別企業や業界のエピソードとして語られてきた。しかしこの裏には日本の高等教育、ひいては日本社会全体にわたる構造的な問題が隠れている。そろそろもう少しまじめに考えてみてもよいのではないか。