3度目クビ宣告も「肩はもう大丈夫」 “杉内2世”ホークス坂田に救いの手を
10月3日、非情の通告
プロ野球は、明日26日にドラフト会議が行われる。最大の目玉である清宮幸太郎(早稲田実業)は一体どの球団が指名権を獲得するのか。とにかく話題が尽きることはない。
来る者がいれば、チームを去る者もいる。プロ野球は「枠」の世界だ。
10月3日、ソフトバンクは第一次の戦力外通告を行った。
その中にまだ24歳の、坂田将人の名前があった。
もったいない――それが筆者の感じた、率直な感想だった。
その後、坂田に会った。
「アピールが間に合いませんでした」
何とも表現しがたい複雑な表情だった。昨年9月、左肩にメスを入れた。2度目の「支配下→育成降格」となり迎えた今シーズンだったが、一度も実戦のマウンドに立つことは出来なかった。
「奇跡」と驚いた、左肩の回復
球団が“決断”を下したのも分からなくはない。しかし、劇的すぎる奇跡が起きていたのだ。
「今は投げられる。ホント、突然でした。8月の頃の状態ならば放心状態だったかもしれません。球団から戦力外を言われたのは3度目になりますが、過去2回は支配下登録だったから、次に育成で契約する流れでした。だけど、今年は育成の立場。また意味合いが違います。ただ、ずっと耐えて耐えて、ようやく投げられるようになったんです。野球から離れる選択肢は僕にはありません。トライアウトに向けて練習しています」
夏場まで左肩の痛みがなかなか消えず、キャッチボールも出来ない状況だった。周りからたくさんのサポートも受け、思い切った治療法も試した。それが奏功したのが9月に入ってから。問題なくボールを投げられるようになったのは、9月20日前後だったという。その頃にはチームの編成方針がほぼ固まっていたのだろう。
紅白戦で内川、松田から三振を奪った
とにかく能力の高さは、入団当初から目を見張るものがあった。
「杉内2世」と呼ばれた。背格好が似ていたこともあったが、投球スタイルもそっくりで、何より無駄がなく流れるようなフォームが特徴的だった。
1年目は三軍が主戦場だったが、9勝をマークした。4年目のオフには球団からプエルトリコでのウインター・リーグに派遣された。中南米のリーグはそれなりにレベルが高いため、一軍で通用するクラスの選手しか球団が派遣をすることはない。
‘15年の10月には、ポストシーズンへ向けて調整する一軍の紅白戦で投げた。ヤフオクドームのマウンドに立ち、柳田悠岐、内川聖一、李大浩、松田宣浩、中村晃という錚々たるメンバーを見事に抑えてみせた。内川や松田からは三振も奪った。
「あの年は2軍でも先発をさせてもらったりして、いい感じで投げることが出来ていました」
この年のファーム公式戦では9試合に登板して3勝2敗、防御率2.11。47回を投げて41奪三振、7与四球。140キロ台中盤のキレのある直球を常時投げ込み打者をねじ伏せた。コントロールもよかった。
「丸2年間も投げていないのでどのように評価してもらえるか分かりませんけど、肩の感じはあの時に近い感覚に戻っています」
ピッチングはすでに再開。26日からは捕手を座らせて
現在は、球団の厚意もあり筑後市のファーム施設で練習に励んでいる。球団スタッフが合間を見てキャッチボールの相手をしてくれたり、体のケアを手伝ってくれる時もある。
「本当にありがたい。感謝の気持ちしかないです」
もちろん遠慮はある。チームが練習をしていない時間帯や場所を選んで体を動かす。周りのみんなは「HAWKS」のロゴが入った練習着を着用しているが、坂田は自前のジャージを着て汗を流す。
「ランニングメニューが一番しんどい。みんなと一緒に走る方がいいですよ。『遅いぞ』って言ってくれるコーチもいないし」
この日も、顔を歪めながらポール間走を繰り返していた。現在は6勤1休のペースで練習を続けており、ブルペン投球もすでに再開している。
26日には初めて捕手を座らせて投げる予定。週2回のペースでピッチングを続けていくつもりだ。
「お世話になった人たちには連絡もしたし、たくさん声をかけてもらいました。カズミ(斉藤和巳)さんからは『トライアウトの前に球場で投げる準備をしとけよ。ブルペンとは違うからな』とアドバイスもいただきましたし、同じ左利きで福岡出身で可愛がってくれた帆足さん(和幸=現ホークス球団スタッフ)もLINEでたくさんアドバイスを送ってくれました。たくさんの人に、僕はまだ恩返しをしていない。まだ野球を続けたい」
11月15日、今年のトライアウトはマツダスタジアムで行われる。坂田は人生をかけたマウンドに立つ。
※文中写真は筆者撮影