必ずまた1軍でアツく輝く。胸椎黄色靭帯骨化症の手術をした湯浅京己(阪神タイガース)は前向きに強く誓う
■胸椎黄色靭帯骨化症
阪神タイガースの湯浅京己投手は8月25日、無事に「胸椎黄色靭帯骨化切除術」を終えて、福島県内の病院を退院した。
胸椎黄色靭帯骨化症とは、脊髄の後方にある黄色靭帯が骨化して厚みを増し、脊髄を圧迫することによって下肢の脱力やこわばり、しびれなどの症状をきたす国指定の難病で、原因は不明といわれている。
ずっと軸足に力が入らず、思うように投げることができなくなってきていたという湯浅投手。ただ、まだ足が痺れて歩けないというような段階ではなかった。
しかしプロ野球選手として、投手として、今後も最高のパフォーマンスを出すため、今の段階で手術をすることが最善だと理解し、手術を決意した。
■6月には9試合連続無失点もあったが…
今年3月、扁桃炎で高熱が出た。熱が下がった後も足に力が入らない日が続き、「熱でこんなになるんかな」と自分でも疑問に感じていた。これまで肋間神経痛や脇腹の痛みはあったが、骨化症とは結びつかなかった。筋力や体力が落ちているからだと自身で結論づけていた。
そこから3ヶ月ほどして足の感覚がほんの少し戻ると、徐々にボールにも力が伝わり、試合でも結果が出るようになった。
「やっと!」と、明るい表情で手応えを口にしたのは6月に入ってからだ。「やっときましたよ!いい感じですよ」と声を弾ませた。ウエスタン・リーグの試合でも、5月下旬から9試合連続で無失点を記録していた。
ただ、日によって症状が違い、いい日もあればよくない日もあった。それでも「やっとこれからやれる」と信じて疑わなかった。
■将来のための手術
しかし、それも長くは続かなかった。状態のよくない日が増えていき、とうとう手術をすることになった。手術に不安がなかったわけではない。けれど、そのままの状態で野球をやるほうが不安だった。
聖光学院高校時代から診てもらっている、福島県内の病院の信頼する医師から「今を逃して、もっと足の麻痺などが進んでから手術をするとなると復帰も大変になる。今、手術することが将来のためになると思う」と力強い言葉で背中を押してもらい、メスを入れる決断をしたのだ。
「あくまでも前向きに、先を見据えた自分の将来のための手術なので」。
湯浅投手もこれが最良の策だと受け入れた。
■心強い成功例
心強いのは球界内にも同じ症例で手術を経験し、1軍に復帰している先輩たちがいることだ。横浜DeNAベイスターズの三嶋一輝投手は2022年8月に手術し、翌2023年4月に1軍復帰登板を、中日ドラゴンズの福敬登投手は2022年10月に手術を受け、翌2023年5月に1軍復帰登板を、千葉ロッテマリーンズの岩下大輝投手は2023年10月に手術して今年4月に1軍復帰登板をそれぞれ果たした。
福投手、岩下投手の施術もしたという先述の医師は、「脊椎の第一人者で、アスリートの手術を数多く手がけられている先生」(湯浅投手談)だという。「とても丁寧に時間をかけて手術してくださいました」と全幅の信頼のもとに手術を受け、「右足がめっちゃ軽くなりました」と手術直後、無邪気に喜んだ。
湯浅投手にとって、「同じ病気で手術して、復活して頑張っている先輩方がいるんで、いろいろお話も聞かせてもらっています。みなさん本当に優しくて、心強いです!」と、これほど頼りになることない。
瞳の先に見えているのは、希望の光しかない。
■神様は乗り越えられる試練しか与えない
球団を通じ、湯浅投手はこんなコメントを発表した。
「今年に入って身体に強い違和感を感じるようになり、悩んだ結果、手術することを決断しました。シーズン中にもかかわらず、自分の決断に理解を示し、後押ししてくださった監督をはじめ球団関係者の方々や、手術に到るまで、そして術後もずっと寄り添ってくださっている先生方とトレーナーさんには、心から感謝しています。しっかりリハビリをして、また元気に投げる姿を見ていただけるように、そしてチームに貢献できるように頑張ります」。
何一つ悲観することはないし、してもいない。
高校時代、成長痛で選手を離脱してマネージャーをしているころ、読んだ本に見つけた「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉に心を射抜かれた。
これまでも数々の苦境を乗り越えてきた湯浅投手だ。「パワーアップして戻りますよ」と今回もまた、さらに強くなって1軍の舞台に帰ってくる。
(撮影はすべて筆者)