3人の大臣更迭と悪質商法被害者救済法の成立 危なげな岸田政権が生き残ったワケ
会期末ぎりぎりで成立した被害者救済法
第210回臨時国会が12月10日に閉会した。土曜日に国会が開かれるのは実に29年ぶりということだが、この日の午後に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題をめぐる被害救済法が参議院で可決され、成立した。とりあえず会期延長を避けることができたためか、夜7時から行われた記者会見で岸田文雄首相は疲れを滲ませつつも、時折ほっとした表情を見せている。
この臨時国会が始まった10月3日に、岸田首相はまさかこのような展開になることを予想できただろうか。69日の会期の間に3名の閣僚が更迭されたが、そのうち2名は岸田首相が会長を務める宏池会のメンバーだった。しかも寺田稔前総務大臣は派閥の創始者である故・池田勇人首相の義孫で、岸田首相と同じ広島を地盤としている。岸田首相にとって彼らを斬り捨てるのは、さぞかし苦しい思いだったに違いない。
斬り捨てざるをえなかった大臣たち
それにしても目立っていたのは、野党の厳しい追及に対する各大臣の弁明能力の痴劣さだった。山際大志郎前経済再生担当大臣は旧統一教会との関係の説明に終始したが、常に他人事のような印象がついてまわった。
山際氏は甘利明前幹事長の側近で、その入閣には甘利氏の強い押しがあったと言われる。昨年の衆議院選で甘利氏は神奈川13区で落選・比例復活したために幹事長を辞任したが、山際氏を内閣に残すことを強く求めたようだ。よって山際氏は2度の内閣改造を生き残り、経済再生担当の他、新型コロナ担当や目玉となる「新しい資本主義」担当など重要な役割を担ってきた。
しかし山際氏の岸田首相へのロイヤリティはほぼ皆無だったに違いない。10月24日に大臣を辞任した時の山際氏の表情からは、何の感情も読み取ることができなかった。また山際氏は、悪質商法被害者救済法が衆議院で可決した12月8日、起立して拍手する他の議員らとは異なり、ただ黙って前を見つめるだけだった。
警察官僚出身の葉梨康弘前法務大臣は横柄な態度が目立っていた。葉梨氏は9日夜に武井俊輔外務副大臣のパーティーに出席し、「法務大臣は死刑のハンコを押した時だけニュースになる地味な役職」「法務省と外務省は票とおカネに縁がない」と発言。それが問題となり、翌10日朝に松野博一官房長官から注意厳重を受けている。
にもかかわらず葉梨氏は発言の撤回を否定し、ICレコーダーを差し出した記者を「紙が見えない」と振り払うなど、傍若無人ぶりな態度も目立った。しかし谷垣グループの遠藤利明総務会長や公明党の斉藤鉄夫国交大臣らから苦情が出て更迭が明らかになると、その態度は一転。愁傷な様子で反省する姿勢を見せた。
もっとも彼らの行為や態度は政治的倫理に反したかもしれないが、特段法を犯したわけではない。一方で寺田前総務大臣は、政治資金収支報告書の不実記載に加え、身内への資金還流や源泉徴収書類の未提出による脱税疑惑が報じられた。さらに秋葉賢也復興大臣には、公設秘書への選挙買収疑惑や県議時代からの選挙の「影武者」問題、政治資金の親族への還流疑惑など「政治とカネ」に加えて、旧統一教会関連団体への会費支出問題も絡んでいた。
なぜ秋葉大臣を更迭しなかったのか
岸田首相は寺田前大臣までクビを切ったが、秋葉大臣は更迭していない。その背景に、架空の事務所費計上問題で佐田玄一郎規制改革担当大臣(当時)が辞任し、同じく事務所費問題で松岡利勝農水大臣(当時)が自殺、その後任の赤城徳彦農水大臣(当時)が事務所費問題で辞任、また「原爆はしょうがない」発言で久間章生防衛大臣(当時)が辞任するなど、4人の大臣が政権を去らざるをえなかったため、わずか1年で崩壊した第1次安倍政権の存在が見えてくる。
もちろん第1次安倍政権は、大臣の自殺や辞任で崩壊したものではなく、2007年の参議院選挙での自民党の敗北や、安倍元首相の健康問題も大きな理由となっている。しかし次々と大臣が内閣を去ることで、政治的求心力は失われたことは紛れもない事実といえる。
岸田首相自身は第1次安倍改造内閣で短期間だが再チャレンジ担当大臣に就任し、また福田内閣でも続いて沖北や規制改革などの特命担当大臣を務めた。岸田首相は安倍元首相と当選同期だが、当時はその存在をまぶしく見る一方で、さまざまなことを学んだに違いない。そのひとつが「ストップアット3(大臣辞任は3名まで)」ではなかったか。
岸田首相はどこへ「進」むのか
2019年11月にテレビ番組で「総理になったら何をやりたいか」と尋ねられ、岸田首相は「人事をやりたい」と答えているが、そのルーツは第1次安倍政権だったのではないか。そして人選の過ちが政治生命を脅かしかねない危険性を、その眼で見てきたのではなかったか。
しかし「人事」の前にはリーダーが決する方針がなくてはならず、ただいたずらに人を動かせばいいものではない。
岸田首相は12月12日、記者団に「今年の1字」を聞かれ、「進」と答えた。「課題をひとつひとつこなしていく」と岸田首相は「前進」する意欲を語ったが、まずは方向性を定めることが重要だ。京都清水寺で選ばれた「今年の1字」はロシアによるウクライナ侵略などから「戦」が選ばれたが、来年はさらに混迷して「乱」にならないとも限らない。岸田首相はいったいどこに「進」もうとしているのか。