甲子園球場で引退試合を行った阪神タイガースWomen・高塚南海、その“フルスイングな”人生
■最後の打席でもフルスイングで先制点を挙げた
代名詞である「フルスイング」は、自身の生き方そのものだ。これまでもそうだったし、これからも変わらない。もちろん、最後の打席でも貫いた。
阪神タイガースWomenの高塚南海選手が現役を引退した。11月13日、対全日本大学女子硬式野球選抜戦が引退試合となり、「4番・レフト」で先発出場した。
1打席目は1死一、二塁から二飛に倒れたが、最後の打席で魅せた。三回表、打席に入ると三塁ランナーに目をやる。視線の先にいるのは前田桜茄選手だ。女子プロ野球時代からの盟友で、23cmの身長差から「凸凹コンビ」と名づけられた“相方”でもある。
カウント2―2から思いっきり振り抜いた打球は、ライト頭上への犠牲フライとなり、前田桜選手は悠々と先制のホームを踏んだ。
「ヒットが欲しかった部分はあるけど、チームのために何ができるかと考えた。三塁ランナーが足の速い前田選手だったので、少しでも遠くに飛ばして1点を取れるように、それを意識して打席に立った」。
「凸凹コンビ」で挙げた得点に「何かいいタイミングで巡ってきているんだろうなと思った」と振り返り、前田桜選手も「しっかり塁に出ることができて、南海の最後の打席でタッチアップでっていう、やっぱりそういう運命やったんやなっていうので、すごい感慨深いなぁって二人でベンチで話していた」と白い歯をこぼした。
■ファンに愛された凸凹コンビ
ともに2015年に東北レイアに入団し、厳しい練習に耐え、切磋琢磨してきた。「プライベートも仲いいし、言い合ったりすることもあったけど、一緒に成長してきて、また最後に一緒に野球ができたことは本当に嬉しく思う」と目を潤ませる高塚選手にとって、「これまでもずっと悩みごとを伝えてきた。一番相談できる相手で、話を全部聞いてくれた」と、もっとも信頼し合えるのが前田桜選手だという。
前田桜選手も「めっちゃ仲いい分、同じ外野手でライバルだった。自分が出ていないときは悔しかったし、南海もそうだったと思う。そのおかげで切磋琢磨してここまでできた」と振り返る。
「野球の技術の話はしない。ライバルだと思っているから、見て刺激を受けるというか、自分で学んでいかに差をつけるか。相手を超すために、お互い別のところからいいものを取り入れて、それをぶつけ合うみたいな感じやった」。
互いに相手を認め、リスペクトしているからこそ、絶対に負けたくなかった。そして、だからこそともに高め合ってこれたのだ。
■女子選手が甲子園でプレーする意味
スタンドで見守ってくれた家族や友人、これまでずっと応援し続けてくれたファンに「恩返しになるプレーをしたい。打席一つ一つで思いっきり、自分のスイングをしようと思った」と、いつものフルスイングを見せられたことが、何より嬉しかった。
「節目節目で野球を続けるか迷った時期もあったけど、最終的に続けてきて、そのおかげでこうやって阪神のユニフォームを着て甲子園でプレーできて、最後、引退試合を甲子園でできるということは、選択してきたことが正しかったんだなと思った」。
近年、女子野球をとりまく環境が目まぐるしく変わってきている。高校や大学の硬式野球部、クラブチームなどがどんどん増え、昨年から甲子園球場で女子の高校野球決勝戦も行われるようになった。
「女子が甲子園でプレーするとか、ましてや引退試合を甲子園でできるなんて、10年前だったらあり得ないことだった。また10年先ってどうなってるんかなって楽しみ」。
女子野球普及のために貢献してきた自負は、少なからずある。そんな自身を誇りに思い、今後のさらなる発展に期待を寄せる。
■小学3年から野球一筋
高塚選手が野球を始めたのは小学3年生のときで、小中ともに2歳上の兄が所属するチームでプレーした。
「小学生までは体力の差も感じず馴染めていたけど、中学校に入ってからは力の差を感じるようになったし、女の子ひとりだったから周りにちょっと気を遣われている感はあった」。
進学にあたっては、高校のソフトボール部から推薦の話もきたが、「ソフトボールの選択肢はなかった。野球がしたかった」と言い、「そのまま男子の中でやろうかなと考えていたら、ちょうど女子野球部ができることになって、(自宅から)通えるところだったし、私立だったけど親にお願いして行くことにした」と京都両洋高校に進んだ。
高校に進学するタイミングでソフトボールに転向する女子も少なくなかったが、「なんでかな…今振り返ってみたら、なんでそんなに野球にこだわっていたのかわからないけど。なんか野球が好きだった」と笑う。
当初、プロに行く気はなかったという。
「高校で4番を打たせてもらっていたけど、そんなに活躍できたわけでもなかったし、プロに行けるほどの実力があるとも思っていなかった。野球を続けるかどうか悩んでいて、もう辞めようかなとも考えていた」。
しかし当時の監督に呼ばれ、「自分が伸ばしてあげられなかった分、プロの指導者に伸ばしてもらってほしい」とプロテストを受けることを強く勧められた。最初は断っていたが、何度も説得されて受ける決断をした。それほどまでに監督は伸びしろを高く評価してくれていたのだ。
女子プロ野球リーグの入団テストに合格し、2015年、16年は育成チームである東北レイア(16年の名称はレイア)で活躍。17年は兵庫ディオーネでプロ初本塁打を含む3ホーマーをマークして最優秀新人賞、ベストナインを受賞。18年には京都フローラでリーグ初の2打席連続ホームランを放ち、最多本塁打のタイトルにも輝いた。19年は埼玉アストライアに移籍し、20年シーズンをもって退団した。
■「美人すぎる外野手」と話題になった
まだ今よりも女子野球が知られていないころだ。整った顔立ちと八頭身のモデル体型から「美人すぎる外野手」と称され、そのビジュアルに注目が集まった。リーグも女子野球の認知度を上げるために「美女9総選挙」を開催するなど、それを後押ししていた。
「ルーキーのころは、プレーよりもそういう部分で取り上げられるのがイヤだった。負けず嫌いなので。でも、知ってもらうきっかけになればいいなっていう考えに変わってからは、全然気にならなくなった」。
実際、ビジュアルから入ってきた人が初めてプレーを見て、その技術の高さを知り、プレーヤーとしてのファンになってくれた。“ビジュアル推し”の人々が女子野球の魅力にハマッていくのを肌で感じるようになった。
「女子野球がどんどん認知されていく、その時代の流れを現役選手として見てきた。ビジュアルに注目されるのは女子野球だけじゃなく、ほかのスポーツだったり、男子のスポーツでもある。だから、きっかけはそんなに大事じゃないのかなと思う」。
どんな入口からでも、まずは入ってきてくれることが大事なのだ。そして、そういう人たちに渾身のプレーを届けようと頑張ってきた。だから、知って好きになってもらえることが嬉しかった。
■「フルスイング」が身上
そんな高塚選手がずっと貫いてきたのが「フルスイング」だ。自身のストロングポイントはパワフルな長打力であることを自覚し、女子プロ野球界でも稀有なスラッガーとしてトレーニングにも精を出した。
「一番大事にしていたのは全力を出しきること。打席で中途半端なスイングをするよりは、思いきって気持ちいいくらいフルスイングする。それは野球教室で子どもたちにも伝えてきた。100%、それ以上の力を出せば、力を抜いている大人にも勝てるんだよって。わたしたち女性は男性より力はないけど、男性よりもフルパワーでやったらこれだけできるんだっていうことを、ずっと伝えてきた」。
女子の、そして自身の可能性を広げるもの、それが「フルスイング」だった。
■悩みに悩み抜いた末の結論
女子プロ野球を退団したときも野球を辞めることを考えたというが、そのタイミングで阪神タイガースWomenが立ち上がり、高塚選手もタテジマに袖を通すことを決めた。
「初年度のメンバーに携われたということも大きいし、まず男子と同じユニフォームが着られるっていうことが、野球を始めたころには想像もできなかったこと。やはり地元関西の阪神が女子野球を作って応援してくれるっていうのは、女子野球界の時代も変えてくれたなと感じる」。
チームメイトに恵まれ、チームの環境も素晴らしく、応援してくれるファンの存在も大きかった。しかし、高塚選手は決意した。ここで退こうと。そのわけをこう語る。
「自分の中で今まで感じなかった壁みたいなものがあって、ずっと悩んでいた。その壁を攻略するのがなかなか難しくて、このまま続けていっても自分的にきつい部分があるのかなと思った」。
出場機会の減少が大きな理由だった。最終的に10月の全日本女子硬式野球選手権大会で決めたというが、この大会では代打とスタメンで2試合に出場して、計3打数2安打と結果を残しているが、そこには葛藤があった。
「ヒットを打って継続して出られるなら…。常に、出たら絶対に結果を出す気持ちでいたけど、それがレギュラー定着につながらなくて、どう頑張っていいのかわからない状態になった。悩んだけど、ほかに行ってまで野球を続けようとは思っていないし、この素晴らしい環境でできたことは光栄なので、ここで決断した。全然あかん状態で引退するよりは、ある程度いいときに辞められたのかなと思っている」。
負けず嫌いであるがゆえだという。そして「結婚とは関係ない」と続ける。今年2月に結婚したが、「主人もやりたいだけやったらいいよって応援してくれていたけど、自分の判断で決めた」と言いきる。
■女子プロ野球の復活を願う
「いいときも悪いときも、すべてが経験につながった。しんどい気持ちもあったし、嬉しい気持ちもあった」としみじみ語り、一緒に戦ってきた仲間や野球でつながってきた人々、応援してくれた人たちに「そういう方々の存在があってのわたしの野球人生だった」と感謝した。
そんな誇りに思える野球人生を歩めたからこそ、願いがある。女子プロ野球の復活だ。
「女の子が将来の夢を訊かれたときに「プロ野球選手」っていうのは、なかなか出てこないと思う。プロがあったときは『女子プロ野球選手になりたい』という子どもの声が増えて、夢の一つになっていた。女子がスポーツでごはんを食べていけるってすごく大きなこと。将来、阪神もプロ化してくれたら最高」。
全国各地での野球教室やタイガースアカデミーで、女の子にも教えてきた。高塚選手をきっかけに野球を始めたという子もいたし、悩んでいたけど高塚選手の励ましで頑張れたという子もいて、さまざまな女子選手と出会い、その背中を押してきた。
女子が野球をする場は増えたが、将来の夢として目指せる場所「プロ」が再びできることを願っている。
■フルスイングを貫く
「フルスイング」は高塚選手のプレースタイルであり、生きる姿勢だ。
「自分の人生って自分が主役。自分の人生なのに脇役を生きるのは違うと思うので、周りの人にどう思われるとか考えず、したいと思うことはしたいし、自分が決めたことはやり遂げたい。誰かに言われたとおりにしたら、失敗したときに後悔するし人にせいにしてしまう。自分の決断なら自分で反省できる。だから、これからもフルスイングは貫いて生きていきたい」。
バットは置いたが、今後の人生においても高塚南海はフルスイングを続ける。
(表記のない写真の撮影は筆者)
【高塚南海*関連記事】
*結婚
【阪神タイガースWomen*関連記事】
*前田桜茄
*野原祐也
*鶴直人