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「自分をまっぱだかにされた気分」。常に愛想笑いして周囲に合わせてしまう現代のヒロインを演じて

水上賢治映画ライター
「まっぱだか」で主演を務めた津田晴香  筆者撮影

 神戸にある元町映画館が開館10周年を迎えて製作した映画「まっぱだか」は、もはや必然ではないかという男女のめぐり逢いの物語だ。

 めぐり逢うのは、神戸の街の片隅で生きる俊とナツコ。

 恋人を失った過去からまったく立ち直れない俊は、毎夜浴びるほど酒を飲んでは酔いつぶれている。

 役者志望のナツコは、周囲から求められ押し付けられた「明るく元気」というイメージに嫌気が差しながら、その期待を裏切らないよう振る舞う自分という人間にストレスを抱えている。

 いつからか心から「笑う」ことを忘れてしまった二人が、「互いにそのとき最も必要だった存在」としてめぐり逢うことになる。

 「めぐり逢い」とするとなんだかロマンチックな出会いを想像してしまうが、そうではない。

 すれ違いのラブロマンスでもない。

 深く傷つき、失意を抱え、やり場のない孤独の先の日常に起きた「ささやかな奇跡=めぐり逢い」といったほうが近いかもしれない。

 俳優としても活躍する安楽涼と片山享が共同監督で作り上げた本作でヒロイン・ナツコ役を射止めた津田晴香に訊く。(全四回)

「まっぱだか」で主演を務めた津田晴香  筆者撮影
「まっぱだか」で主演を務めた津田晴香  筆者撮影

ナツコを演じることでようやく自分という人間と向き合うことができた

 前回(第二回)で、演じたナツコは「自分だ」と思った語った津田。

 ある意味、自分自身をさらけだした役を演じて、こんなことを感じたと明かす。

「ナツコを演じることで、『まっぱだか』という作品を通じて、ようやくちゃんと自分という人間と向き合うことができたと思います。

 正直なことを言うと、ずっと自分のことがあまり好きになれないでいた。

 そもそも、わたし、すごく面倒くさい人なんです(苦笑)。

 周囲からなんとなく求められる『津田晴香』の姿があって、『ほんとうの自分はそうじゃないんだけどな』と思いながらも、そのイメージを裏切ることはできない。

 そう振る舞ってしまう自分が嫌で、そのように考えてしまう自分自身が嫌で嫌でたまらない。嫌だけど、変える術も自分はわからない。

 ひとりで勝手にこじらせていると言われれば、その通りなんです(笑)。

 それはたぶん自分に対しての自信のなさからきているのかなと思うんですけど……。劣等感の塊を常に抱き続けているところが自分にはあるんです。

 これまで、そこから目を逸らしてきた。

 でも、『まっぱだか』を前にしたとき、もう直視せざるえなかった。

 ナツコは『自分』だから、演じるためにも、役を理解する上でも、ひとりの演じ手として真摯に向きあうしかない。ナツコについてなにひとつ見過ごすことはできない。

 それがイコールで、自分と向き合うことだったんですよね。

 でも、そう心に決めてはみたものの、自分自身と向き合うとやはり目がいくのは、自分の嫌な部分ばかり。ですから、ものすごくしんどい時間でした。

 なんで自分はこんな後ろ向きな性格なんだろうと。もっと前を向いてさっぱり生きられないのかと思いました(笑)」

「まっぱだか」より
「まっぱだか」より

ナツコが言っていることはわたしがずっと言いたかったこと

 ナツコという役で、自分自身をさらけだした。

 それはイコールで、もしかしたら、自分という人間を丸裸、いや今回の作品で言えば、まっぱだかにされたのかもしれない。

「その通りだと思います。ほんとうに、心をまっぱだかにされたというか、みられてしまったというか。

 もう、わたしがこれまで声に出せないできた本音や本心、ずっと隠してきた内なる声が、この作品にはつまっている。

 ナツコが言っていることはわたしがずっと言いたかったことだし、ナツコが感じていることは、すべてわたしが人間関係やこの社会で感じていたこと。

 ほんとうにわたしのほんとうの気持ちがすべて出てしまっていると思います」

恋人役は本気で嫌いになっていきました(笑)

 そのため、撮影の間は、ナツコ=津田晴香で現場と現実がほぼ地続きのようになっていたという。

 本作の監督を務める一方で、ナツコの恋人で徐々に関係が破綻していってしまう横山を演じていた片山は、「撮影が進めば進むほど、本気で津田さんに嫌われていきました(苦笑)」と撮影を振り返っている。

「もう撮影がはじまってからはナツコを自分から切り離せなかった。

 もちろん片山さんは横山ではないことは頭ではわかっているんです。

 でも、もうダメなんです。気持ちがそうなってしまっている。

 ナツコは横山にどんどん不満をつのらせていって、まったく自分をみているようでみていない彼にある瞬間絶望する。

 そのままで、時間の経過とともに気持ちが離れていって、最後の方は『もう無理、無理、顔もみたくない』みたいな感じになってました(笑)。

 また脚本を書いた片山さんのそこがすごいところなんですけど、横山のセリフというのが、ナツコ=わたしにいちいちひっかかってくる、癇に障る、いわれたくないことばかりなんですよ。だから、もうどんどん心が離れていく(笑)。

 本気で嫌いでした(笑)」

自分のことが嫌いじゃないという気持ちも見つけることができた

 ただ、撮影を終えたいまは、すごく片山に感謝しているという。

「片山さんが横山になって、わたしが嫌だなって思うことを的確に言葉として投げてくれたこそ、いままでの自分を確認できたところがあったんです。

 前にお話しした通り、それまでずっとわたしは、『明るくていつも笑顔』みたいなある種の自分のイメージにとらわれて、そういないいけないと自分の本心を押し殺してきたところがあったわけです。いわれるがままで、ある意味、自分の問題から逃げていた。見過ごしてきた。

 ただ、今回は撮影の前にひとつ決めたんです。ナツコという役ではありますけど、投げかけられる言葉を受け流すのではなく、逃げないでちゃんと意識して受けとめようと。

 それでちゃんと受け止めたときに、ほんとうにしんどかったんです。そこで自分がしんどいことをどうにかごまかそうと、はにかみ笑いでやり過ごしていた気持ちがよくわかった。無意識の中で、自分という人間を守ろうとしていたことに気づいた。

 だから、自分のことが好きになれないといいましたけど、その中に自分のことが嫌いじゃないという気持ちも見つけることができたんです。

 そのことを含めて、自分の気持ちをみつけることができた。

 これは片山さんのおかげ。だから、撮影中は大っ嫌いだったんですけど、いまは感謝の気持ちでいっぱいです(笑)」

ナツコはどういう人物と聞かれたら、

やっぱり『わたしです』という答えになってしまいます

 では、今回の経験は本人にとってどういうものなのだろうか?

「映画としてはフィクションなんですけど、わたしからすると自分のドキュメンタリーをみているような感覚になるところがあります。

このときはこう思ってたとか、あのときはすごくくやしかったとか、あのときの自分の気持ちが甦ってきて、それがそのまま作品に映し出されている。

 だから、ナツコはどういう人物と聞かれたら、やっぱり『わたしです』という答えになってしまいます。

 繰り返しになりますけど、めっちゃしんどかったけど、そのおかげで、自分の本心を知ることができた。

 そういう意味では、すごく大きな経験になりました。

 ただ、もう一回やれといわれたら無理、もう十分すぎるぐらい自分の嫌いなところとは向き合ったので、もういいです(笑)」

(※第四回に続く)

【津田晴香第一回インタビューはこちら】

【津田晴香第二回インタビューはこちら】

「まっぱだか」より
「まっぱだか」より

「まっぱだか」

監督:安楽涼、片山享

出演:柳谷一成、津田晴香、安楽涼、片山享、

タケザキダイスケ、大須みづほ 他

脚本:片山享、安楽涼

撮影:安楽涼、片山享

録音・整音:杉本崇志

音楽:藤田義雄 主題歌:Little Yard City「Walk With Dream」

ポスタービジュアルおよび場面写真は(C)元町映画館

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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