アイヌへの偏見差別と私たちの意識:調査報道へのコメント欄の疑問に答えて:寝た子を起こしてはいけないか
偏見差別って、なかなか理解できません。またこの調査と報道は、偏見差別の実態と同時に、国民がアイヌ問題をどう理解しているのかという調査です。大きな問題は、ギャップです。
■アイヌ72%「差別感じる」=国民全体2割弱、ギャップ鮮明
この調査は、差別の実態や理由を分析するため、アイヌの人々に対象を限定し初めて全国で実施した意識調査です。
その結果、アイヌへの偏見差別が存在していると感じているアイヌの人が7割もいるのに、そのような偏見が存在していると感じている国民は2割しかいなかった、このギャップは問題であるという報道です。
内閣官房アイヌ総合政策室は、「アイヌの人たちは、実際に差別や偏見を経験しているが、国民全体の理解が不足している。広報や教育などを通じて、国民の理解を進めたい」としています(NHK NEWS EWB アイヌの人たちへの差別 認識に大きな差 2月27日)
けれども、この記事へのヤフーコメントを拝見すると、誤解している方々もたくさんいるように感じました。
ご意見には、様々なものがあります。たとえば、
・見た目でわからなければ偏見差別なんてないでしょ
・私は偏見差別を持っていない
・2割の人が偏見差別を持ってるの?
・アイヌに会ったことない人が多いのに日本人全体に調査の意味がわからない
・みんな知らないのだから話題にするとかえって悪いのでは?
・ほとんど会ったことがないのだから偏見差別もない
・アイヌって言わなきゃわからないでしょ
・アイヌだからって差別するわけない
・差別があると言うことが差別につながる
・記事にすること自体が差別
・知らないで意識できなければ偏見は持てない
■アイヌへの偏見差別
上記の記事や記事の元になった内閣府の調査では次のような例が出ています。
差別を「自分が受けている」36.6%。また、また「自分に対して直接的ではないが、自分をアイヌと知らない周囲の差別的な発言を聞いた」62.9%です。その内容としては、「結婚や交際で、相手の親族にアイヌを理由に反対された」57.5%。「職場で不愉快な思いをした」が53.8%など、その他、学校や地域でも不愉快な思いをしている人々がいます。
ヤフーコメント欄にも、自分の体験として、友人や同僚のアイヌの人々が就職や結婚で差別を受けた例をあげている人たちもいます。
すべてのアイヌの人たちがすべての国民から差別を受けているわけではありませんが、アイヌへの偏見差別は確かに存在しています。ただ、知らない人が多いだけです。
■偏見差別とは
あるグループに所蔵しているだけで、その人に対して持つマイナスのイメージが、偏見です。就職や結婚の話が進んでいたのに、アイヌと知ったことでマイナスの感情がわくとしたら、それは偏見です。
偏見を持つ人は、いつもその偏見を自覚しません。たとえば、女性は感情的だという偏見を持っている人は、自分は偏見などないといったり、それは偏見ではなく事実だと語ったりします。もちろん、これは偏見です。
私たちは、偏見を持ってはいけないと教育されているので、「あなたは偏見がありますか?」と質問すると、多くの人が「ありません」と答えます。
そこで、研究者は質問の方法を工夫します。たとえば、ある民族やある病気で治療中の人が、あなたの隣に引っ越してくる、あるいはあなたの兄弟と結婚する、賛成ですか、反対ですかと質問します。
すると、偏見などないと答えた人でも、反対だと答えます。しかし本人は、偏見ではないと感じています。
差別は、偏見に基づく行動(言葉や態度)です。マイナスのイメージを持って、結婚や就職に反対するのは差別です。
差別は、全く関わったことがなければ、できないでしょう。偏見も、全く知らなければ、持てないでしょう。しかし、アイヌと会ったこともないし、アイヌという言葉も知らない人でも、どこかで出会ったり知ったりした時に、偏見差別を持つことはあるでしょう。
■2割と7割
このニュースで問題とされたのは、認識の差です。
たとえば、ある学校で、子どもの7割がいじめはあると回答し、大人の2割しかいじめがあると回答しなかったら、問題でしょう。たとえば、もしもアメリカの黒人の7割が黒人差別はあると回答しているのに、黒人差別があると回答する白人が2割しかいなかったら、やはり問題でしょう。
実際は問題が起きているのに、被害を受けている人たちは感じていて、被害を与えている側やその他の人々はそれを感じていないとしたら、これは問題です。
■知ることは差別につながるか、寝た子は起こすな?
アイヌ問題など全く知らない人にアイヌ問題を教えてしまうこと、こうしてアイヌ問題をニュースにしてしまうことは、かえってアイヌ問題を大きくしているのではないか。寝た子を起こしてはいけないのではないか。これは、偏見差別の問題でよく語られることです。
たとえば、もしもネットユーザーに対する偏見差別があったとしましょう(架空の話ですよ)。すべてのネットユーザーが、すべての国民から偏見差別を受けているわけではないとしても、7割のネットユーザーが今も偏見差別はあると感じていたとしましょう。結婚や就職で不愉快な思いをしていたとしましょう。
それなのに、この事実を知っている非ネットユーザーは少数で、国民多くがが、「そんなこと知らない」「知りたくない」「知る必要はない」と言っていたらどうでしょう。そうなれば、世間の話題にならないまま、ネットユーザーへの偏見差別が続きます。
偏見差別をなくすためには、教育が必要です。偏見差別を進めている人は、ネガティブ情報を流しています。実際の差別も行っています。それほど悪意を持っているわけではなくても、様々な事情から婚約解消とか、社員として雇わないということが起きてしまいます。
だから、問題が起きていることを知らなくてはなりません。認識にギャップがあることを知らせなくてはなりません。偏見差別をなくすためには、正しい情報を得ること、そして互いに協力しあうような交流体験をしていくこと(あるいはそのような様子をテレビ等で見ること)が必要です。
アイヌ問題に限らず、他の人にあまり気づかれないまま、偏見差別に苦しんでいる人々がいます。
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