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【河内長野市】雨に映える観心寺の紅葉もこれからピーク楠木正成の首塚が境内にある理由も再確認しましょう

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

内長野は市内の7割が山で囲まれているだけに、秋の紅葉スポットは数多くあり、11月下旬をピークとして、今も日々色づいてきています。その中でも観心寺は、河内長野駅からバスで15分で行けるので、その気になればすぐに美しい紅葉が愛でられます。

今回訪問したときは、ちょうど雨が降っていました。ついついうっとうしいと思ってしまいますが、雨にしっとりと濡れた紅葉の木々を眺めていると、つくづくとフォトジェニックな美しさを感じます。

さて既にご存じかとは思いますが、紅葉の写真を紹介しながら観心寺について軽くおさらいしましょう。

観心寺は河内長野を代表する寺院のひとつで、山号は檜尾山(ひのおやま)、高野山真言宗の遺跡本山(ゆいせきほんざん)です。

ところでこの遺跡本山ですが、高野山真言宗の寺院の格のことを指し、その順序は次のようになっています。

1、総本山 金剛峯寺(こんごうふじ/和歌山県高野町)
2、大本山 寳壽院
(ほうじゅいん/和歌山県高野町、金剛峯寺に災害があった場合に総本山の役目を果たす)
3、遺跡本山 神護寺(じんごじ/京都府京都市高雄)、 観心寺(大阪府河内長野市)
4、別格本山 各地に存在。
5、準別格本山 各地に存在。

このように、観心寺は、序列として上から3番目に位置するほど格式がある寺院です。2005(平成17)年に、金剛峯寺からこの寺格が贈られました。

伝承では、701(大宝元)年に、修験道の開祖である役小角(えん の おづぬ)が雲心寺と称したことに始まります。

そして現在も境内にある7つの星塚は、空海が北斗七星を勧請(かんじょう:神仏の来臨、分霊を迎える)したもので、日本で唯一北斗七星を祀っているのだそうです。

特別に祈祷した北斗の塩(ほくとのしお)を、寺院で取り扱っています
特別に祈祷した北斗の塩(ほくとのしお)を、寺院で取り扱っています

その後、空海が再度この雲心寺を訪問。木から如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)を彫り、そして観心寺と名付けました。このときの如意輪観音像は本尊で、安置している金堂とともに国宝となっています。

楠木正成の首塚
楠木正成の首塚

さて、境内の奥に楠木正成の首塚があります。なぜここに正成の首塚があるのでしょうか?

建掛堂
建掛堂

観心寺は楠木氏の菩提寺(ぼだいじ:先祖代々その寺の宗派を信仰し、先祖の位牌を納めている寺)です。

そして境内にある建掛堂(たてかけのとう:国の重要文化財)は、正成が境内に建てようとした三重塔の一重目。正成が神戸・湊川の戦いで足利尊氏の軍に敗れて討ち死にしたため、未完成まま残されています。

楠木正成は、現在の千早赤阪村を拠点に鎌倉幕府軍と戦い、幕府滅亡後、御醍醐天皇に仕えました。湊川で敗れ自害したのち、首は敵方の足利方に回収され、京都の六条にさらされます。

しかしそのあと尊氏は、正成の家族を気遣って首を送り返し、それが観心寺の境内に埋葬されました。当初は北朝側が勝利したので正成は悪者になっていましたが、やがて汚名が返上されます。

そして江戸時代の歴史家により、正成が天皇を最後まで裏切らなかったという行動が「忠臣(ちゅうしん)」であるとして、悪者から一転。正成そのものが尊ばれる存在となりました。

こうして幕末には、天皇に忠誠を誓って外国勢力を排除する、尊王攘夷(そんのうじょうい)派の天誅組(てんちゅうぐみ)が首塚の前で決起し、幕府に反乱を起こします。

さらに明治天皇が南朝を正統と認めたため、戦時中の国威発揚(こくいはつよう:国家が外国に対して発奮し威勢をあげる)の場として利用されました。観心寺入口正面にある正成像と同様のものが、今も皇居外苑にあります。

21世紀になり歴史上の研究が進んだ結果、正成に対するイメージも以前のような天皇に忠誠を誓うというだけの人物とは大きく変わってきています。

紅葉はこれからピークを迎えます。観心寺の美しい紅葉を愛でながら、中世の歴史の表舞台で活躍した正成に思いをはせてみるのも、秋の休日にふさわしいかもしれません。

最後に観心寺で11月に行われる行事・イベントを紹介します。
11月18日(木)10:00から 
ユージ南さんの奉納マジック 住職法話
11月27日(土)9:00から 阿字観  
      10:30から 絵写経


檜尾山観心寺(外部リンク)
住所:大阪府河内長野市寺元475
電話:0721-62-2134
開山時間:9:00~17:00
拝観料:大人300円 小中学生100円
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 観心寺バス停から徒歩3分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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