【駅の旅】飫肥杉に囲まれ悠久の時を思う城下町の駅/JR日南線飫肥(おび)駅(宮崎県)
宮崎から日南の海を眺めて1時間余
朝から南国の明るい太陽があたりを照りつけている。宮崎を発車した日南線の列車は、宮崎空港の管制塔や、鬼の洗濯岩と呼ばれる青島の海を左手に見ながらのんびりと南下する。宮崎駅を出てからおよそ1時間10分で飫肥(おび)に着く。
週末などに運転される観光特急「海幸山幸」で訪れる人も多い。宮崎と南郷を結ぶこの列車は木をモチーフにした和風のデザインで、車内では「海幸彦・山幸彦伝説」の紙芝居が行なわれる(下りのみ)。
飫肥は九州の小京都と呼ばれる飫肥藩伊東氏の城下町。飫肥駅は、お城をイメージした駅舎である。飫肥はどこでも歩いてまわれるほどの小さな街で、飫肥城までは歩いても15分ほどだが、駅前で自転車を借りることもできる。
飫肥は伊東氏の小さな城下町
いにしえの風情を残す武家屋敷通りには、立派な錦鯉が悠々と泳いでいる。どうして武家屋敷には錦鯉が似合うのであろうか。悠々と泳ぐその姿が、旅の疲れを癒してくれる。
飫肥城は、豊臣秀吉の時代から明治初期に至るまで、飫肥藩を治めた伊東氏の居城であった。それ以前は、隣国の薩摩との争いが絶えず、1577(天正5)年には、薩摩の島津氏の軍門に下って薩摩領となった時期もあった。だが、豊臣秀吉の薩摩征討の際に、豊臣軍に参戦した伊東祐兵(すけたけ)の奮闘により、11年後の1588(天正16)年に領地を取り戻した伊東氏が、それ以来この地を治めたのだった。飫肥城は明治維新後の1873(明治6)年に廃城となり、建物はすべて取り壊され石垣が残るのみだが、1978(昭和53)年に大手門が、その翌年には松の丸御殿が再建されている。
飫肥城の大手門のすぐ横にある、「豫章館」は、伊東氏の屋敷で、飫肥の武家屋敷の中で最も格式のあるものとされている。屋敷の南側には、閑静な佇まいの枯山水式庭園がある。よく整備された庭には、庭石や石灯篭が見事に配置されており、心が和む。
飫肥杉が藩の窮状を救った歴史を思う
大手門をくぐって入る城内には大木が多い。しっとりとした杉木立の中に、夏になると蝉時雨が心地よく響く。元々、飫肥藩は貧しい貧乏藩だったというが、それを救ったのは、この飫肥杉だった。高温多湿のこの地域に育つ飫肥杉は、成長が早く、油分が多くて腐りにくいため、日向の弁甲材として当時の造船に重宝されたという。その杉林に響く蝉の鳴き声は、今も昔も変わらないに違いない。しばし、木陰で悠久の歴史を思い浮かべながら、のんびりとした時を過ごす。
この町で買った焼酎は、その名も「飫肥杉」。地元の名水を使った比較的クセのない爽やかな芋焼酎。南の海を眺めながらほろ酔い気分で、日南線の呑み鉄の旅を続けた。