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藤田菜七子騎手、初参戦のスペイン競馬リポート。「やりたい競馬は出来ました!!」

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
スペイン、サルスエラ競馬場で騎乗した藤田菜七子騎手

2年越しのスペイン入り

 現地時間24日、スペイン、マドリードにあるサルスエラ競馬場で藤田菜七子騎手が騎乗した。

サルスエラ競馬場で騎乗した藤田菜七子騎手
サルスエラ競馬場で騎乗した藤田菜七子騎手

 この日、行われたのは世界中から12人の女性騎手が集められ、日本のワールドオールスタージョッキーズのような形で覇を競う「セカンド・インターナショナル・チャンピオンシップ・フォー・ジョッキーズ」。20日に現地入りした藤田は「カタールまで十何時間飛んで、そこからまた7時間くらいの長旅でした」と苦笑したが「時差にはすぐに対応出来ました」と明るい表情で語った。

 「6時くらいにレストランへ行ったら8時からだと言われました。こっちのレストランはどこも開店が遅いんですね」

空いた時間には王宮なども巡り、文化の違いを肌で感じた
空いた時間には王宮なども巡り、文化の違いを肌で感じた

 面を喰らった表情で、そう語った。そうやって文化の違いを肌で感じるだけでも良い経験だ。これが競馬となれば“より素晴らしい経験”となることは疑いようがない。

 イギリス、アブダビ、スウェーデン、マカオ、サウジアラビアに続き、今回が6カ国目となる海外での騎乗。

 「マカオの馬は全部、ブリンカーを着けていて、乗り難しいのが多かったですけど、サウジアラビアは意外と躾の出来た馬が多くて、乗りやすかったです」

 少々のベテランよりも海の向こうでの経験は豊富なのだ。スペインでは、彼女の写真を持ってサインをもらいに来るファンがいたくらい、NANAKOの名前は世界にも知れ渡っている。

 今回は2年前の2020年、一度招待されたイベントだが、当時は直前に怪我をしたため遠征を断念。3年越しのリベンジの機会となった。

藤田の写真を持って現れた現地のファン
藤田の写真を持って現れた現地のファン

入念に下調べ

 レース前日の23日には、主催者側の案内で騎乗する3頭の馬と対面。それぞれの調教師とも会話をした。

 「ダートの中距離に実績のある馬なのに、芝の1200メートルで、しかも重いハンデで出なければいけないみたいです。厳しいかもしれませんね」

レース前日には厩舎を回って騎乗馬と対面し、調教師とも打ち合わせをした
レース前日には厩舎を回って騎乗馬と対面し、調教師とも打ち合わせをした

 苦笑しながら、事前に仕入れた情報でそう語ると、騎乗予定の馬のレースぶりもWEBでチェック。更に目の前で実際にみた馬との印象を重ね合わせ、レースをイメージする。

 その後、自らの足で馬場を一周。7、8月の開催では未使用。6月以来に開放された9月も、日曜日の3回しか使っていないという芝コースを歩き、言った。

 「いかにもあまり使っていないという感じの綺麗さでした。コーナーの出口付近だけ少しはがれていたけど、後はとくに内外を気にする必要はないように感じました」

 その日の晩は主催者の用意したウェルカムパーティーに参加。3位までに送られるトロフィー代わりのオブジェを手にして、言った。

 「見た目より重いですね。でも、出来る事なら持って帰れるような活躍をしたいです」

細かい馬柄のドレスでパーティーに出席。優勝者に贈られるトロフィー代わりのオブジェを手にして「意外と重いです!」
細かい馬柄のドレスでパーティーに出席。優勝者に贈られるトロフィー代わりのオブジェを手にして「意外と重いです!」

やりたい競馬は出来ました!!

 レース当日は好天に恵まれた。10時に競馬場に着くと、すぐにまた芝コースを歩いた。

 着順によるポイントは1着15点、2着12点、3着10点、4着7点、5着4点で、6着以下は競走中止や除外も含めて全て2点。現地時間12時にスタートした最初のレースは、逃げられるほどの好発を決めた。しかし「馬の後ろに入れてくれとの指示だったため」あえて行かずに下げた。そして、最後の直線では狭い中を縫って伸びると、勝ち馬ともそう差のない4着で、幸先良く7ポイントを獲得した。

 ところが第2戦、第3戦はそれぞれ11、7着。大きくポイントを獲得する事は出来ず、総合成績は9位に終わった。

 優勝したのはディフェンディングチャンピオンでもあるユーリカ・ホルムクイスト。2019年にスウェーデンで行われたウィメンジョッキーズワールドカップでも共に腕を競い合った仲だ。

 「スウェーデンでは勝たせてもらえたけど、今回はやり返されちゃいました」

後列中央が優勝したホルムクイスト騎手。前列左から3人目が藤田
後列中央が優勝したホルムクイスト騎手。前列左から3人目が藤田

 そう言う藤田だが、表情は決して暗くはなかった。

 「日本では危ない場面で声をかけて、互いに安全を確保するのが当然だけど、今回は、声をかけても注意を払ってくれない騎手もいました。それでもどのレースも想定していた位置で競馬が出来たし、やりたい競馬は出来ました。JRAの女性騎手も増えたので、私はもう呼ばれないかと思った中で、こうして呼んでいただけたので、帰国後にはこの経験を今後に活かしてもっと頑張ります!!」

 確かに勝ち星だけならもっと多い女性騎手が出て来た。しかし、彼女が女性騎手の第一人者である事に、異論を唱える人はいないだろう。デビュー当初は若手騎手の寮に女子用の洗面所すら無かった。そんなエピソードはほんの一例で、トレセンでも競馬場でも、人知れず、涙を流した事もあっただろう。女性が誰もいない時期に、勇気を持って男しかいない馬の世界に飛び込み、道を切り拓いてきた。そんな藤田菜七子に、競馬の神様が用意してくれたご褒美が、こういった海外からの招待状なのではないだろうか。イベントの翌日である25日にはスペインを後にして、フランス入り。シャンティイでの調教騎乗だけでなく、サンクルー競馬場でのレース騎乗も決まった。10月1日にはパリロンシャン競馬場で凱旋門賞(GⅠ)を観戦後、帰国する予定でいる。先述したように、勝ち星だけなら彼女より多い女性騎手が出て来たのは事実だが、再びその座を奪い返せる日が来る事を願いつつ、もう少し続く海の向こうでの挑戦も応援しよう。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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