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選手の質のバロメーター。CLの舞台から日本人が消える日 日本人とチャンピオンズリーグ(前編)

杉山茂樹スポーツライター

日本人とチャンピオンズリーグ(前編)

2015~2016シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)に、予選の結果次第では日本人選手が1人も出場しないことになる。しないではなく、できないといった方が適切か。

W杯の予選突破確率は8割強。アジア枠が4.5もあるので、日本代表のスタメンクラスなら、W杯本大会にはほぼ出場できる。だが、もう一つの世界最高峰の戦い、CLはそうはいかない。日本代表の看板は何のアドバンテージにもならない。W杯で言うところのアジア枠のような、履かせてもらえる下駄もない。純粋に個人の力が試される場だ。そこに日本人選手が1人もいないという現実が、いま訪れようとしている。

そうなれば、05~06シーズン以来、10シーズンぶりの出来事になる。

CLの舞台に何人送り込めているか。それはまさしく、その国の選手の質を示すバロメーター。よい選手の数そのものだ。運不運がつきまとうW杯の成績より、厳粛に受け止めるべき現実になる。

13~14シーズンの後半、CL本選に出場した選手を送り込んでいる国の数を調べてみた。結果は67ヵ国。1位はスペイン。4人を送り込んでいた日本の順位は、ウェールズ、セネガルとともに33位タイだった。

とはいえ、このランキングでは、地元欧州勢にアドバンテージがある。自国のクラブが本大会に出場していれば、出場選手の数も自ずと増える。というわけで、外国のクラブから出場した選手(スペイン人ならスペイン以外のクラブから出場した選手)で集計してみた。

1位ブラジル(47人)、2位スペイン(27)、3位アルゼンチン(26)、4位フランス(20)、5位ベルギー、セルビア(各14)、7位オランダ(13)、8位ポルトガル(11)、9位ウルグアイ、スウェーデン、カメルーン、イタリア(各8)……。4人(内田篤人、本田圭佑、香川真司、宮市亮)の日本は、トルコ、セネガル、ウェールズと並んで、26位タイだった。

33位タイと26位タイ。中間を取ればだいたい30位。チャンピオンズリーガーが4人いてもこの数字だ。日本と肩を並べるセネガル、ウェールズは、2014年ブラジルW杯本大会には出場していない。日本も、アジアの緩い出場枠がなければ、本大会に出場できたかどうか怪しい。そう考えるのが自然だ。

ちなみに日本の4人という数は、11~12シーズンと並び、これまでの最大値。それが来季からゼロになる。時計の針が、10年前に逆戻りする。いや15年前というべきかもしれない。

日本人初のチャンピオンズリーガーが誕生した01〜02シーズン

小野伸二と稲本潤一。当時21歳だった日本代表選手2人が、このシーズンを前に、欧州へ旅立っていった。小野はフェイエノールト。稲本はアーセナル。両チームとも、前シーズンの国内リーグの成績は2位。CLの本選へストレートインする権利を持っていた。

CLの前身、チャンピオンズカップには奥寺康彦さんが1FCケルン時代に出場していた(78~79)。しかし92~93シーズン、チャンピオンズリーグに改称されてからはゼロ。日本人には遠い存在だった。

もう一つの世界最高峰の戦いであるW杯では、98年フランス大会が初出場。01~02シーズンの翌年には、日韓共催W杯が控えていた。チャンピオンズリーガーの出現は、個人の力を世界に示す意味でも、また、団体と個人のバランスを保つ意味でも、待ち望まれていた。世界に知られた顔が代表チームに何人いるか。その数が多いほど箔がつく。存在感は高まるのだ。

可能性が高いと思われていたのは小野だった。スタメンに近い選手として扱われていたからだが、「初」の栄誉を手にしたのは稲本だった。グループリーグ第2節、対シャルケ04戦。稲本は右のサイドバックとして、その後半の途中から出場した。小野の出場はその翌週。対バイエルンとのホーム戦に後半、途中出場を果たした。振り返れば快挙である。当時の彼らが備えていたような勢いを持つ若手は、いま見あたらない。

とはいえ、このシーズンの初めに最も期待を集めていたのは中田英寿だった。中田英は、その前のシーズン(00~01)はローマに所属していた。トッティとのポジション争いに敗れ、スタメン出場の機会は少なかったが、終盤の大一番、ユベントスとのアウェー戦では、存在感を見せつけた。

残り5試合という段で、ローマは2位ユーベに勝ち点6差をつけて首位に立っていた。セリエA優勝の行方は、この直接対決の結果で決まると言ってよかった。だが、ローマはユーベに0−2とされる。このまま終われば残り4試合で1ゲーム差(勝ち点3差)。まさにローマに危険信号が点り始めたそのタイミングで中田英は交代出場を果たし、そして、いきなり放ったミドルシュートをユーベゴールに突き刺した。

さらに中田英は1点差で迎えた後半のロスタイムにも、GKを泳がす強烈なミドルシュートを炸裂させた。そのこぼれ球をFWモンテッラが蹴り込み、ローマは引き分けに成功。優勝を手元にグッとたぐり寄せた。中田英はローマの優勝に大貢献。名を挙げることに成功し、翌シーズン、つまり01~02シーズン、30億円近い移籍金でパルマ入りした。

当時のローマ、パルマは、現在のチェルシー、マンUに相当する

パルマの00~01シーズンの成績は4位。CLは予備予選3回戦、対リール戦からの出場だったが、その時、パルマの本選出場を疑う者はいなかった。

セリエAのレベルはその時、現在とは比較にならないほど高かった。パルマは、そこでビッグ7と呼ばれるトップグループの一角に属していた。本選に出場すればベスト16は確実。8以上も十分狙えそうな豪華メンバーで、リール戦に臨んだ。

ホーム0−2、アウェー1−0。中田英は2トップ下の花形ポジションでいずれもスタメンを飾ったが、相手の執拗なマンマークに遭い沈黙。パルマはそこでまさかの敗戦を喫した。番狂わせを起こしたリールの監督はハリルホジッチ。現日本代表監督に、中田英はチャンピオンズリーガーの道を断たれることになった。

00~01シーズン当時、セリエAは、UEFAリーグランキングで、スペインに次いで2位にいた。その前のシーズンまでは首位の座にいた。そこで優勝を飾ったローマは、現在に置き換えれば、イングランド(同ランク2位)の優勝チーム、チェルシーに相当する。中田英はそこでスーパーサブとして扱われていた。

パルマの場合では、イングランドの4位。昨季でいえばマンUに当たる。当時のパルマのメンバーは、マンUの昨季以上と言いたくなるほどだったが、中田英はそこで2トップ下という花形ポジションを任されていた。

現在、ミランでプレイする本田と比較すれば、当時の中田英の方が世界的な立ち位置では上。そう言っていいだろう。しかも本田が現在29歳であるのに対し、当時の中田英は23歳。本田はCSKAモスクワ時代に、CLに通算11試合出場している。一方、中田英はCLには結局、出場できなかった。しかし、瞬間的な輝き、インパクトでは中田英に軍配が挙がる。

そこに小野、稲本が加わった。さらにその翌シーズンには、中村俊輔も欧州に渡った。この頃の日本人選手には勢いがあった。チャンピオンズリーガーの数が0になろうとしているいま振り返ると、いい時代だったなとつくづく思う。

(後編につづく)

(集英社・Web Sportiva 7月14日 掲載済原稿)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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