史上最長のホームランを打った選手は、その3年後に日本プロ野球でプレーした
MLB.comが「これまで最長のホームランはあなたが想像もしない選手」と題した記事を掲載した。サブタイトルは「1987年6月、このマイナーリーグのスラッガーは月へ向かって打った」。書いたのは、マット・モナガンだ。
今から34年前、ミルウォーキー・ブルワーズ傘下のAAA、デンバー・ゼファーズのジョーイ・マイヤーは、本拠地のマイルハイ・スタジアムで582フィート(約177.4m)のホームランを打った。どうやら、計測されたホームランのなかで最長、ということらしい。マイヤーのホームランは、デンバー市の技師が飛距離を測った。モナガンの記事だけでなく、ニューヨーク・タイムズも、こちらはホームランの翌年にそう報じている。
名前に聞き覚えがあるかもしれない。マイヤーは、1990年に日本プロ野球でプレーした。このホームランの翌年にメジャーデビューし、2シーズンの計156試合で18本塁打を記録した後、横浜大洋ホエールズに入団した。
モナガンの記事には、電話取材に応じたマイヤー――マウイの病院で警備員として働いている――と技師のコメントに加え、582フィートのホームランはカル・リプケンJr.のバットで打ったことや、メジャーリーグでロジャー・クレメンスからサヨナラ本塁打を打ったのはマイヤーだけであることなども書いてある。ただ、日本プロ野球時代については「1シーズンの104試合で26本のホームランを打った」と簡潔だ。
この年にセ・リーグで本塁打王となった落合博満とは8本差ながら、マイヤーの26本塁打は横浜大洋で最も多く、彼に次ぐジム・パチョレック(17本)と高木豊(10本)の合計本数とほぼ変わらなかった。1シーズンしかプレーしておらず、パチョレックとカルロス・ポンセの2人と時期が重なっているせいか、印象は強くないが、調べたところ、マイヤーは少なくとも3本の場外ホームランを打っている。また、シーズン序盤には、空振りした際に左の肋骨を骨折した。
マイヤーのラストシーズンは、1991年だ。メジャーリーグへ復帰することはできなかった。ミネソタ・ツインズとマイナーリーグ契約を交わし、4月にトレードでピッツバーグ・パイレーツへ。その直後、パイレーツは一塁手をメジャーリーグへ昇格させたが、マイヤーではなく、後にオリックス・ブルーウェーブでプレーするオーランド・マルセドだった。マルセドは、2000年にオリックスで23試合に出場し、2本のホームランを打った。日本プロ野球の前後には、メジャーリーグの1391試合で103本塁打を記録した。