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純真な少年を死に追いやった不佞教師の呪縛から逃れ、ボクシングで"生"を実感する31歳

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:イメージマート)

 ボクシングジムに通い始めて4カ月が過ぎた谷豪紀(31)は、10月13日、14日と2夜連続で有明アリーナに赴き、世界タイトルマッチ7試合を観戦した。

撮影:筆者
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 「後楽園ホールには何度か足を運びましたが、生で世界戦を目にしたのは初めてだったので、本当に興奮しました。両日ともに、メインイベントが強烈に心に残りました。初日のWBAバンタム級タイトルマッチは下馬評が低かった挑戦者の堤聖也選手が、不利の予想を覆して勝利した。挑戦者らしく、休まず、徹底的に手を出し続けた姿に心が震えましたね」

撮影:筆者
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 谷は大阪市立桜宮高校(現在は大阪府立)の卒業生である。2012年12月23日、同校に勤務する保健体育教師兼バスケットボール部監督だった小村基が、当時キャプテンだった17歳の少年を自殺に追い込んだことで名を馳せた高校だ。谷は自死を選択せざるを得なかった少年の2学年上で、同じ空間で汗を流している。

撮影:筆者
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 桜宮高校はインターハイやウィンターカップなどの全国大会に駒を進めたが、小村は生徒たちを暴力で服従させることしか出来ない指導者だった。そして、自らの行為で死者を出したというのに、「あの事件から既に10年が経過したのだから、現場に戻せ」と、今年の2月にライセンス再発行を申請するほど面の皮が厚い。

 暴言・暴行を受けながら小村の下で高校バスケットボール部生活を終えた谷は、卒業後10年以上も過去に悩まされた。当時の光景が夢に出てくるのだ。

撮影:筆者
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 「それが、ワタナベジムに通い始めてから、悪夢に魘されることが無くなったんです。ジムでプロ選手に交じって汗を流していると、色んなものが見えてきます。いい選手、上にいく選手というのは、誰に何を言われなくても自分を追い込める。つまり、自分に強いんですよね。

 小村のように教師という立場にふんずり返って、連日暴力をふるっていても職を奪われることがない―――ボクシングの世界って、そんなぬるま湯じゃない。トレーナー陣は、自分の考えをきちんと言語化でき、伝えられる。そこが好きです。

 私は中学卒業時代、強い集団、厳しい監督のいるチームに身を置くことが自分の成長に繋がると信じていました。だから桜宮高校に進学したんです。でも、選択を誤りました。サボろうと思えばいくらでも手を抜ける環境下で、敢えて自分を律する。目標に向かって自分に打ち勝てる人間が、世界戦で勝てるんだな、と有明で感じました。やらされるんじゃなく、自分からやる人間が生き残る。日本の集団スポーツだと、特に高校の団体競技だとなかなか厳しいでしょうが、もし10代に戻れるなら、迷わず個人競技を選びます」

 2日間、有明アリーナの客席に座った谷の胸を最も打ったのが、中谷潤人のパフォーマンスだった。

撮影:筆者
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 「本当にズバ抜けた存在ですよね。7月の防衛戦は1ラウンドKO勝ちを飾っていたので、あんな感じて秒殺するのかなと予想していました。序盤、相手の出方を観察して組み立てましたよね。嵐の前の静けさみたいな感じで……そこからチャンスを作って爆発的なラッシュを見せ、無慈悲にKOしたシーンは、まさに芸術だなと。本人は、予定通りだったのでしょうが、あんな圧倒的な強さなら、会場も自然と盛り上がりますよね。

 中谷さんは、周囲にもすごくフレンドリーに接していますよね。そういう人間性もファンになります。流石に、ボクシングという偽りの無い世界でトップにいる存在だなと。このところ、小村なんて取るに足らない人間だったんだなと、ようやく思えるようになりました。ボクシングと出会って、仕事の効率も良くなったんですよ」

撮影:筆者
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 ソフトウエアエンジニアである谷は、恍惚とした表情で有明アリーナを後にした。無能教師によってもたらされた胸の傷は、少しずつ、消えつつあるようだ。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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