【ポルトガル代表】クリスティアーノ・ロナウド。欲望のままに突き進んできた男。
レアル・マドリーに所属するポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドを突き動かしてきたもの、それは「欲望」かもしれない。
ポルトガルのマデイラ島で生まれ育ったC・ロナウドは12歳でスポルティング・リスボンの下部組織に入団した。欧州のトップクラブにその才能が見出されるまで、時間はかからなかった。
■CR7伝説の幕開け
2003年夏。スポルティングはマンチェスター・ユナイテッドと親善試合を行った。そこでサー・アレックス・ファーガソンの目に留まり、C・ロナウドはユナイテッドに移籍する。
彼には、デイビッド・ベッカムが背負っていた7番が与えられた。CR7伝説の幕開けだ。
ユナイテッドでは左サイドを主戦場に躍動した。スピードとキレのあるドリブルを武器に快速ウィンガーとして評価を高めていき、
プレミアリーグ優勝3回 、FAカップ1回、リーグカップ2回 、コミュニティ・シールド2回とタイトルを総なめにする。
2007-08シーズンには、チャンピオンズリーグ優勝を達成。08-09シーズンにクラブ・ワールドカップも制して、ユナイテッドで欧州と世界の頂点に立った。
■メッシへの対抗意識
だが野心を滾らせる男は2009年夏に再び移籍を決意する。当時史上最高額だった移籍金9300万ユーロ(約120億円)を支払い、レアル・マドリーがC・ロナウド獲得を決めた。
ユナイテッドからマドリーに移籍して、C・ロナウドは得点能力を開花させた。それはアルゼンチン代表のリオネル・メッシ(バルセロナ)への強烈な対抗意識が引き出したアビリティに他ならない
2008年に初のバロンドール(2010年から2015年の間はFIFAバロンドール)受賞を果たしたC・ロナウドだが、2009年から2012年までは4年連続で同賞をメッシに譲った。2010年には、最終候補3名から外れる屈辱を味わった。
ユナイテッドの6年間でC・ロナウドは公式戦292試合118得点を記録。1試合平均得点数は0,4得点だった。一方、マドリーの9年間では438試合450得点を記録しており、1試合平均得点数は1,03得点と決定力を格段に上げている。
「世界一」への欲が、C・ロナウドを突き動かしていた。そして彼は、スピードのあるドリブラーからゴールスコアラーへと変貌を遂げたのである。
■欲望に正直
C・ロナウドは2004年6月12日に代表デビューを飾った。初めてA代表のピッチに立ったのが母国開催のEURO2004という大舞台だった。
しかしながら19歳の若さで臨んだビッグトーナメントは、決勝でギリシャに敗れて準優勝に終わっている。感情に身を任せて号泣する姿は見る者の心を打ち、その後の成長を予感させた。
EURO2016では、切望していた代表での主要タイトルを獲得。だが、ワールドカップでの優勝経験はない。
ポルトガル代表で150試合81得点を記録しているC・ロナウドは、同代表の歴代最多得点者となっている。主将として挑むロシア大会は、おそらく最後のワールドカップになるだろう。
欲望に正直に、彼は唯一不足したビッグタイトルを獲りにいくはずだ。