練習禁止の休養日に練習するのはアリかナシか。ユーススポーツにおける倫理的ジレンマ。
今年2月、米国コロラド大学のジェイ・コークリー名誉教授が「ユーススポーツのコーチングにおける倫理的ジレンマ」というテーマで講義した。(私は、オンラインのライブ中継で聴講することができた)
倫理的ジレンマとは、2つ以上の対立する価値や倫理的根拠があり、板挟みになって、どうすれば良いのか葛藤を引き起こすことだ。
子供のスポーツの場でも、コーチは様々な倫理的ジレンマに直面する。
コークリー名誉教授は、学校運動部や子供のスポーツで、コーチが葛藤を強いられるような12のシナリオを用意。そのシナリオに対して、どのように対応するかを受講者と話し合った。
12のシナリオは米国だけでなく、日本の子供のスポーツの場でも起こりうるものだと感じた。ここをクリックしていただくと、全シナリオを読むことができる。
そのひとつは次のようなものだった。
「リチャードコーチは中学バスケットボールの副コーチです。今年のチームは特に才能に恵まれたチームです。主コーチはクリスマス休暇中にも練習することを決めました。その期間はリーグの規則で練習することを禁じられているのですが。選手(中学生)たちも練習したいと言っています」
このシナリオに書かれているリーグの規則とは、この中学校のバスケットボール部が加盟するリーグが作ったもの。リーグに属する全チームが守るべきものだ。学校単位の活動規則ではなく、リーグ単位の規則なので、対戦相手校もこの期間は練習をしていないはずである。
コークリー名誉教授は話し合いの材料として、3つの選択肢を示した。
A.リチャードコーチは、規則違反であることを学校長とアスレチックディレクター(運動部の統括責任者)に報告するべきだ。
B.リチャードコーチは、規則違反には目をつぶるべきだ。なぜなら、チーム全体が練習をしたがっているからだ。
C.リチャードコーチは匿名で保護者宛に手紙を書き、休暇中の練習は規則違反であることを知らせる。
同名誉教授は受講者に考える時間を与えながら、「あなたのその判断は、どのようなガイドラインや、どのような規律、原則に基づくものでしょうか」と問いかけた。
1-2分の考慮時間の後、9割近い人がAを選び、受講者の一人は「規則だから」とその理由を話した。
話し合いのために提示された選択肢は3つだが、4つ目の選択肢はあるだろうか、それはどのようなものか、という議論もなされた。
ある受講者が「主コーチと話し合う」と発言したが、コークリー名誉教授は「それも可能ですね。でも、主コーチのほうが、力がありますね」と苦笑い。
コークリー名誉教授は、4つ目の選択肢として「コーチは、体育館を開放することに関して学校側から許可をもらったうえで、自由参加の練習をすることはできるかもしれません。集まった子供たちだけで簡易の試合をしたり、シュートを打って遊んだり。代替の対応になり得ます」とした。
同教授は、「しかし」と口調を強めて、次のように続けた。「スポーツ活動は家族の生活と重なってしまうことが多いのです。私が親でしたら、クリスマス休暇に練習すると言われたら不快ですし、練習に参加しなかったために試合に出場させないと言われたらとても不快です。ここでは、“規則に従う” でしょうね」。リーグの規則を遵守することが適切な判断であるという。
米国でも、子供のスポーツ活動のスケジュールを優先させることで、家族での時間が失われていることが多い。子供も家族もスポーツ活動を優先させることを望んでいるのであれば、それでよいとも言える。しかし、クリスマス休暇には練習をしないという規則は、せめて、この期間は、スポーツ活動よりも家族の時間を優先できるようにという趣旨で作られたもの。だから、これに従うべきだという結論に達した。
そうはいっても、現場では「規則だから」で通すのは難しい。だからこそ、この講義でも葛藤が起こるシナリオとして取り上げられている。選択肢の3に「匿名で保護者に手紙を送る」とあり、その困難さを表しているといえるだろう。
規則やガイドラインがなぜ、作られたのかという経緯と意味を根気強く伝えることしか、スポーツに偏っていく状況にブレーキをかけることができないのかもしれない。
同時に、コークリー名誉教授の講義、受講者とのやりとりを視聴して、ガイドラインや規則はなぜ作られたのか、なぜ、そうしなければいけないのかを話し合い、共有していくことは、チーム内の合意形成を後押ししてくれるものだとも思った。