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名優中の名優、マイケル・ケインの演技もこれで見納め。引退宣言した覚悟に、熱い拍手を贈りたい

斉藤博昭映画ジャーナリスト
2023年9月『2度目のはなればなれ』ロンドンプレミアにて(写真:REX/アフロ)

間もなく日本でも公開される映画『2度目のはなればなれ』は、映画ファンにとって寂しさ、悲しさを静かに味わう作品になるだろう。

映画史に残る名優が「これが最後の仕事」と引退を宣言したからである。その名は、マイケル・ケイン。

現在(2024年)、91歳になったケインなので、この引退宣言は仕方ないことかもしれない。しかも『2度目のはなればなれ』は、久々の主演作。最後の花道にはふさわしい、とも受け取れる。

ケインといえば、1960年代にイギリス映画『国際諜報局』『アルフィー』でブレイクし、『ハンナとその姉妹』と『サイダーハウス・ルール』で2度のアカデミー賞助演男優賞受賞。近年は「ダークナイト」シリーズでのバットマン/ブルース・ウェインの執事アルフレッド役など、クリストファー・ノーラン監督作に7本(声のみ含む)も出演し、若い映画ファンからも尊敬の的になった、まさに名優中の名優。60年以上も第一線で活躍し、年代ごとに代表作がある稀有なスターである。

『アルフィー』より
『アルフィー』より写真:Shutterstock/アフロ

そもそも、こうしたスター俳優が、自分から引退を宣言するのは珍しい。ほとんどの俳優が、80代、90代になると役のオファーが減り、体力や記憶力の低下もあって、徐々に仕事がなくなる。つまりキャリアがフェードアウトする。あるいは現役バリバリだったのに突然の病や事故、死去によって、そこで仕事がすべて終わる。そんなパターンが多い。

ダニエル・デイ=ルイスも引退撤回したばかり

自ら引退を宣言した例は、ダニエル・デイ=ルイス。アカデミー賞主演男優賞を3度受賞(史上最多。彼だけ!)しながら、この人は「靴職人になる」など幾度となく俳優業から退くことを発表。さすがにもう二度とスクリーンでお目にかかれないと思っていたら、先日、息子のローナン・デイ=ルイスの長編監督デビュー作に出演する、つまり俳優復帰するというニュースが流れた。まぁ、そんなものである。ファンには朗報だが。デイ=ルイスは現在、67歳。まだまだ余力はあるはず。

『サイダーハウス・ルール』でのオスカー受賞時より
『サイダーハウス・ルール』でのオスカー受賞時より写真:ロイター/アフロ

クリント・イーストウッドも似たような感じ。『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年/74歳)の後、「もう十分。演技はしたくない」と公言しつつ、『グラン・トリノ』を書いた新人脚本家の才能に惚れ込み、自身で主人公を演じる決意を固めた(2008年/78歳)。そして同作の後も俳優引退を示唆しながら、『人生の特等席』(2012年/82歳)であっさり撤回。その後も自分の監督作『運び屋』(2018年/88歳)、『クライ・マッチョ』(2021年/91歳)で主演を果たし、そこで俳優業を(おそらく)終えた。『クライ・マッチョ』のラストシーンは、美しい引き際にもなった。監督業も年内にアメリカ公開予定の『Juror No.2』で引退と言われている。

一方で、現在94歳ながら、2024年に2本の映画に出演。そのうち1本は主演でアクションもこなし、さらに『インサイド・ヘッド2』には声の出演。2025年もメインキャストでの出演作がいくつも待機している、ジューン・スキッブという俳優もいたりする。元気なうちは、仕事を続けたい…という気持ちもよくわかる。

長い俳優人生も重なる最高の役

マイケル・ケインは、もしかしたら引退を撤回するのか? その可能性は少なそうである。実際、『2度目のはなればなれ』の後は俳優の仕事をしておらず、2023年の同作のプレミアには杖をついて登壇し、衰えを隠せないようだった。でも、だからこそ、映画ファンは『2度目のはなればなれ』のマイケル・ケインを、瞼にやきつけるべきだろう。

ケインが演じるのは、妻とともに老人ホームで生活するバーナード。自身の過去と向き合うため、ある決意を胸にイギリスからフランスのノルマンディへ旅立つ。妻にも、ホームにも何も告げずに……。このバーナードの小さな冒険に、マイケル・ケインの俳優人生を重ねることもできる、これはたしかに名優が引退を決めるのに最高のドラマかもしれない。

劇中のバーナードは杖を頼りに歩くも、どこか危なっかしい。それがケインの演技なのか、あるいは撮影時の精一杯の動きだったのか。そんなことを考えながら観ると、なんだか胸が締めつけられる。しかし主役として全編、出ずっぱりで、さまざまな表情の豊かさ、そしてあのおなじみの声のトーンに、われわれ映画ファンは、彼の作品とともに生きてきた幸せを噛みしめることになる。ラストシーンに湧き上がる感情は……おそらく多くの人にとって特別なものになるはずだ。

ちなみに妻役のグレンダ・ジャクソンは、ケインとこれが2度目の共演だが、彼女は本作の後、この世を去り、遺作となった。

富や名声に興味なし。運は準備した者に味方する

マイケル・ケインは俳優引退の前に、自伝を発表した(「わが人生。名優マイケル・ケインによる最上の人生指南書」)。そこにはワーキングクラス出身の彼が、いかに幸運に巡り合い、あるいは不運を克服して、ここまでの俳優人生を送ったかが、彼らしいエスプリとユーモアを効かせて軽やかに綴られている。

同書の中でケインは、かつて俳優引退に心が傾いたことを告白している。1990年代、年齢が60歳を過ぎて脚本が届かなくなるようになり、仕事が激減した時期があったという。レストラン経営や自伝の執筆に専念しようとしたところ、同業のジャック・ニコルソンに「俳優を続けろ」と励まされ、その結果、“引退宣言後”に数々の名作、それこそクリストファー・ノーラン作品などに巡り合うことになるのだ。

生涯を通して、富や名声など求めなかったこと。幸運だからと言って成功するわけではなく、運は周到に準備した者に味方すること……。自伝で明かされたマイケル・ケインの指針は、俳優という枠を超えて、さまざまな職業、世代に届くのだが、こうした地に足のついた考え方を崩さなかったからこそ、晩年の活躍、“有終の美”ともいえる主演作に結びついたに違いない。

ケインが引退を撤回して、もう一度、演技の仕事をすることはないだろう。しかし、ここまで見事に俳優人生を全うした人も少ないのではないか。そう思うだけで、映画ファンの心は幸福感に包まれることになる。

『2度目のはなればなれ』

10月11日(金)全国ロードショー

(c) Pathe Movies. All Rights Reserved.

参照:「わが人生。名優マイケル・ケインによる最上の人生指南書」集英社刊

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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