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【将棋名勝負プレイバック】1993年12月9日、中井広恵女流名人、女性で初めて男性棋士に公式戦勝利

松本博文将棋ライター

 1993年12月9日。東京・将棋会館において第7期竜王戦6組1回戦▲中井広恵女流名人(当時24歳、現女流六段)-△池田修一六段(当時48歳、のちに七段)戦がおこなわれました。

 中井女流名人先手で、戦型は相矢倉。中井女流六段の攻めを池田六段が巧みに受け止めて、好機に反撃。形勢は池田六段ペースかと思われました。しかし今度は池田六段の攻めを中井女流名人がしっかり受け止めます。

 難解な形勢の中盤戦。このまま夜戦に入るか・・・。そう思われたところで池田六段は19分を使い、17時40分、次の手を指さず、夕食休憩前に投了しました。

 中井女流名人は次のようなコメントを残しています。

相手の方の投了が早くて、終わった時はびっくりしたというのが率直な感想です。夕食休憩後まで対局が続くと思っていたし、私自身このところ、いい勝負をしながら休憩後にぽっきり行くケースが多く、気を引き締めてと思ってたらいきなり、休憩前の投了でしたので。その後の周りの反応や取材の多さなどで、やっとあの一局の持つ意味の大きさを実感しました。

(「北海道新聞」1993年12月25日夕刊)

 中井女流名人の勝利は一般マスコミによっても大きく報道されました。

 専門誌『将棋世界』は次のように伝えています。

12月9日、この日はある意味で将棋界にとって長く記憶される日となるだろう。公式戦で女流棋士が初めて男子棋士に土をつけたのである。その快挙は38連敗という驚異的な難産の末のものであった。

(中略)女流棋界が発足して20年、男子プロと戦って13年、それは長い長いトンネルを抜け、初めて手に入れた女流棋士の新しい光なのである。

(『将棋世界』1994年2月号)

 当時の高揚感が伝わってくるような筆致です。

 それからちょうど28年経った現在。将棋ファンや関係者は「1993年12月9日」という日付を覚えているでしょうか。それはほとんどの人が忘れているはずです。

 1993年当時。中井女流名人は次の言葉も残しています。

最近、アマがプロに勝っても話題にならなくなったように、女流仲間に次々と勝ってもらい、早くニュースにならないようにしたいですね。

(「北海道新聞」1993年12月25日夕刊)

 その願いは、半ば以上はかなったのでしょうか。女性が1つの棋戦に参加して、男性の棋士相手に1勝、2勝をあげることは珍しいことではなくなりました。中井女流名人の歴史的初勝利も、今では振り返られる機会も少なくなったでしょう。

 最近ではもっと勝ち進むことによってニュースとなります。2020年には西山朋佳女流さん(当時女流三冠、奨励会三段)が竜王戦6組でベスト4にまで進出しました。

 現在の将棋界は里見香奈女流五冠、西山現女流二冠の「2強」を先頭に、いちじるしくレベルアップが続いています。いずれまた、女性将棋史に残る、あっと驚くような大きなニュースが生まれるのかもしれません。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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