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寺田寅彦忌 「天災は忘れた頃にやって来る」と「科学的国防軍」

饒村曜気象予報士
函館山から函館市街(写真:アフロ)

伝説の警告「天災は忘れた頃にやって来る」を言い出したといわれる物理学者で随筆家の寺田寅彦は、昭和10年12月31日に亡くなっています。明治11年(1878年)11月28日、寅年の寅の日に生まれたので寅彦と名付けられた57歳の生涯でした。 大晦日は寅彦忌、あるいは、ペンネームの吉村冬彦から冬彦忌です。

災害が相次いだ昭和9年

昭和9年(1934年)は災害が相次いでいます。

3月21日には北海道函館市で大火が発生しています。発達中の低気圧による強風で函館市の人口の約半分の10万人が被災するという大火となり、2166名が亡くなっています。

7月10~11日の北陸地方は、活発な梅雨前線による大雨と、前年度の豪雪で山に残っていた雪が解けたことが重なって大規模な洪水が発生し、石川県だけで100名以上が亡くなっています。

9月21日に高知県室戸岬付近に、台風が上陸し、大阪湾に高潮が発生するなど、京阪神地方に甚大な被害をもたらし、3036名が亡くなっています。このため、この台風は、室戸台風と呼ばれています。

科学的な考え方が重要と指摘

寺田寅彦は、函館大火の翌々月の中央公論に「函館の大火について」という文章を書いています。

この中で、日本人の科学に対する態度が、「一方において科学の効果がむしろ滑稽なる程度にまで買いかぶられているかと思うと、一方ではまた了解できないほどに科学の能力が見くびられているのである」と指摘しています。

また、「災害を避けるためのあらゆる方法施設は、科学的研究にその基礎をおかなければならないという根本の第一義を忘却しないようにすることがいちばん肝要」と主張しています。

伝説の警告は著作物として書かれたものではない

「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田寅彦の言葉とされていますが、著書の中にはその文言はありません。

しかし、これに相当する発言が色々と残されています。

例えば、災害が相次いだ昭和9年の11月に書いた「天災と国防」には、防災対策が進まない原因は、希にしか起こらないので、人間が忘れたころに次の災害がおきるという意味のことを書いています。

そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前者の転覆を忘れたころにそろそろ後者を引き出すようになるからであろう。

出典:天災と国防、経済往来(昭和9年11月)

科学的国防軍の創設を

「天災と国防」には、防災のための具体的な施策として科学的国防軍創設の提案もあります。

日本のような特殊な天災の敵を四面に控えた国では、陸軍、海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然である。

出典:天災と国防、経済往来(昭和9年11月)

防災のためには軍隊のような組織を作り、日々防災のための研究を続け、災害出動の訓練を行って災害に備えるという考え方は、現在の防衛省や消防庁などの役割に引き継がれています。

年末年始も24時間体制で科学的国防軍が機能している

年末年始で多くの人が休んでいます。

しかし、防衛省や消防庁、気象庁や海上保安庁、地方自治体などの防災担当者は休みなく活動しています。

年末年始も休みなく備えている人々によって、私たちは災害から守られているのです。

寺田寅彦が言う、科学的国防軍が機能しているのです。

しかし、その機能が十分に活かされるのは、私たち一人一人が、天災のことを忘れないことと思います。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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