韓国ドラマ『不滅の恋人』も史実を知ると…「王妃への道」はどれだけ過酷だったか
いよいよクライマックスに入ったNHKで放送中の韓国時代劇『不滅の恋人』。今夜の放送を終えれば、あとは最終回を残すだけとなる。
国王イ・ガンとその弟イ・フィの直接対決が近づいているが、2人が想いを寄せる女性チャヒョンの覚悟も前回18話で決まった。王妃になれというイ・ガンに背を向け、イ・フィの妻になったのだ。
つまりチャヒョンはその気さえあれば“王妃”になれたわけだが、それを断った。これがどれほどの決断だったかは、史実を知ると伝わってくる。
「カンテク」などの方法も…奇跡に近い偉業
実際の朝鮮王朝時代に王妃になることは、それこそ奇跡に近い偉業だった。
そもそも朝鮮王朝時代は王妃以前に、王の側室になることすら非常に困難だった。それでも方法はいくつかあった。
まずは「揀択」(カンテク)を挙げることができる。
『不滅の恋人』でチャヒョンを演じている女優チン・セヨンが現在、韓国で放送中の時代劇で主演を務めるドラマのタイトルにもなっているため、聞いたことがある人もいるかもしれない。
(参考記事:女優チン・セヨン、“時代劇クイーン”の実力見せるか。新時代劇『揀択』ビジュアル解禁)
「揀択」とは、朝鮮王朝時代に王や王子の配偶者を決める行事のこと。数人の候補者を集めて、彼女たちを王や王族が直接見て、相手を選んだという。その場で王の目にかかった女性は、出世することができたわけだ。
また宮中で働く女性(宮女)たちの組織「内命婦」(ネミョンブ)で、「4品」以上の位を与えられた者も側室となった。
宮廷で働く女性たちの一部には1品~9品の品階が与えられた。
例えば『トンイ』の主人公として知られる淑嬪崔氏(スクピンチェシ)は1693年、23歳で「淑媛」という品階を与えられた。これは「従4品」で、側室としては最も低い身分だった。
それでも淑嬪崔氏は王の子を産んで、「淑儀」(従2品)、「貴人」(従1品)と昇格し、1699年には「嬪」(正1品)という側室では最も高い品階を得ている。
他にも、王との間に子供ができた場合も側室となることがあったという。つまりは王の目に触れ、愛された者だけに側室への道が開かれるということだ。
500人以上の宮女の争い
とはいえ、宮女が王に接近するということ自体がほとんど不可能だったという。
それは単純に、宮女たちが忙しかったからだ。ときに民衆や官僚の反発を受けてまで王が宮女を集めたのは、愛人を作るためではなく、仕事が多いためだったと言われている。
さらに500人以上いたとされる宮女の中で、特定の宮女が王に愛されていることが知れ渡ると、その宮女がこつ然と宮廷から姿を消すということもあったらしい。王の母や王妃、側室などが排除を指示したと推測される。『オクニョ』もそうだった。
まさに日本の“大奥”さながらだが、側室になれるのは一握りの幸運に恵まれた女性だけということがわかる。
では、側室以上の存在だった王妃になるためには、どうすればよかったのだろうか。
結論から先に言えば、王といえども婚姻関係を結べるのは1人だけだったため、側室以上に厳しい道のりだった。
側室よりも困難な王妃への道
朝鮮王朝時代、最も多いパターンは、王がまだ世子(セジャ/王位継承者)だった頃に結婚するというもの。そうすれば世子が即位したときに、自動的にその妻も王妃に昇格できる。
また側室から王妃へと昇格したケースもある。側室が昇格するためには、世継ぎを産むことが絶対条件だ。
朝鮮王朝3大悪女の1人で、絶世の美女とされた張禧嬪(チャン・ヒビン)がそれを実現させた人物だ。張禧嬪は第19代王・粛宗(スクチョン)の側室となり、その子(のちの第20代王・景宗)を産んだことで王妃に昇格している。
ただ朝鮮王朝時代には計36人の王妃がいるが、側室から王妃へと昇格した人物はわずか4人しかいない。ほとんど世子と婚姻関係を結ぶしか方法がなかったといえるかもしれない。
ドラマ『不滅の恋人』のチャヒョンは、そんな奇跡に近い偉業ともいえる王妃の座を断り、イ・フィの妻になることを選んだ。この決断がどれほどのことかは、史実を知ってこそ味わえる部分ではないだろうか。