シリア:やっぱり停戦が実現しなさそうな理由
「人道上の悲劇を招く」として世界的に注目された「シリア政府軍によるイドリブ県への総攻撃」が、2018年9月17日のロシアとトルコとの首脳会談での合意により当面回避されたようだ。一部にはこれがシリア紛争の政治解決の道を開くとの楽観もあるようだが、事態はそのように甘いものではないだろう。特に、「総攻撃回避」により、イスラーム過激派が占拠し、犯罪集団・テロリストによる誘拐や暗殺が横行する、現在のイドリブ県の状態が短くとも数カ月は温存されることになるのは憂慮すべきことである。
すでに指摘したように、イドリブ県の現状を温存することは安田純平氏の事件に代表されるような状況が続くことを是認することになる。繰り返すが、イドリブ県を占拠しているのが、シリア紛争の政治解決に資するような主体、当事者能力がある主体ならば、安田氏の事件のような事件は起こらないし、仮に起こったとしてもイドリブ県を占拠する主体が責任をもって犯行集団を摘発し、被害者を解放するだろう。当然、身代金云々という話や胡乱な仲介者やメッセンジャーも必要ない。となると、遅かれ早かれ、イドリブ県の状況には抜本的な対処が不可欠である。筆者としては、それがイドリブ県を占拠するイスラーム過激派や外国人戦闘員のシリア国外への追放により、武力衝突を最小限にしてなされることを祈る他ない。
ロシア・トルコ間の合意の骨子
第一は、政府軍と武装勢力との間に、10月15日までに幅15km~20kmの「非武装地帯」をもうけること。
第二は、「非武装地帯」の重火器を撤去や同地域を占拠するイスラーム過激派の退去である。これの期限は10月10日である。
第三は、ロシアとトルコが連携して「非武装地帯」のパトロールを行うこと。
第四は、アレッポとハマ、アレッポとラタキアとの間の幹線道路を年内に再開すること。
この合意が順調に履行された場合重要なのは、シリアの復興や再建に不可欠な幹線道路が再開することにより、シリアで暮らす人々の経済状況の改善が期待できることだ。しかし、後述するように合意が履行される可能性は高くはない。
トルコには「真の課題」を解決できない
現在「反体制派」やその支援者が採っている戦術では、シリアの体制を打倒し、それに代わる政治体制を樹立することは不可能である。それは筆者の見立てでは2011年夏から明白だった。彼らは「体制を打倒して勝利するには過小、いたずらに紛争を長引かせるには過大」な量と質の資源を投入し続けているに過ぎない。となると、「反体制派」やその支援者にとっては、面目を失しない形でシリア国内の政治体制・政治的権益配分の見直しができるような「和解」を達成することが実現可能な最良の選択肢となる。しかし、そのためには、従来「反体制派」とその支援者たちが主力として依存してきたイスラーム過激派が障害となる。なぜなら、イスラーム過激派は、政治・社会体制だけでなくシリアという政体の枠そのものについても、他の紛争当事者と著しく異なる将来像を持ち、自らの目指すものと異なる構想をことごとく否定しているからだ。つまり、これまで何度も取りざたされた停戦や「緊張緩和」と同様、今般のロシア・トルコ合意においても、真の課題は一時的な戦闘回避などではなく、誰が責任をもってイスラーム過激派を排除するかなのだ。
イスラーム過激派と「反体制派」との区別、イスラーム過激派との絶縁、イスラーム過激派の掃討という事項は、2015年にシリア紛争に本格的に介入して以来ロシアが一貫して主張してきた要求である。従来ロシアはアメリカを相手としてこれを実行するよう求め続けてきた。しかし、アメリカはイスラーム過激派との絶縁も、彼らに代わる「反体制派」武装勢力の育成にも失敗した。その結果、アメリカはクルド勢力への支援に傾斜し、戦略的意義の乏しいタンフ周辺を占領する存在へと後退した。そして、アメリカはイドリブだけでなくダマスカス近郊やシリア南部での情勢についても、さしたる影響力を行使できなくなった。イスラーム過激派が「反体制派」を実質的に乗っ取ったことにより、アメリカやイギリス、フランスのような諸国は、「統治」や「秩序」を演出するための民生部門を含む「反体制派」への支援をまとめて打ち切るか、援助がイスラーム過激派に渡ることを承知でこれを続けるかという状況に陥った。
欧米諸国が後景に退いた後、今般の合意ではイスラーム過激派と「反体制派」とを区別し、前者と絶縁するという難題をトルコが請け負うこととなった。しかし、トルコはイドリブ県などに監視拠点を設置した際に「ヌスラ戦線」(シリアにおけるアル=カーイダ。現在の名称は「シャーム解放機構」)の付き添いを受けたことに象徴されるように、「ヌスラ戦線」や「シャーム自由人運動」などのイスラーム過激派諸派とはアメリカ以上に関係が深い。従ってトルコがこれらの諸派と絶縁することは容易ではない。また、トルコ経由でシリアに送り込まれた外国人戦闘員らの中の、「トルキスタン・イスラーム党」やチェチェンなどカフカス系の諸派の処遇という難題が控える。
そもそも、イスラーム過激派はシリアにおける政治過程や停戦・和解を否定しており、過去のどのような「停戦」交渉・合意も否定してきた。本稿執筆時点で諸派からの公式な立場表明はない模様だが、「ヌスラ戦線」の配下の広報サイトは今般の合意について否定的な論評を繰り返しており、政治過程や停戦の否定という従来の態度を変える見込みは薄い。彼らがシリア以外の紛争地に移転したり、トルコがイスラーム過激派戦闘員やその家族を引き取ったりという案もあるようだが、これまでのイスラーム過激派の素行に鑑みてこうした案や彼らを懐柔することが功を奏するとは考えにくい。
実はロシアペースか?
ここで注目すべきなのは、今般の合意でロシアは何を得たか、ということである。ロシアは過去の「緊張緩和地帯」の設定などでも、ロシアがシリア政府やイランを制御するのに対し、「反体制派」の後援国、特にアメリカにイスラーム過激派への処置を約束させてきた。しかし、上述の通りアメリカはイスラーム過激派への対処に失敗し、停戦や和解に強い影響を与えるという意味では「脱落」した。ここで、トルコがアメリカ同様に約束を履行できない場合、ロシアはトルコの無力・無責任を口実にイスラーム過激派とそれと一体化した「反体制派」の殲滅を正当化するようになるだろう。
ロシア・トルコ合意で定められたイスラーム過激派への処置の期限は1カ月弱に過ぎない。ロシアやシリアから見れば、今般の合意は国連総会などと重なって国際的な注目を浴びる中での作戦を回避する、という程度の意味はあるだろうし、これまでイスラーム過激派諸派を利用してきたトルコが、自腹を切って彼らを処分してくれればラッキー、とは思うだろうが、合意が本当に停戦や紛争の政治解決につながると考えているわけではないだろう。
イドリブ県を占拠するイスラーム過激派は、外国人戦闘員とその家族だけでも数千人規模に達している。かつてのアメリカ、今般のトルコがシリア紛争に介入するために投じている資源の量・質で対処するにはあまりにも多いと言わざるを得ない。また、国際的に「穏健な武装勢力」と呼ばれるものにテコ入れしてけしかけても、返り討ちにあってイスラーム過激派の増長を許しただけのこれまでの経験を繰り返すだけに終わる恐れが強い。ロシアとしては、本質的にはシリア政府がイドリブ県を解放するか否かにもシリア人民の生き死ににもさほど関心が無いはずなので、トルコについてもイスラーム過激派の処置に失敗して面目を失うものよし、自腹を切ってこれまで利用してきたイスラーム過激派を自ら清算してもよし、くらいの気持ちで事態の推移を眺めることになるのではないだろうか。