富士山で記録的に遅い初冠雪 富士山は他の山と初冠雪の定義が少し異なり、過去には発表取り消しもあった
初冠雪の観測
気象庁では、冬の訪れを推し量る指標として、夏をすぎて、最初に麓の気象官署から見て山頂部が白くなった現象を初冠雪としています。山頂部が白くなるのは積雪の場合がほとんどですが、ひょうなどの固形降水、あるいは霜などによっても白くなりますので、積雪ではない初冠雪の可能性もゼロではありません。
山頂部で雪が降っても積雪の状態にならなければ、麓から見て白くなりませんので冠雪ではありません。さらに言えば、雲などによって山頂部が目視できない場合は、たとえ山頂に積雪があってもわかりませんので、冠雪の観測は山頂部が目視できるまで遅れます。
初冠雪の観測は、麓にある気象台や測候所等の気象官署から観測員による目視により日単位で行いますが、全国で100か所以上も存在していた測候所は、機械による測定機能の向上や人員の削減等により、平成22年(2010年)10月までに北海道の帯広測候所と鹿児島県の名瀬測候所を除いて廃止され、特別地域気象観測所へ移行となっています。
このため、初冠雪の観測は、残った気象台等の約50か所からのものだけになっています。
富士山についていえば、静岡県の三島測候所が平成14年10月、山梨県の河口湖測候所が平成15年10月に特別地域気象観測所となって無人化になっていますので、三島と河口湖からの富士山の初冠雪の観測はなくなっています。
現在は、富士山の初冠雪の観測は、山梨県の甲府地方気象台からの観測のみです。甲府は、三島や河口湖に比べて遠く、途中の雲によって富士山が見えない可能性が高くなることから、富士山の初冠雪の日は遅れがちとなっています。
例えば、平成28年(2016年)の甲府地方気象台から見た富士山の初冠雪は10月26日ですが、すでに9月25日には静岡県側の三島市から山頂が白く見えています。
また、山梨県富士吉田市では、9月25日に「初雪化粧」を宣言しています。これは、平成18年(2006年)から市が独自に発表しているものです。
富士山頂では雪が降ったのは確かと思われますが、この頃、甲府地方気象台からは山頂に雲がかかって見えませんでした。そして、再び山頂が見えたとき、9月25日に降った雪は融けていたと思われ、初冠雪の観測とはなりませんでした。
令和6年の富士山の初冠雪
令和6年(2024年)の初冠雪は、北海道の利尻山が平年より早い9月22日でしたが、多くの山では平年より遅くなっています。
しかし、11月7日は、一時的に西高東低の冬型の気圧となって強い寒気が南下してきたため、東京地方(島嶼部を除く東京都)と近畿地方では「木枯らし1号」が吹きました(タイトル画像)。
気象庁では、東京地方と近畿地方について、定義をきめて「木枯らし1号」が吹いたとの情報を発表していますが、11月7日には、ともに基準を満たしたからです(表1)。
そして、この寒気の南下により函館、室蘭、青森、盛岡で初雪を観測しました。
青森、盛岡の初雪は、北海道以外では今シーズン初めての観測です。
さらに、富士山など10座で初冠雪が観測されました(表2)。
富山県の立山や石川県の白山など、北陸西部の初冠雪は大幅に遅れたままですが、富士山では、甲府地方気象台が初冠雪を発表しました。
甲府地方気象台では、明治27年(1894年)以降、130年にわたる観測がありますが、ダントツで遅い1位の初冠雪の観測です(表3)。
甲府地方気象台から見た富士山の初冠雪の平年日は「2020年統計」と呼ばれる令和2年(2020年)までの30年平均値では10月2日ですが、「2010年統計」と呼ばれる平成22年(2010年)までの30年平均では9月30日です。
このように、富士山の初冠雪は、遅くなる傾向にあったのですが、令和6年(2024年)は、とびぬけて遅い観測でした。
そして、北陸西部の立山や白山も、とびぬけて遅い初冠雪になりそうです。
同じ場所から同じ方法で長期間観測
初冠雪は、昔と全く同じ方法で、同じ場所から長期間観測していることに意味があります。
観測機器が格段に進歩し、大量の詳しい観測データが入手できるといっても、最近のものだけです。少し前の観測データはありません。
長年にわたって、全く同じ方法で、同じ場所から観測を続けていることから、統計処理をすることによって気候変動の傾向がわかり、最近の観測データをより活かすことができると考えられるからです。
初冠雪については、昔の人も関心をもっていたためか、多くの古文書に記述が残されています。
例えば、青森県の岩木山については、約360年の初冠雪の記録があります。
中でも大きいのは、陸奥国の津軽地方にあった弘前藩の公式記録である「弘前藩庁日記」です。
江戸時代前期の寛文元年(1661年)から慶応4年(1868年)まで、208年分がまとまって残されていますが、このような長期間の記録が、ほぼ欠けることなく残っているのは、全国でも極めてまれで、史料価値が非常に高いものです。
元気象庁職員で弘前市在住であった福間吉美氏は、「弘前藩庁日記」の中から、天気に関する部分を現代語に翻訳し、「弘前藩庁日記ひろひよみ」を刊行していますので、これを用いると、毛筆で書かれて崩し字を読みとくことなく、岩木山の初冠雪の状況がわかります。
なお、弘前藩の公式記録ですから、特に記述がない限り、岩木山の初冠雪の記録は、弘前城内から見た岩木山の初冠雪と考えられます。
明治維新後、青森測候所(現在の青森地方気象台)による観測が始まる明治27年(1894年)までの25年間は、岩木山の観測記録はありません。
ただ、福間吉美氏は、明治2年(1869年)は、弘前藩士・工藤主膳が弘前の毎日の天気を書いた「晴雨日記」で著書を補っています。
そして、明治27年(1984年)以降は、青森測候所では、岩木山と八甲田山の初冠雪を観測しています。
岩木山は青森から40キロも離れているため、青森からの初冠雪の観測は遅れる傾向があるため、昭和4年から32年(1929年から1957年)は、区内観測所として委託観測を行っていた弘前の県立工業試験場(現在の青森県産業技術センター弘前地域研究所)で岩木山の初冠雪の観測を行っています。
また、弘前気象通報所が作られた昭和33年(1958年)以降は、ここで岩木山の初冠雪を観測していましたが、廃止となった昭和59年(1984年)以降は、青森地方気象台で岩木山の初冠雪を観測しています。
これらの資料を総合すると、岩木山の初冠雪は、一番早い年が9月23日、一番遅い年が11月9日と、約50日の幅があります(図1)。
年による差が大きいとはいえ、大きく見ると、江戸時代の10月中旬から現在の10月下旬へと遅くなっています。
富士山の初冠雪を取り消し
一年で一番気温が高いのが7月下旬から8月上旬ですが、富士山など高い山では8月でも雪が降ることがあります。
このため、7月下旬から8月上旬に降った雪を冬のシーズンの始まりを告げる「初雪」とするのか、冬のシーズンの終わりを告げる「終雪」とするのか、判断が難しい場合があります。
このため、令和2年(2020年)3月の予報用語の定義変更までは、「富士山など高い山ではその年最高の日平均気温が出た日以後の雪を初雪とする」という備考がついていました。
しかし、富士山など高い山での観測が自動化されたことなどを背景に、現在の予報用語の定義では、「9月1日以後の雪を初雪とする」に変わっています。
令和2年(2020年)3月の予報用語の定義の変更では、初冠雪についての言及はありませんが、気象庁ホームページの用語解説では、「初冠雪(はつかんせつ)とは何ですか?」との一般の人から多くよせられる質問に対して、次のような回答をしています。
「雪やあられなどが山頂付近に積もり、白く見えることを冠雪といいます。寒候年(前年8月から当年7月まで)に、付近の気象台から初めて見えたときを、その山の初冠雪といいます。」
ただ、甲府地方気象台のホームページには、「富士山の初冠雪は、富士山特別地域気象観測所の日平均気温の最高値を観測した日以降に初めて冠雪を観測した日」と説明しており、富士山の初冠雪は例外であることを示しています。
富士山以外の山については、日平均気温の最高値を観測した日以降であろうと、8月1日以降であろうと、9月1日以降であろうと、初冠雪の日は同じになります。
富士山は初冠雪の定義によって日が変わることから、令和3年(2021年)には、富士山の初冠雪の取り消しがありました。
令和3年(2021年)は、富士山の日最高気温が一番高かったのは、9月20日です(図2)。
9月6日頃に雪が降り、9月7日に冠雪を観測しましたが、8月4日の9.2度が年間の最高値と考えられたことから、富士山の初冠雪が発表となりました。
しかし、9月20日に10.3度を観測したことから、9月7日の冠雪は前冬の遅い冠雪となり、気象庁では、9月22日に初冠雪の発表を取り消しました。
そして、9月26日に改めて、富士山の初冠雪を発表しました。
富士山の初冠雪の発表は速報値であり、確定値は秋が深まらないと決まらないものです。梅雨入りや梅雨明けの確定値が9月に発表されることと似ています。
ただ、今年、令和6年(2024年)の場合は、11月7日の速報値がそのまま確定値になると思われます。
タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。
図1の出典:「青森地方気象台のあおぞら彩時記(令和4年(2022年))、岩木山の初冠雪(1663年から2022年までの360年)」に筆者加筆。
図2、表1、表2、表3の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。