ドイツ・ワイン街道キルヒハイムでオルガンコンサート 鈴木雅明の奏でる音色にうっとり
ドイツ・ワイン街道沿いの小さな街キルヒハイム。この街で「冬のコンサートシリーズ」特別公演が開催された。オルガニスト鈴木雅明氏の演奏が終わると、約300人の聴衆が総立ちし、ブラボーの声援と拍手がなり止まなかった。
「冬のコンサートシリーズ」が夏に行われたワケ
「キルヒハイマーコンサートウィンター」と題したこの教会コンサートシリーズは、毎年9月/10月から3月にかけて、世界の一流音楽家を招き、月一回定例公演を聖アンドレアス教会で行っている。
今年は、同シリーズの特例として日本を代表するオルガニスト・指揮者・チェンバリスト鈴木雅明氏のオルガン演奏が8月20日に行われた。
日本ではあまり知られていないだろうキルヒハイムでなぜ、このコンサートシリーズを開催しているのだろうか。コンサートウィンターの創始者・運営責任者ドミニク・ヴェルナー氏に聞いた。
このコンサートシリーズは1990年に立ち上げ、今冬で27回目になります。なぜキルヒハイムなのかはいくつか理由があります。
一つ目は私の実家のある街、そして聖アンドレアス教会では子どもの頃、私もパイプオルガンを練習していたことです。ありがたいことに私の両親は健在です。父母にはコンサート開催のコンタクト先として、そして運営の諸々の手助けをしてもらっています。スイス・ベルン在の私にとって大きな支えです。
二つ目は、これが一番大きな理由なのですが、バッハがライプツィヒのトーマス教会音楽監督だった当時、彼の最後の弟子の1人、ヨハン・クリスチァン・キッテル(エアフルト出身1732-1809)の結婚式がここキルヒハイムで行われたのです。愛弟子キッテルの花嫁はキルヒハイムのワイン伯爵婦人だったため、バッハもわざわざライプツィヒから足を運んだそうです。そこでバッハは、新郎新婦への祝いとしてBWV202カンタータ(Weichet nur, betruebte Schatten/しりぞけ もの悲しき影)を演奏したのです。
この曲は、結婚カンタータとしても有名です。このような背景があり、バッハとキルヒハイムとの繋がりは深いのです。
一方で、バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督、そして世界で活躍されている鈴木雅明氏がなぜ、ドイツ人でもあまり知らない街キルヒハイムで演奏を?という問いにヴェルナー氏はこう明かした。
雅明と初めて顔を合わせたのは、オランダ・デンハークでした。優人(まさと・雅明氏の子息で同じく指揮者・チェンバリスト)を通して知り合いました。その後、私自身、何度も訪日し、雅明の手がけていたバッハの教会カンタータ全曲シリーズCD 制作に協力しました。
バッハ・コレギウム・ジャパンとはバッハのマタイ受難曲で共演したこともあります。雅明は2005年よりキルヒハイマーウインターでオルガンとチェンバロ演奏を依頼し、今回5回目の登壇となります。
今冬のコンサートは10月15日からですが、ちょうど雅明がノルウェー、オランダの仕事を終え、ミュージックフェスティバル・ブレーメンでのコンサート開催前に1週間ほど時間が開いていることを知り、それなら、キルヒハイムで演奏したらと声をかけたのです。
コンサートのテーマはルターの宗教改革500周年。それから話はトントン拍子に進み、特別公演を開催する運びになったのです。
ワインとバッハゆかりの街
演奏が始まるまでの休憩時間を割いて頂き、鈴木氏にお話を伺った。
ここキルヒハイムでの8月公演は、全くの偶然から実現しました。この街のワインはおいしいし、試飲も楽しみのひとつです(笑)。バッハもこの地方のワインをこよなく愛したそうです。
ドミニクと彼の両親は、地元のつながりも深く人格者。キルヒハイムの多くのボランティアに支えられて、コンサートウインターは成り立っていると聞いています。
今年はルターの宗教改革から500周年を迎えます。ルターは聖職者として知られますが、賛美歌もつくりました。そして教会での礼拝や会衆参加、音楽のあり方など、バッハはルターから大きな影響を受けています。
今回の演目はバッハのBWV552/1を最初に、そして最後にまたバッハBWV552/2で閉めます。演奏会シリーズ「ルター500プロジェクト」は、2015年より開始しましたが、宗教改革500周年記念日10月31日がルター500プロジェクト最後のコンサートとなります。
今回、筆者は鈴木氏とは初対面。にもかかわらず、失礼かもしれないが、以前から知っているような親しみを感じた。しかも同氏が流暢なドイツ語を話されるのには驚いた。
かってアムステルダムで勉学されていたことは認識していたので、オランダ語と英語は流暢だろうと想像していた。だが、ドイツ語でインタビューを進めることができるとは全くの予想外だった。
演奏を目前にした休憩時間中の対談に、鈴木氏は神経質になるどころか、時々冗談を交えてよどみのない話をされた。その余裕にもびっくりした。公衆の前での演奏に慣れているのは想像がつく。そのため同氏の辞書には出番前の「緊張」という言葉はないのだろう。
鈴木氏は、95年から「バッハ教会カンタータ」シリーズのCD録音を開始し、2013年には全55巻の演奏録音を達成した。2001年にはドイツ連邦共和国より「ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章、2012年にはバッハの総本山ライプッイヒ市よりバッハメダルを受賞し、ドイツでも注目を浴びている音楽家だ。
バッハ音楽はライスのような存在
今回の訪独に当たり、ドイツメディアの取材を受けた鈴木氏はこう答えている。
「ドイツのオルガニスト・指揮者マックス・レーガー(1873-1916)は「バッハに始まり、バッハで終わる(バッハ音楽にはすべての音楽技法が込められている)という言葉を残しました。鈴木雅明の演目もバッハに始まりバッハで終わります」と、ヴェルナー氏の開会の辞で演奏が始まった。
キルヒハイム演目は、バッハをはじめ、スウェーリンク,ブルーンス, ブクステフーデ と、どの曲もオルガン音楽を代表する巨匠たちの作品だ。月並みな言葉だが、教会で聞くオルガン音楽はCDと違って、視覚と聴覚で楽しむことの出来る深みがある。
70分に及ぶオルガン演奏は、あっという間に終わった。およそ300人ほどの来客は次々と立ち上がる。ブラボーの歓声が会場内に響き渡り、気がつくと皆総立ちになリ、熱い拍手を送り続けていた。
夢のようなコンサートを終え、退場する客たちの間からは感嘆の声が上がった。話しかけてみるとこんな感想が聞けた。
「鈴木雅明氏がこんな小さな街キルヒハイムまでやってきて、しかもこの小さな教会で演奏してくれるなんて信じられない。地元で素晴らしい音楽に触れることが出来てうれしい。私たち夫婦にとって教会コンサートは初体験だったが、これからも通いたい」(60代のカップル)
「一流のオルガン演奏に感激した。身近で素敵な音楽を体感できて、本当に満足した。教会で聞く音楽はやっぱりひと味違う」(40代の女性)
観客の寄付金で運営するコンサート
実は、キルヒハイムへ足を運ぶ前から、ずっと気になっていたことがあった。それは、コンサートは入場無料という点だ。余計なお世話かもしれないが、運営がどのように成り立っているのか質問すると、ヴェルナー氏は次のように語った。
入場無料でコンサートを続けていくことが可能な理由は、まず企業スポンサーのサポートがあることです。もちろんボランティアやコンサート友好会員の寄付にも支えられていますが、一番大きな収入源は、入場客の寄付金です。それによって、このコンサートは成り立っています。コンサートプログラムには「無料ですが、寄付金をお願いします」と明記しています。
毎回、来客はコンサートに満足し、大枚をはたいてくれます。その期待にこたえるためにも、質の高いコンサートをここで提供していくつもりです。一流の音楽家を招き、コンサートにまた行きたいと思ってもらえるようにと。人口1,900人ほどの小さなキルヒハイムですが、冬のコンサートシリーズには、ハイデルベルクやマンハイムなど周辺の住民だけでなく、数百キロ離れた街からもわざわざ足を運ぶ客も増えてきました。嬉しい限りです。
今年のキルヒハイム冬のコンサートは10月15日から始まる。この日のプログラムは鈴木優人氏のチェンバロと、優人氏の妻鶴田洋子さんのバロックフルート演奏だ。また是非足を運びたい。
キルヒハイムの沿道にはワイン畑が一面に広がる。この街には11の個人ワイナリーがあるという。収穫を目前に控えた畑には見事なブドウが太陽を一杯浴びていた。
ドイツ・ワイン街道は全長85キロほどに渡る。キルヒハイムのあるプファルツ地方は美味なリースリングを産出することで有名だ。中央に見えるのは聖アンドレアス教会の塔。
(おわり)