バッティングセンターを家族で手作り! 雄星、大谷を生んだ岩手の「フィールド・オブ・ドリームス」
野球部出身ではなくても、バットを握ったことがある人なら「家の近くにバッティングセンターがあれば」と思ったことはないだろうか。
日本人メジャーリーガーの菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)を生んだ東北・岩手県。そこにはなんと、バッティングセンターを自分たちで手作りしたファミリーがいる。
過疎化と高齢化で失われた野球の文化
一家が暮らすのは県の中心である盛岡市の西約16キロにある岩手郡雫石町。スキー場と温泉、乳製品などのブランドで有名な小岩井農場がある、人口約16,000人の町だ。
この地に住むアメリカ人のジョー・ハクセルさん(44)は18年前に来日。同町出身の妻と4人の息子と暮らし、英会話スクールを運営している。ジョーさんには来日した当時の楽しい思い出がある。妻・美穂子さん(44)の通訳を交えて豪快に話し出した。
「地区の野球チームに誘ってもらった。朝早くから野球をし、若い人たちとのつながりができて、酒を飲んだりしてとっても楽しかった。その頃、野球は雫石のカルチャーだった」
野球は好きだが「下手くそだった」というジョーさんは自宅から最も近い、盛岡市のバッティングセンターで腕を磨いた。
後に息子たちが生まれ、野球チームに入った彼らにもその経験をさせたいと再びその場所に訪れたジョーさん。しかしそこにバッティングセンターはなかった。建っていたのは大きな「ニトリ」だった。
足を運べる近隣のバッティングセンターは姿を消し、地元を見れば町の人口は2000年をピークに減少。一方で高齢者の人口は増え続けている。雫石高校の野球部は部員が足らず、他校との連合チームで大会に出場している状況だ。
「カワイソウデショ?」
ジョーさんはこの十数年の変化を嘆いた。
秋田の田んぼの中で見つけた希望
そんなジョーさんは4年前、国道46号線を秋田方面に車を走らせていた時に驚きの光景を目にする。それを興奮気味にこう説明した。
「田ンボ、田ンボ、田ンボ、レストラン、バッティングセンター!!」
秋田県仙北市の国道沿い、田園風景が広がる中にジョーさんはバッティングセンターを見つけた。レストラン「味彩」の駐車場の向かいにあるそれは、10メートル近くある高い鉄柱にネットが張られた立派な造り。しかし一般的なバッティングセンターに比べると少し貧弱に見えた。
ジョーさん夫妻はレストランにいたおばあさんに尋ねると、そのバッティングセンターは「亡くなったおじいさんの手作り」だということを知る。
その施設は打撃が苦手という小学生の孫のために、生前、鉄工所で働いていた祖父が自作したものだった。祖父は完成の翌年に71歳で亡くなったが、孫の佐々木駿さんは昨年まで社会人野球のオールフロンティアに所属。19歳になった今も野球を続けている。
「バッティングセンターは自分でも作れる」
田んぼの中の手作りバッティングセンターに感化されたジョーさんは決意を固めた。
ジョーさんは2017年の春、実験として自宅の庭にピッチングマシン1台のバッティングゲージを作った。当時小学5年生の長男は毎朝10球ずつの「早出特打ち」を重ねると、試合でも打てるようになったという。
美穂子さんも「当たるとスカッとする」とバッティングを楽しみ、家族だけの練習場から「みんなのバッティングセンター」作りが本格化することになった。
建設の見積もりは1億円!さあどうする?
まずジョーさんは美穂子さんを介して、バッティングセンターの施工を行う大手業者に建設の見積もりを依頼した。「冬に雪が降るという立地条件を話したら、屋内用だということで1億円かかるということでした」
この時点で美穂子さんは「無理だな」と思ったという。周囲の人もそう思い、繊細な性格の長男はジョーさんに「みんなに笑われるから作らないでくれ」と伝えた。
しかしジョーさんはあきらめなかった。「インターネットでアメリカのバッティングセンターを調べたら、日本のコストの10分の1くらいで簡単に作っている」と言い、背中を押す仲間もいた。
建築業を営む菅崎睦さん(47)は「予算の問題は心配でしたが、できないと言ってしまえばそれまでなので、不可能ではないと言って手伝いました」という。
そして美穂子さんは「土地が見つからなかったら(ジョーさんは)あきらめると思っていたんですが、紹介された場所がたまたま親戚のおじさんの土地でした。『草を刈るのも面倒くさいので無償で使ってもいい』ということで場所が決まり、農地転用許可を取って動き出しました」
2018年3月、まずは整地から始まった。田んぼだった場所に砂利を入れ、水はけをよくするため暗渠排水パイプを埋め、その上に砂を敷いた。工事に必要な重機などは菅崎さんをはじめとした地域の人たちが協力して用意した。
防球ネットを支える柱は「使い古しの電柱を使うと50万円かかる」(ジョーさん)ということで単管パイプをつなぎ合わせた。
防球ネットはスポーツ用品店を営む少年野球のコーチを介して譲ってもらい、美穂子さんの母をはじめ家族総出で縫い合わせたという。
「仕事前に早起きして朝4時半に縫っていました。足りない分はホームセンターで20メートルの鳥よけネットをつなぎ合わせて、みんなで考えながら作りましたね」と美穂子さんは笑う。
一番高価だったのはピッチングマシンだ。最新のバーチャルタイプや韓国で人気のスクリーン型は当然手が届かず、車輪の回転を利用し安定した投球が可能なホイール式(ローター式)は投球開始を知らせるランプとの連動が難しいことがわかった。
その結果、機械がバネの力を利用して投手の腕の振りのようにボールを押し出す「アーム式」を3台、インターネット通販で購入した。
総予算は業者が見積もりした額の40分の1程度に抑え、2018年8月、雫石バッティングセンター「HOME-RUN KING」は完成した。
手作りバッセンが完成。しかし息子たちは…
周囲に明かりはなく営業時間は「夜明けから日没まで」。100円玉をコインボックスに入れると、自動的に15球投じられる。その設備は電気工事に詳しい友人の助けででき上がった。
ゲーム後、打球は地面に転がったままなので、利用後はボールを拾ってカゴの中に戻すのがルールだ。
「(球速)120キロまで出るマシンですが、アームが途中で止まると次は90キロくらいになることもある。すべて金属でできているのでその日の気温でスピードも変わってしまいます」とジョーさん。
「みんなはもっと(安定して)ストライクが入って欲しいと言うけど、実戦でピッチャーはパーフェクトなピッチングをすることはないので、目(選球眼)を養うと思って使って欲しい」とジョーさんはこのバッティングセンターの利用法を語った。
ジョーさんの次男の同級生、小学5年生の荒塚渚月くんは月に数回、このバッティングセンターでレベルアップを図っている。
「盛岡まで行かなくてよくて100円なので安くてお得」と言う渚月くん。憧れの選手を聞くと「坂本勇人選手(巨人)。ホームランをいっぱい打ててかっこいい。自分ももう少し(打球を)飛ばせる力をつけたい」と話した。
我が子のためにバッティングセンターを手作りしたジョーさん。しかし4人の息子たちはもう野球をやっていない。今はバスケットボールに夢中だ。同じようなことを日本各地でよく聞く。
「次男は野球が嫌いなわけではなくて、ずっと動いているのが好きなんだと思います」と美穂子さんは話した。
それを作れば○○は来る
ジョーさんのよき理解者としてバッティングセンター作りを手伝った菅崎さんは、完成までを振り返った。「どうやったらいいかという答えがなく、すべて手探りで似たような作業や物を流用していった。完成した時は嬉しさよりも『大丈夫か?』という心配がありました」
菅崎さんはこう続ける。「でもジョーさんはいつも言います。『やれるのとやれない、あるのとない、この差は大きい』。アメリカ人らしい考え方で、何でも『ちゃんとしていなきゃいけない』と考える日本人とは違うところなので見習いたいです」。
ジョーさんは「作るまでのプロセスが面白かった。壁にぶつかってもアイデアを出して『ちょっとずつやっていけばできる』という考えが自分に定着した」と話す。そして美穂子さんは「ジョーひとりではできなかった」と振り返った。
さらにジョーさんは「イチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)は子供の頃、お父さんと毎日バッティングセンターに行ったという。そういった父と息子の関係は非常に重要だと思う。野球だけではなくスポーツは親子、家族のコミュニケーションに欠かせないものではないだろうか。だからいっぱいの人に来て欲しい」と言葉に力を込めた。
バッティングセンター完成までの経緯、そしてジョーさんの話を聞き、岩手が舞台で大ヒットしたテレビドラマ「あまちゃん」(NHK)のワンシーンを思い出した。
「ボロいので笑われる」(ジョーさん)という、屋根のない雫石バッティングセンター「HOME-RUN KING」は冬の間は休業中だ。雪が解け、春の訪れが近づくと、かつては草地だった夢の空間に快音が響く。