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レバノン:レバノンの硬貨を巡る都市伝説

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2019年以来の経済危機により、レバノンの通貨であるレバノン・ポンド(LP)の価値が大幅に下落している。その影響で、LPの硬貨は今や額面の価格よりも金属としての価値の方が高くなっているとの噂が流布しているそうだ。そして、これを信じて実際に硬貨を集めた上で金属として売却しようと図る者たちも出ているらしい。噂の的になっているのは、250LPと500LPの硬貨である。この噂を紹介したレバノンの月刊誌は、この二種類の硬貨の発行数とその額面の総額と、硬貨の金属(硬貨が何の金属かは不明)としての総重量と価格を比較し、LPの価値が1ドル=1万1000LPの水準ならば、額面の価値の方が高いと断じた。その一方で、この雑誌は経済危機が進行して1ドル=1万5000LPよりも価値が下がるようだと硬貨の金属としての価値の方が高くなると指摘した。もっとも、実際にまともな利益が出るくらいの量の硬貨を集め、それを金属として売却するまでには膨大な手間がかかることが予想されるため、「硬貨を集めてそれを金属として売却して利益を上げることができる」というのはまさに空想なり都市伝説の水準のお話しであろう。

 とはいうものの、LPの硬貨は、現在の経済危機が始まる前からレバノンの社会やモノやサービスの売買においてあまり好かれている存在ではなかった。タクシーの利用や宿泊で硬貨を使用する可能性はほぼなかったし、食事や書籍類の購入の際も価格が1000LP単位でつけられていることの方が圧倒的に多い。その結果、ベイルートの商店などで価格を尋ねる際に、「2万1000LP」の価格が「21」と言い慣らされている、といった場面に遭遇することも少なくなかった。そのようなわけで、21世紀になるとLPの硬貨に出会う機会はお釣りをもらう場面ですらあまり多くはなかったし、万が一財布にLP硬貨が入っていたとしても、露店・キオスクでスナック菓子やちょっとした飲み物の購入を試みた際ですら受け取りを拒否されることもザラなことだった。その結果、哀れなLP硬貨の行き先は、そこら中に設置されている「某団体」の募金箱くらいしかない、というのが筆者の感覚であった。無論、筆者は「わざわざレバノンにやってくる」お金持ちの観光客・訪問者の類であり、レバノン国内には500LPや250LPが取引の単位として機能している水準で日常生活を送っている人々や地域も少なくはないだろう。ただ、冒頭のリンクの通り、現在のLPの価値は1ドル=1万2000LP程度で、これがちょっとした内外の状況の変化に影響されてたちどころに1ドル=1万5000LPよりもLPの価値が下がるという、機微な状態で推移している。また、レバノン当局にとっても、硬貨の鋳造にかかる経費は硬貨そのものの額面よりも高額になっているそうなので、本稿で紹介した妙な噂を信じて実際に硬貨を集める者が増えなかったとしても、LPの硬貨が流通しなくなるという場面はありうることのようだ。このような事情を踏まえると、「現地事情に疎い外国人」に押し付けられた結果、筆者の財布に1枚だけ残っている250LPの硬貨にもなんだか愛着がわいてくるのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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