発明王の戦争!電流市場をかけて争ったエジソンとテスラの勝敗とは
蓄音機や電球、映画の映写機を発明したことで知られる発明家の「トーマス・エジソン」。
彼の持つ特許数は1,000を超えており、人類の発展に大きく貢献したことで「発明王」とも呼ばれています。
そんな彼には、同時期を生きた天才科学者「ニコラ・テスラ」というライバルがいました。
今回は、そんな二人の発明家「トーマス・エジソン」と「ニコラ・テスラ」の間で巻き起こった電流市場の争奪戦「電流戦争」を紹介します。
□発端
1856年オーストラリア帝国で生まれたニコラ・テスラ。彼は1884年に勤めていた電話会社を退職し、アメリカに渡ってエジソンのもとで働きはじめます。
このときは同じ時代を生きる発明王・エジソンに対して、テスラも尊敬の念が存在したのでしょう。しかし、いざ同じ職場で働くと2人の考え方や性質は全く異なりました。
それは、「直流電流」と「交流電流」という発明に欠かせない2種類の電流方式のように異なっていたのです。このうち、エジソンは自身が開発した「直流電流」に固執しており、テスラは「交流電流」の可能性を感じていました。
直流電流は安定した電気供給が可能で、現代では電池を使用した製品に利用されています。
一方の交流電流は、現代のコンセントに用いられているものです。コンセント1つで電圧の異なる製品を使用できたり、電球の明るさを調整できたりするなど、日々の生活を便利にしました。
□勝者は…
思考の違いに限界を感じたテスラはエジソンのもとを去り、独立して交流電流を確立。直流電流を導入していた世の中も、交流電流を主流に扱うようになりました。
エジソンが発明した「直流電流」とテスラが発明した「交流電流」の市場争いが「電流戦争」とよばれています。この戦いの結果は、テスラの圧勝。
電流市場を奪われたエジソンは激怒し、交流電流を使用した電気椅子(処刑道具)を開発してテスラのイメージダウンを図ろうとするなど、相当に悔しがっていたそうです。
交流電流で大成功したテスラは、その後も発明や研究に没頭。しかし、ある時期から幻覚に悩まされるようになり、研究の方向性は、水銀を音速の48倍に加速させて光線(ビーム)を発生させる「殺人光線」や地震を意図的に発生させる「地震装置」など、危険なものへと変わってしまいます。
そのためか、発明王として語られるのは「トーマス・エジソン」がほとんどです。
電流戦争で決別してしまった二人の偉人ですが、二人が手を取り合って研究を続けていれば、より素晴らしい発明ができていたかと思うと残念でなりません。
広島県福山市にある「福山自動車博物館」には、トーマス・エジソンの精巧な蝋人形が展示されています。
気になった方は訪れてみてくださいね。