ブスが大嫌い!自分に釣り合う男性を選んでいる間に婚期を逃した美女「清少納言」紹介
清少納言は、平安時代を代表する文学作品「枕草子」の著者です。
枕草子の「春はあけぼの〜」からはじまる物語をご存知の方も多いのではないでしょうか。
彼女の作風でもある風景を美しく表現した秀逸な言葉使いは枕草子にも登場し、現代でも高い評価を得ています。
一方で、身分の低い庶民や不細工な人、お年寄りを嫌った清少納言は過激な内容も枕草子に書き記していました。
※本記事の内容は様々な方に歴史の魅力を感じていただけるよう、史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・清少納言は面食い
女流作家としてだけでなく、絶世の美女としても知られる清少納言。彼女は自身が恵まれた容姿に生まれたためか、他人の容姿を厳しく精査しており、枕草子でも顔立ちの醜くくて性格の悪い人は取り柄のない者としています。
また、醜い男女が二人で昼寝しているのを見かけたときには「見苦しい」と一蹴しており、醜い者同士が顔を見合わせるのは「生きている価値がない」とも言い切っているのです。
ほかにも、「説教を説く僧は顔の整った男性が良い。その方が顔をじっと見続けられるし、説明も頭に入りやすくて尊さを感じられる」とも言い残しています。
平安時代は美男子の主人公が活躍する物語が流行した時期でもあり、人の容姿に対して敏感な時代でした。
そのなかでも、清少納言はトップクラスの面食だったのかもしれません。
・清少納言の性格
人の容姿にまで口を出した清少納言はかなり尖った性格の持ち主で、最初の旦那・橘則光のことも枕草子で罵っていました。
橘則光は清少納言との結婚生活に気疲れしたのでしょうか。離婚理由は不明ですが、橘則光のほうから離婚を切り出しています。
独身になった清少納言ですが美しい容姿もあり、彼女のもとには数多くの男性が言い寄りました。
しかし、モテ期が続いた清少納言は「頭が悪い!顔が醜い!地位が低い!」と男性を採点。自分に釣り合う男性を選んでいるうちに婚期を逃し、父親ほどの年齢が離れた「藤原棟世」と再婚しています。そんな彼女のことを周囲は、「中年男性のオヤジと結婚した哀れな女」と小馬鹿にする者もいたのだとか。
再婚後、間も無くして高齢だった「藤原棟世」が死去。宮中を離れた清少納言は行方不明となり、人生の後半をどこで過ごしたのかなどは謎に包まれています。
ただ、徳島県鳴門市の神社仏閣「観音寺」のある周囲一帯は里浦という地域で、清少納言の父親・清原元輔が領主をしていた時期がありました。そのため、清少納言は里浦の地で余生を過ごしたのではないかともいわれています。
観音寺には清少納言像・清少納言の墓碑を安置する「天堂塚」があるほか、毎月10日には清少納言や地元の歴史に関する講義も開催中(※都度内容が変わるため、講義内容や時間が気になった方は神社へお問い合わせください)。
気になった方は、ぜひ現地へ足を運んでみてください。