5人に1人を殺した悪魔の兵器…なぜその2か所が標的に?
第二次世界大戦中の1945年8月6日。日本・広島に原子爆弾(以下、原爆)が投下されました。
原爆の破壊力は広島市にいた約7万人(1945年12月時点の死者数は約14万人)を即死させ、3日後に投下された長崎県では約4万人(1945年12月時点の死者数は約7万人)もの犠牲者を出しています。
原爆が投下された当時の広島市の人口は30〜40万人前後であり、単純計算で「5人に1人が死亡」しているといえるでしょう。当然、他にも後遺症を患った重症者も多数存在しており、悲惨な結果を記録しています。
一都市を壊滅させるほどの破壊力を持つ原爆は、なぜ首都から遠く離れた広島や長崎に投下されたのでしょうか。
標的:広島のケース
原爆投下地点の第一候補となったのは広島県です。
日本の首都から800km離れた広島が標的となったのには、主に3つの理由が上げられます。
それは最低限の都市規模であったことと、爆弾の被害を最大化するのに適した地形であったこと。そして、日本と対立していた連合国側(アメリカ合衆国・イギリス・フランス・旧ソ連・中国)の兵を収容する捕虜収容所が存在しないと考えられていた為です。
広島の中でも投下目標となったのは、現在「原爆ドーム」がある平和記念公園から徒歩1〜2分の距離にある、全国的にも珍しいT字形をした「相生橋」。戦前の1932年(昭和7年)にはすでに従来までの路面電車専用橋を架け変え、車や歩行者も渡れるようにするなど発展した都市でした。
相生橋は現在、原爆ドームの撮影スポットとしても有名です。
標的:長崎のケース
広島の原爆投下から3日後に投下されたのが長崎県でした。
広島に比べて被害が少なかっとといわれていますが、それでも爆弾投下で約4万人を即死させる被害を出しています。
アメリカ軍が長崎に原爆を投下したのは、広島のように被害を最大化するのではなく、一般都市で「原爆の威力や効果を確認する目的」がありました。また、日本軍の武器や戦艦を製造する三菱造船をはじめとした兵器工場や造船所が密集していたことも要因だと考えられています。
筆者が広島の原爆ドームを訪れた際、日本人よりも外国人観光客の方が多いように感じました。被害を受けた日本だけでなく、世界中の人々が原爆の威力や被害を知ることで戦争の抑止力に繋がることを願うばかりです。