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【体操】田中和仁 平行棒にプライドを、リオ戦士にエールを

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2011東京世界選手権種目別決勝の田中和仁の演技(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

■あん馬とつり輪を棄権し、平行棒に懸けた

6月4日、東京・代々木体育館。全日本種目別選手権予選の演技を終えた田中和仁(徳洲会体操クラブ)は、翌日の決勝に備え、いつものように控えフロアで帰り支度をしていた。

田中は、あん馬、つり輪、平行棒の3種目で予選の出場権を持っていたが、あん馬とつり輪を棄権し、得意の平行棒に絞って出場していた。

予選では、シャルローから入り、ドミトリエンコ、棒下ひねり倒立、屈身ベーレ、屈身モリスエをしっかりと決めて最後は屈身ダブルで着地。09年ロンドン世界選手権種目別で銅メダルに輝いた実力を今なお持ち続けていることを見せつける、圧巻の演技だった。

結果はDスコア6・8、Eスコア8・750、合計15・550という高得点。15・600の横山聖(コナミスポーツクラブ)に続く2位で予選を通過した。

演技が非常に美しく、彼らしい倒立やさばきを存分に見せていたことに、心を揺さぶられた。やはり、田中和仁は体操ニッポンを象徴する選手の一人だ。

一方で、あん馬とつり輪を棄権したのはなぜかを考えると、その決断は、リオ五輪の個人総合枠出場選手を決める5月のNHK杯出場を逃していたことリンクしているのではないかという気がした。

「Dスコア6・8は(自分の)フル構成です。とにかく予選を通らなければいけなかったので、この構成で行きました。なぜなら…」

帰り支度を終えた様子の田中に声を掛けて話を聞かせてもらうと、そこには、明るい表情とは裏腹の重い決意があった。

「もしかすると、今日の演技が最後になってしまうかもしれないと思って、まずは絶対に決勝に行かなくてはと思い、予選からDスコア6・8のフル構成で挑んだのです」

■3きょうだいでロンドン五輪出場 そしてリオを目指した

妹の理恵、弟の佑典とそろってロンドン五輪に出場した田中3きょうだいの長兄は、14年1月の左肩の手術を乗り越えながら、リオ五輪出場を狙い、トレーニングを重ねてきた。

けれども、31歳の肉体は、あちこちから悲鳴が聞こえる状態になっていた。

「成績が伴わなくなるのが先か、身体が壊れるのが先か、そういう勝負をしていますよ」

リオ五輪代表へ入るための道のりとして、田中は、個人総合をベースに平行棒でポイントを稼ぐという戦略を練って準備を続けてきた。ところが、代表選考の第一歩だった4月の全日本個人総合選手権でまさかの36位となったことで、個人総合枠でのリオ五輪出場を決める5月のNHK杯の出場権を逃してしまった。

NHK杯の出場枠は36だったが、前年の世界選手権個人総合で金メダルを獲っていた内村航平がすでに予選免除の形でNHK杯の出場権を持っていたため、田中の実質的な席次は37番目になってしまっていたのだ。

「36位で一瞬『良し!NHK杯に出られる!』と思ったんですよ。でもすぐに気づきました。『違う、航平がいてる…』って。僕が入っていれば徳洲会のメンバー全員がNHK杯に出られたんですけどね」

田中は苦笑いしていた。だが、NHK杯に出場できなかったことは、彼の競技特性と照らし合わせると、その時点でリオ五輪が大きく遠ざかることを意味していた。

■平行棒にプライドを懸けて

「去年の秋に、右手の有鉤骨(ゆうこうこつ)の先端の骨片が飛んだんですよ。年末から安静にして、春まで痛みを取りきってから練習を再開したのですが、NHK杯の後に再発してしまいました」

全日本種目別選手権であん馬とつり輪を回避した理由は、この負傷だった。

「もう痛くて痛くて。本当は、あん馬とつり輪はユウ(田中佑典)と久々に同じ班だったのでやりたかったのですが、それをやると平行棒まで持たないと思って回避しました」

全日本種目別の前は、平行棒の通しチェックを2度やったが、2度とも落下した。有鉤骨の部分の痛みに耐えきれなかったのだ。それでも全日本種目別選手権では必死の思いを演技にぶつけた。

「本当は予選で1番になって、シードされて最終演技者として出るユウ(弟・田中佑典)の前に演技をやりたかったんです。最後に2人が続けて演技をすることはかなわなかったけど、自分の演技には満足しています」

田中は決勝でも15・600の高得点を出して2位となった。最も得意な平行棒にプライドをぶつけた。ロンドン五輪に続くリオ五輪出場や、4度目の全日本種目別チャンピオンになることはかなわなかったが、世界的に見ても非常に水準の高い日本の平行棒で31歳にして表彰台に上がることがどれだけ難しいことか。会場からは大きな拍手が降り注いだ。

そして、表彰式を終えた後、今後の去就に関し、素直な思いを吐露した。

「東京五輪は考えていないということは言えますが、(当面の間)競技を続けるかどうかということに関しては今は分かりません。ですが、今日の演技には自分らしさが出せたと思います。長い間応援してくださったファンの方々に感謝の気持ちを込めて自分なりに頑張れたと思います」

■「託さず、応援する」

引き際に関して揺れる思いを語っていたあの日から2カ月あまりが過ぎた7月21日、体操ニッポンのメンバーがリオデジャネイロに向かう機中にいるころ、田中は所属の徳洲会体操クラブを通じて引退を発表した。

発表のタイミングには、弟の佑典をはじめとするリオ五輪メンバーへの影響を最小限にしたいという配慮が感じられた。リオ五輪代表5人中4人は、田中がキャプテンを務めたロンドン五輪でともに団体銀メダルの悔しさを味わったメンバーなのである。だが、田中には、自身の強い思いを弟たちに背負わせようというつもりはない。

「ユウはもう社会人5年目だし、経験もあって良い年齢なんですよ。でも、リオはユウに託すと重くなる。託すのではなく、応援します。リオではみんなで団体金メダルを獲って欲しいです」

ロンドン五輪で団体銀メダルに終わった夜、5人の団体メンバーは「リオでリベンジしよう。この5人でリベンジしよう」と選手村の宿舎で誓った。5人の内の4人、内村航平、山室光史、加藤凌平、そして弟の田中佑典はリオ五輪切符を手にすることができた。

日本を出発する前、佑典はこう言っていた。

「兄はリオを目指して最終選考会まで出て良い演技をし、意地を見せてくれた。リオに行けなかった悔しさはあると思うので、兄のことは気持ちの片隅に置いてやっていきたい」

佑典は、本番で過度に気負うことのないようにと、こちらも控えめな表現で兄の思いを代弁していた。

田中の思いはかなわなかった。しかし、彼が平行棒の演技で示した意地とプライドは、リオデジャネイロ五輪でこれから戦おうとしている体操ニッポンのメンバーたちにとって、日本の底力を深く感じさせるものとなったはずだ。美しい体操を体現してきたアスリートの競技人生が、美しく幕を閉じた。

【体操】3きょうだい長兄・田中和仁 左肩手術を乗り越え、リオ五輪を目指す

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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