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崖っぷちのサッカー監督たち。マドリー監督解任も、次への道標

小宮良之スポーツライター・小説家
クラシコ後、解任されたレアル・マドリーのロペテギ監督(写真:ロイター/アフロ)

 10月29日、クラシコで大敗を喫したレアル・マドリー。指揮官であるジュレン・ロペテギの解任が発表された。

 ロペテギはロシアW杯でスペイン代表を率いるはずだったが、開幕二日前に解任された。大会後にマドリーの監督就任を発表したことで、腹を立てたスペインサッカー連盟にW杯を直前に控えてクビを飛ばされている。2年間、無敗だった。

 ロペテギはW杯を投げ捨て、マドリーの監督を選んだ。それは彼の決断だろう。自らの責任だ。

 しかし呆気なく、ハシゴを外されてしまった。

「まだ10月、まだまだ巻き返せる」

 そう声を振り絞ったが、聞き入れられはしなかった。リーグは9位まで転落。運命だったのか。

 サッカー監督たちはいつも崖っぷちに立っている。

ジダンは解任寸前から巻き返し

 どのタイミングで監督は見切られるべきなのか。

 2017-18シーズン、マドリーを率いた名将ジネディーヌ・ジダンは前半戦で取りこぼしを続け、年内最後の試合では宿敵バルサにも敗れ、早々にリーグ優勝を断念せざるを得なかった。しかしジダンはその後、チャンピオンズリーグに集中し、3連覇をやってのけている。リーグ連覇こそ逃がすことになったが、前人未到の偉大な記録だ。

 もしジダンを解任していたら・・・それを思うと、マドリディスタは背筋が凍る思いだろう。

「終わりだ」

 そう思った瞬間に巻き返した監督たちは、大きな仕事をやってのけ、そして敬意を表されているのだ。

崖から這い上がって結果を残した監督たち

 2001-02シーズン、当時バレンシアを率いていたラファ・ベニテス監督は、名将の証を見せた。

 開幕3試合は2勝1分けで好スタートを切っている。ところが12節から16節まで5試合勝ち星なし。8位まで転落し、優勝どころか、残留争いに巻き込まれかねない。17節、エスパニョールに負けたら首が飛ぶところまで来た。そして試合は2点をリードされる展開で、もはや風前の灯火だった。しかし怒濤の3得点で逆転し、劇的な勝利を収めた。これで首がつながったベニテス・バレンシアは3連勝。順位を上げると、後半戦は13勝1敗3分けで優勝を果たした。

 崖から滑り落ちそうに成りながら、這い上がった者は強い。谷底を知っているというのか。指揮官としての懐の深さを身につけ、たとえ失敗しても巻き返す力を持っている。

 2014-15シーズン、バルサの監督だったルイス・エンリケも、苦しい時期を乗り越えて、栄光をつかんだ一人だ。

 9,10節、レアル・マドリー、セルタに連敗。バルサにとって、マドリーに敗れることのダメージは、想像以上に大きい。これで不信感が募って、17節にレアル・ソシエダに敗れた後、監督解任論が噴出。その前段階として、スポーツディレクターのアンドニ・スビサレータが解任され、次節、アトレティコ・マドリー戦は正念場になった。エンリケ・バルサはリーグ王者アトレティコを3-1と一蹴。この後、チームは勢いに乗って、伝説的なトリプル(チャンピオンズリーグ、国内リーグ、国内カップの3冠)を果たすことになった。

 ベニテスもエンリケも、指揮官として引く手あまた。前者はプレミアリーグのニューカッスル、後者はスペイン代表監督として采配を振るう。

監督失格の烙印を押すべきか

 サッカー監督はいつも崖っぷちに立って仕事をしているのだろう。1試合負けると叩かれ、3試合続けて負けると解任が囁かれ、5連敗すると崖から突き落とされる。これほど目先の結果が問われる職業は少ない。

「結果ではなく、日々のトレーニングを見て欲しい!」

 不満をぶつける監督もいる。正論だろう。トレーニングにこそ、監督の仕事の本質はある。

 しかし、試合でメッセージが伝わらないなら、それは監督の仕事として十分ではない、ということだろう。結局、プロは結果が大きく物を言う。残酷な現実が、そこにはある。

 では、ロペテギは失格の刻印を押されるべきなのか。

監督になるまでのロペテギのサッカー人生

 ロペテギは失望し、落胆しながらもプロのキャリアを重ねてきた。勝負には必ず勝者と敗者がいる。その腹は括っている。

 現役時代の話だ。1994-95シーズン、ロペテギはアンドニ・スビサレータの後継者として、バルサのGKに迎えられている。当時、ロペテギはスペイン代表としてアメリカW杯に出場するなど、国内最高のGKの一人で飛ぶ鳥を落とす勢いだった。ところが、バルサの選手としてデビュー戦になった開幕直前のスペインスーパーカップ、サラゴサ戦で5失点し、評判はがた落ちした。

「5年に一度、GKに訪れるようなミスが、この試合で重なってしまった」

 当時、ロペテギはそう言ってうなだれたが、焦りだったのか。この一戦をスイッチに、プレーの狂いが出た。

 ロペテギは信頼回復に努めたが、夏以降は出番がない日々が続いて、翌年2月になって、ようやく出場機会を得る。しかしスペイン国王杯のアトレティコ・マドリー戦、1レグでミスを連発し、4失点(当時はホーム&アウエー開催)。2レグも出番を得て、1-3の勝利に貢献(二度PKをストップ)したものの、トータルスコアでチームは敗退。シーズンは終わった。

 次のシーズンはもっと悲惨だった。プレシーズンから失点を浴び続け、とうとうセカンドGKの座も失う。クライフが娘婿として抜擢したヘスス・アンゴイに抜かれ、サードGKになった。

 ロペテギはGKとして、何かをつかみそこねた。

 しかし、彼はそこで終わらなかった。

経験を糧に、腐らない人生

 指導者として、その経験を生かして若手育成で評価を上げた。

「私はバルサに行ったことを少しも後悔していない。サッカーは人生と同じだ。そこで経験できたことで、成長につながり、自分の財産になる。人間が生きていく上で、悪いことも良いこともあるからね。当時はいやだったことも、悪くない思い出になったりして。そういうものが力になっているんだ」

 ロペテギは語っているが、その達観で監督としてUー21欧州選手権で優勝している。その後はFCポルトを率いてチャンピオンズリーグではベスト8に進出。実績を買われて就任したスペイン代表監督としては2年間、無敗を誇っている。

 そこで再び、しくじった。

 しかし、ロペテギがプロフェッショナルなら、その経験も糧にするはずだ。

 スペインで監督は、ヘッドコーチ、GKコーチ、フィジカルコーチ、戦略分析担当などのスタッフとチームとして動くが、「我々は信頼関係があるし、力に満ちている。それは誰も奪えない」とチーム・ロペテギは次なる挑戦を視野に入れる。CSKAモスクワからはすでに人物照会が届いているとも言われる。

「決断を下したのは私自身だ。なにひとつ後悔はない。もう一度、決断するときがあっても同じように決断するだろう」

 マドリーの監督を選んだときの証言である。

 サッカー監督はいつも崖っぷちに立っている。 

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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