元阪神・西武の榎田大樹が現役引退。今後は西武球団スタッフに転身
昨年限りで埼玉西武ライオンズを自由契約となっていた榎田大樹投手が現役引退した。24日、西武が球団本部ファーム・育成グループバイオメカニクス(一軍グループ兼務)兼企画室アライアンス戦略に就任することを発表した。
11年間の現役生活。生涯成績は237試合登板、29勝25敗3セーブ60ホールド、防御率4.16だった。
阪神ドラ1。1年目にはオールスター出場も
鹿児島県出身で、小林西高校(宮崎)から福岡大学、そして社会人・東京ガスを経て、2010年ドラフト1位で阪神タイガースに入団した。ルーキーイヤーから輝きを放った左腕だった。2011年のプロ1年目は中継ぎとして62試合に登板。3勝3敗1セーブ33ホールド、防御率2.27と大活躍し、オールスターゲームにも出場した。
しかし、その後は振るわないシーズンが続いた。7年目の2017年はプロ入りワーストの一軍3試合登板に終わった。
筆者が彼と出会ったのは、そのシーズンオフになる2018年1月のことだった。
運営などの手伝いをしている、アスリートコンサルタントの鴻江寿治氏が主宰する合宿に榎田が参加したためだった。きっかけを作ってくれたのは社会人・東京ガス時代の同期で“盟友”である美馬学(当時楽天、現ロッテ)。「体の使い方を教えてくれる先生がいるよ」という言葉が始まりだった。
「鴻江合宿」を機に復活の2桁勝利
美馬とともに自主トレ合宿に参加した榎田は衝撃を受けた。
「肘を下げてみて」
「インステップで投げて」
「軸足に残すんじゃなく、前へ前へ行って」
「腕は振るんじゃなくて、振られるものだから」
1月中旬の屋外で捕手を座らせて投げるのだけでも驚きなのに、鴻江氏が発するアドバイスはそれまでの自分の常識とは全く真逆の考え方ばかりだった。
プロ野球選手の中でも特に「お山の大将」などと評されるピッチャーはある種の強いこだわりやプライドの持ち主であることが多い。実績や肩書が自分より劣ると判断して耳を傾けない者だって少なからずいる。
投げ方を変えるのは相当な勇気のいる決断だ。しかし、榎田は素直に受け入れた。自分に後がないことは分かっていたし、二軍暮らしが長くなる中で考えすぎて混乱していたのも自覚していた。また、この時の合宿にはソフトバンクの千賀滉大投手や石川柊太投手、ソフトボール金メダリストの上野由岐子投手、DeNAの今永昇太投手も参加。鴻江氏は人間の体のタイプは大まかに2タイプに分かれる理論を提唱しており、それに照らし合わせて使い方のヒントを送る。「一人一人に合わせて、その人に合ったアドバイスをしてくれる」。それも言葉がスッと入ってくる理由の一つだった。
わずか数日間の合宿だったが、効果を感じるのには充分な時間だった。
「言われた通りにやってみたら、自分の思い描く軌道のボールが投げられました。自然な形で投げていた頃の感覚に近いものを取り戻した。そんな感じでした」
阪神から西武へトレードとなったのはその年のキャンプが終わって間もない頃だった。突然のことだったが、榎田は新天地で輝きを取り戻した。
飾らない実直な人柄
先発ローテに定着して11勝をマーク。チームのリーグ優勝に大きく貢献した。
その後も19年、20年と鴻江合宿に参加した。物静かで実直な人柄は、一軍でどれだけ活躍しても全く変わらなかった。19年の自主トレでは取材に訪れた報道陣からその年に西武に新加入する内海哲也投手(東京ガスの先輩)について問われると「内海さんが来るので、僕は陰に隠れてこっそりとやりたいと思います。去年のように5、6番目で投げられればいいですね」と笑顔で話していた。20年にはソフトバンク、中日、広島などから多くの若手投手が参加したが、彼らが遠慮するような雰囲気を醸し出すことなく過ごしていたのが印象的だった。
現役引退に際しては一報をもらった。「海外でのプレーも考えていましたが、自分自身で決めていた期限もきたので、一区切りつけます」と理由を説明してくれた。
今後は裏方として西武を支え、プロ野球の発展に貢献する立場となる。初めは慣れない仕事に戸惑うことも予想されるが、どんな困難にも真っ直ぐ向き合って乗り越えてきた男は、次のステージでも確かな成果を残すに違いない。