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NHKとテレビ朝日聴取問題における政治からメディアへの「圧力」の本質はどこにあるのか

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

自民党が、4月17日に情報通信戦略調査会において行った、NHKとテレビ朝日の聴取が、波紋を読んでいる。

強まる「政治圧力」 自民、テレ朝とNHK聴取 報道萎縮の懸念(北海道新聞)- Yahoo!ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150418-00010001-doshin-pol

政治からメディアへの圧力や萎縮効果の有無、あるいは違法性に対する懸念が議論の中心のようだ。だが、先日のエントリでも論じたように、政治からメディアへの圧力や萎縮効果の「有無」とその「是非」ばかりを問うてみても、あまり実りある成果は期待できない。

NHKとテレビ朝日の聴取は、歴史的に見ても、業界自粛を促す、政治からの効果的なアプローチ(西田亮介)- Y!ニュース

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryosukenishida/20150416-00044870/

というのも、政治からメディアへの何らかの「圧力」は存在するに決まっているからである。ここでいう「圧力」とは、有形無形の力学のことであり、政治の意図をメディアにも貫徹させようとする働きかけのことである。政治は公式/非公式に、こうした働きかけを頻繁に実施している。首相とメディア首脳陣の会食から、記者会見まで、そこには政治からメディアへの意図が込められている。

とはいえ、政治とメディアの利害関係は、いかに日本における両者の距離が近いといっても、常に一致するわけではない。一致することもあれば、一致しないこともある。また政治からメディアへの一方的なものだけではなく、メディアから政治への圧力も存在する。リクルート事件やロッキード事件などを思い出してみても、メディアが政治に強い圧力をかけることもある。

両者のあいだには、一定の緊張関係があり、その力学は状況のなかで、時々刻々と変化しながら、常時存在しているといえる。したがって、まず圧力や萎縮効果の有無を騒ぎ立てても、つまり両者を、原理主義的に二項対立で捉えても、あまり問題の本質を指摘することには繋がらない。

むろん「圧力」の違法性を問うてみる作業は、一度は必要であろう。政治とメディアの独立の重要性はしばしば指摘されるとおりである。今回の出来事を批判的に捉えるひとつの論拠は、放送法であろう。だが、放送法が原則として定めているのは、放送番組編集の自由である。

(放送番組編集の自由)

第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

とはいえ、さすがに聴取のみをもってして、直ちに放送法に違反するとまではいえまい。あるいは、控えめに考えてみても、その違法性を確定させるためには長い時間と多くのコストを必要とする。また先日のエントリでも記したように、民主党もNHKに対する聴取を行ったことがある。もちろん与党と野党、公開/非公開など、本質的には性質の異なる問題だが、世論において今回の事態と五十歩百歩のような印象形成は十分生じうるだろう。

萎縮効果や圧力の有無を騒ぎ立てるいっぽうで、こうした曖昧な、そしてあやまった印象形成、世論形成が進んでしまうことこそが、もっとも強力な政治からメディアへの圧力(の端緒)になるはずである。

実際興味深いのは、自民党側も批判側と同様に、「中立」の論理と放送法違反の論理を持ちだしてきていることだ。

時事ドットコム:テレ朝に「中立」要求=昨年11月、「報ステ」問題視-自民

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015041000825&g=soc

こちらの指摘は、放送法の第4条4項の違反である。

(国内放送等の放送番組の編集等)

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

どうだろうか。世の中でそれほど放送法の内容までは認知されていないという点に留意すれば、確かに両者は互角に論争しているようにも見えてくるのではないか。

問題の所在は、その先にある。自民党は、今回のような事態の「問題解決」のために、放送事業者の自主規制機関であるBPO(放送倫理・番組向上機構)への政府の関与を示唆している。

自民党:BPOに政府関与検討 「放送局から独立を」- 毎日新聞

http://mainichi.jp/select/news/20150418k0000m010105000c.html

この記事も指摘するように、日本の放送制度は、免許制になっている。そして、そもそも現状でも、政治とメディアの独立についての問題提起されている。放送事業者が、総務相に免許を求めなければならないからだ。

とはいえ、一見、自民党による放送事業者の自主規制機関であるBPOの独立要請には、一定の合理性があるような印象を受けるかもしれない。

たとえばアメリカで放送事業者を規制監督するFCC(Federal Communications Commission: 連邦通信委員会)も、連邦政府から独立した機関だが。だが、その大前提として、アメリカでは放送事業者は、政府ではなく、政府から独立したFCCに免許の交付、更新を求める仕組みになっている。

その一方で、日本のBPOは、FCCと語感こそ似ているものの、現状、放送事業者の自主規制機関であるという差異がある。BPOの「BPOとは」には、以下のように記述されている。

放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理の問題に対応する、第三者の機関です。主に、視聴者などから問題があると指摘された番組・放送を検証して、放送界全体、あるいは特定の局に意見や見解を伝え、一般にも公表し、放送界の自律と放送の質の向上を促します。

※BPOはNHKと民放連によって設置された第三者機関です。

したがって、自民党による、BPOを放送局から独立させ、政府関係者や官僚OBを参加させるという提案は、メディアに対する実効的で、相当程度強力な萎縮効果をもたらすと考えられる。アメリカの制度設計で大前提となっている放送事業者の政治からの独立については担保されていないにもかかわらず、放送に関する疑義が生じた場合の審議機関であるBPOに、政府関係者や官僚OBなどが参画することを意味するからだ。政治が問題提起を行った場合、申請者と審議者の距離が相当程度近いものになることは明白であろう。

このとき、そもそもこうした駆け引きそれ自体を批判する向きもあるかもしれないが、明確な違法行為を除き、さまざまな状況で利益の最大化を模索するのは政治の常道でもある。選挙で判断するほかないが、16年の参院選まで国政選挙は存在せず、またそこまで有権者がこの問題の詳細を記憶しているとは、過去の経緯を鑑みてもあまり期待できない。その意味でも、今回の聴取は、実に巧妙な、「政治のメディア戦略」といえる。

懸念されるのは、すでに冒頭述べたように、批判論の多くが、圧力の有無や慎重対応という抽象論に留まっていて、前述の『毎日新聞』の記事のように実質的な問題の所在を指摘したうえでの議論が少ないことだ。政治とメディアの緊張関係が弱いと、左右双方から指摘される日本である。両者の緊張関係のいっそうの弱体化は、日本の安定と繁栄、民主主義や政治を毀損しかねない。形骸化した議論にとどまらず、問題の本質に目を向けつつ、事態の動向を注視したい。

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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